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第九百八話 酷暑日 [妖精譚]

 環境汚染のために地球温暖化が叫ばれていたのはもう随分と過去の話だ。あの頃はまことしやかに二酸化炭素の増加によって温室効果が生まれて、北極の氷が溶けてしまうだの、それによって海洋の水位が上がって世界中が水浸しになってしまうだの言われていたが、今となってはそんなことはささやかなことだ。

 アメリカで五十度という気温によって人が死んだ、そしてオーストラリアのど真ん中では五十四度という驚愕の気温が観測されたあの日、思えばあれがはじまりだったのかもしれない。それはもはや地球温暖化とかオゾン層の破壊とか、そんなレベルの話ではないことに、すでに各国の上層部は知っていたはずだ。庶民には単に異常気象として伝えられ、各地で熱中症による死亡者が出ていても、それは止むをえない現状であると思われ続けた。人々はただただ暑い暑いとぼやきながら季節が移るのを黙って耐えていったのだ。

 翌年の夏はさらに高気温が記録され、その記録はその後も年々更新されていった。

 五年後、人々はようやく太陽が膨張していることに気づきはじめる。それは日の入りの太陽が大きく見えるような見え方の問題だろうとごまかされ続けてきたが、アマチュア天文学者が、明らかに太陽の直径が1.2倍ほどになっていることに気がついたのだ。そしてアメリカを皮切りに各国政府が宇宙開発を急いでいる事実を公表しはじめた。

 それは数年前からはじまっている天体現象だった。太陽が膨張しているのではない。地球が太陽に引き寄せられているのだ。つまり地球が太陽に向かって落ちていっているということだ。正確に言えば、単に地球が太陽に自由落下しているということではなく、地球が太陽の周りを公転する楕円軌道が、円にちかかったものが少しづつ長楕円に変形しはじめているということだった。つまり、楕円の長径が長くなり、短径が短くなっているという。そうなると、もっとも太陽に近づく夏はより暑くなり、太陽から遠ざかる冬は一層寒くなる。こうした現象がなぜ起きているのかはいまだ不明であるが、なんらか外部から訪れる彗星などの影響によって太陽系内の微妙なバランスが崩れてしまったのだと推測されていた。地球が太陽を公転するこの変形度合いは年々加速度が加わり、あと十年も待たずして地球は太陽に飲み込まれてしまう、つまり太陽に落下してしまうという結果が既に予測されていた。世界の科学者たちが集結して地球脱出のための宇宙船開発を急いでいるのだが、とても間に合わないし、仮になんとか間に合ったとしても世界七十億人を救えるはずもない。だからひた隠しに隠していたのだ。

 まさか地球が太陽に落ちるだなんて。少なくとも人類が存在している間にはそのようなことはないとされてきた。しかし、自然界では何が起きても不思議ではないのだ。人類などというちっぽけな存在に予測できないことなど宇宙には山のように存在しているのだ。もはや我々人類は、いや、地球は、黙って地球も終焉を待つしかない。じたばたしてもどうしようもないのだ。より暑い夏を凌ぎ、より寒くなる冬を乗り越える。こうした目の前で起きている自然現象と対峙しながら、最後の時を待つしかないのだ……。

 ……ということなのではないかしら、もしかして。と思うほど暑い、二千十三年の夏。

                                                 了


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第九百七話 名言 [文学譚]

「言いたいことがあるんだろう? 思いは伝えなきゃ思ってないのと同じだぞ」

 言われてはっとする。ぼくは思っていることを自分の中で何度も反芻するような人間だ。人に言っていいものだろうか、それとも自分の中で納めておくべことだろうか。昔ながらの儒教的な考え方をする厳しい母親に育てられたぼくには、「我慢」という言葉が染み付いている。そんなことは人に言うべきことじゃぁありません。人に迷惑をかけてはいけません。少々のことには耐えて、自分を抑えて誰かのためになることをする、そういうのが日本人の美徳なんです。こういうのは間違ってはいないのだろうけれど、昨今の社会にはそぐわない。耐えて耐えて、限界まで耐えて最後の最後にバスンと行動に出るなんていう高倉健さんは格好よかったけれども、いまどきそんな人間はいない。けれども、ぼくの中に棲みついている我慢する魂はそう簡単になくなるものではなく、学校時代にも、社会人になってからも、まずは他人の意見を聞き入れ、それを自分なりに受け止め、よほどのことがなければ自分の意見は口には出さない。ぼくのような人間がいてこそ社会が成り立つのだし、ほとんどの人は同じように考えているのだと思っていた。

 転勤を内示されたときも、誰かが行かなければならないのだとすればそれは仕方がないことだと思って受け入れた。賞与の査定が悪くても、いまは世の中全体の景気が悪いのだからと受け止めた。通勤電車で痴漢をしたと言われた時にはかなり参ったけれども、相手のOLがそう感じてしまったのだから、たまたま後ろにいた自分が悪いと考えた。この事件を会社は許容したけれども、左遷されてしまったときには、許容されただけでもありがたいと思った。この事件が尾を引いて、出向先の会社でセクハラ疑惑が起きたときも、社内の女性にとってぼくの存在自体が疎ましいのだから仕方がないと受け止めた。リストラ対処にされてしまったときには、会社のためには誰かが辞めねばならないのだと思って耐え抜いた。

 こうして怒濤のような人生を生きてきたぼくは、それでも母親から叩きこまれた生き方を守り続けたわけで、それが間違っていると思ったことは一度もなかった。だが、いまになってなぜこんなに貧乏で惨めったらしい暮らしをしているのだろうと思い返してみてはじめて、あのときはたして我慢するべきだったのだろうか、自分に掛けられた疑いを晴らすためにもっと何かを言うべきだった野田はないだろうかなどと思いはじめていたのだ。しかし、今頃そんな過去のことを顧みたところで、なんの足しにもならないのだが。それにあまりにも他人の考えを受け入れ、自分を殺し過ぎたぼくには、自分の考えというものがないように思われた。誰かが思ったことを優先するあまり、自分自身の思いなど必要としなくなっていたからだ。

 そんなときに「伝えなければ思っていないのと同じ」という声を聞いた私は、完全に共感した。伝えなかったから、自分の思いは消えてなくなってしまったのだ。まさに思っていないのと同じだったのだ。

 いまさらこんなことに気がついても、もう遅い。遅いけれども共感してしまった言葉は胸に刺さったままだ。どうすればいいのだ。 すると、別の言葉が聞こえて来た。

「ぶれるな。自分のことを信じられない奴を、他の誰が信じるんだ」

 同じ人間が放った言葉だ。さっきは伝えろと言った。だが今度は自分を信じろと言う。これもなるほどその通りだと思うのだが、思いを胸に秘めて伝えない人生を歩んできたぼくに伝えろと鼓舞しておいて、今度は自分の考えを信じろと言う。どちらも名言ではあるが、相反するオーダーだ。参った。ぼくはますます混乱する。わけがわからない。

 テレビの中の人物は、どうしたわけか馬に乗った武士だ。いやいやこれは演じているだけで中身は俳優だ。これはコマーシャルなのだ。ぼくはコマーシャルのセリフに共感し、撹乱させられ、いまや困惑している。出来ることはひとつだけだ。何も聞かなかったことにしよう。ぼくはリモコンを手にとってテレビを消し、あのビールのコマーシャルを二度と見ないようにしようと決めた。

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第九百六話 古都巡り [文学譚]

「どうせなら行ったことのない京都がいいなぁ」

 お互いにそう言いながら一年ぶりの京都を訪れた。京都までは電車で一時間ほどで行くことができるのに年に一度くらいしか脚を運ばないのは出無精であるからなのだが、余りに近いのでいつでも行けるからと思っていることも原因だと思う。歴史のある街に足を踏み入れることによって、日常から少し離れたところで自分自身をリフレッシュさせることができるので、たまに思い出したようにそうだ京都に行こうと思うのだ。そしてぼくたち夫婦は、たいていは同じタイミングでそろそろ京都に行きたいなと思うのだ。

 年に一度程度とはいえ、既に何度も訪れているので、主だった名所にはだいたい脚を運んでいる。四条から丸山公園、八坂神社、清水寺を回って花見小路、白川そして木屋町あたりというお定まりのコース。または南禅寺、哲学の道、永観堂、銀閣寺、詩仙堂というコース、岡崎公園、平安神宮、御所、東寺、御所、鞍馬山、上鴨神社、東福寺、数え出したらきりがないが、それでも訪ねていない場所もまだまだ山ほどある。そのひとつが三千院だった。三千院は京都の北方面で距離があり、最初からここに行くつもりで車を出すことになる。車でいくなら愛犬も連れて行けるなということになって茶太郎を車に乗せる。高速を走って一時間足らずで京都に着くが、さらにそこから二十分ほど走らなければならない。大原を目指して少し迷いながら走り、ああここが入口だというところで駐車場に車を停めて山道を歩きだす。

「案外近かったね」

「うん、迷わなかったらもっと早く着いてた」

 はじめて来る場所だから迷うのもありだよねと言い訳しながら参道を歩く。次第に狭い道に変化して、道沿いにある土産物屋を除きながら歩く。やがて本堂の入り口にたどり着いた頃に、既視感があった。あれ、どこかに似ている。京都に犬連れで来る場合、ある程度の覚悟が必要だ。つまり犬が入れない場所が多いのだ。ここもまた犬は禁止だった。犬を連れては入れませんという看板を見てはじめて気がついた。あ、ここは前に来たことがある。そうだ、以前も同じパターンで車に愛犬を乗せて来たのだ。それで中には入れないということがわかり、今度来るときには茶太郎は留守番だなとか言いながら帰ったのだ。

 数多い名所名跡を訪れても、まったく記憶に残らなかった場所がいくつかある。ここもそんなひとつだった。前まで来ただけでは訪れたという脳内記憶にはならないということなのだ。

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第九百五話 再会の齢 [文学譚]

 遠く故郷から久しぶりに友がやってきた。彼女たちは幼少時代に一緒に幼稚園に通った幼馴染で同じ町に暮らしており、その後も小中高と同じ学校に通い大人になってからもずっと途切れることなくお付き合いが続いているという私の人生の中では非常に希少な友人たちなのだ。私はといえば十数年前に夫の仕事の関係で故郷を離れ、友人たちと会う機会も減ってしまったのだが、それでも数年ごとにお互いに行き来して再会を喜び合うのだ。

 今回は、夏休みという名目で……といってもみんな学生でも会社員でもないので、自分たちで勝手に言ってるだけだけれども……私が暮らす町に遊びに来てくれた。ルイ子は幼稚園児であった頃から闊達な子供で、その片鱗はいまでも残っている。何かにつけて前向きでパワフルに動き回るそんな女性で、いつも私に元気を与えてくれる。ムッ子は大人しいが聡明な女の子だった。とても知性的なだけではなく、今の歳になっても何かしら勉強を続けていて、さまざまな資格を取ったりしているというので頭が下がる。かくいう私自身はというと、とても引っ込み思案でのろまで、それでいて頑固さだけは人一倍という、三人の中では最悪の女の子だった。

 そんなまったく性格の違う三人が大人になっても友人と呼び合う関係を継続できていることはなんだか不思議な気がするのだが、逆に個性が違うからこそ惹かれあうのかもしれないなとも思う。かつては恋人だった夫と離婚した私にとっても、死に別れてしまったムッ子にとっても、一度も結婚しなかったルイ子にとっても、共通していえるのは、私たちのつながりはどんな男たちとの結びつきよりも強く確かなものだと感じていることだ。もちろんいまはそれぞれに恋人のような男性がいるのだけれども、それとはまったく無関係に無性に会いたくなるのが私たち三人なのだ。

 ルイ子とムッ子は同じ故郷に住み続けているので、ちょくちょく出会っているはずだが、私一人遠いところに住んでいるために二人と会うのは数年に一度ということになってしまう。いつも再会する度に思うのは、二人とも変わらないなという思いなのだが、五年ぶりに再会した今回は少しだけ違った。もちろん基本的には心のなかにあるルイ子やムッ子のままであり、変わらないなぁという部分がほとんどなのだけれども、ルイ子は五年前よりも痩せていて、反対にムッ子は少し太ったと思った。そしてよくよく見ると、当たり前のことだけれどもみんなの顔に刻まれた皺の数が増え、心なしか体力が落ちているようにも思った。もちろんそれらは客観的に自分自身を眺めたときにも感じることなのだろう。

 幼馴染から知っている友人だけに、胸の中にあるのはその頃の彼女たちの姿だし、それがそのまま成長して大人になった姿だ。さらにいまはそのまま歳を重ねていった私たち三人が出会っているわけで、その背中には何十年もの歴史が流れて来たということが信じられないような気持になる。これから先もこうして数年に一度再会し、加齢が加速していくのをお互いに見ることになるに違いないが、いったいそれはどのくらい続くのだろう。私たちはいつまでこの友情を確かめ合うことができるのだろう。二人の姿を眺めながらふとそんな気になったのは、やはり歳を意識してしまうからだ。

 せっかく都会にやって来たのだからと近隣の観光名所を案内して回る道中で、若いころのようにいつまでも歩き続けることができずに適度に休憩を入れてよっこらしょとどこかしらに座ろうとする私たち。ルイ子は痩せた分だけ身軽なのかもしれないが体力はないようでしょっちゅう座りたがる。ムッ子は元気だけれども少し曲がった腰が痛そうだ。私自身も杖が離せないでいる。あと五年もすれば百歳に届いてしまう、三人併せれば三百年という長さになってしまう私たちの友情にも、いつか終わりがくる。口には出さないが、それはきっと三人ともが心の中で思っていることなのだ。

                                       了


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第九百四話 ようなもの [文学譚]

 男はひとり公園の木陰で立っていた。思わぬリストラに会って職を失い、しばらく自宅に引きこもっていたが、こんなことではいけないと運動がてら散歩に出て来たのだった。リストラされるにはまだ少し早い年齢だと思うのだけれども、近頃は年齢など関係なく切られてしまうようだ。半年間は失業手当でなんとか暮らせるが、そのためには職探しをしなければならないし、実際になにか仕事しなければ、半年後から路頭に迷うことになる。だが、まだ解雇通知のショックから立ち直れておらず、自分が何のために生きているのか、なんのために生まれて来たのかわからなくなっているような状態であった。

 公園の木陰に突っ立ってぼぉっと前を見つめていると、視界の中に小学生低学年くらいの男女の姿があった。何をしてるんだろう。ああ、なんだか楽しそうだ。もしぼくが人並みに結婚していて子供ができていたら、あのくらいになってたかもしれない。そうだ、もし十年前に振られた祥子と一緒になっていれば、きっとあんなおチビちゃんと今頃遊んでいたに違いない。そう思うとなんだかいっそう自分が情けなくなってきた。

 いけないいけない。なんでいたいけな子供を見て自分が情けなくならなきゃぁならないんだ? 馬鹿らしい。結婚しなかったのは自分の意思だ。それに子供なんて、大嫌いだ。うるさいし、わがままだし、邪魔だし。でも、あれがぼくの遺伝子を持っているとしたら、それはまた少し違う気持ちになれるのだろうか。世の親たちはどんな気持ちで子供を産むんだろうか。家から持ってきた”ようなもの”を何気に振ってみた。手ぶらではさみしいので、なんとなく運動しようと思って持ってきたのだ。実はさきほどからこの”ようなもの”を振り回してはいるのだが、どうも気が乗らなくて、ただただ振り回しているだけだった。いまも子供の存在を忘れるために振り回しているが、それは意味のない行為だ。こんなもの振り回したところでなんになる? ぼくはこれを持ていようがいまいがやっぱりぼくであり、あの子供たちとはなんの関係もないのだ。

 気がつくと、男は一歩二歩と子供立ちに吸い寄せられるように近づいていた。意識してのことではない。ようなものを振り回しながら子供を見ていたら、いつの間にか近づいていたのだ。この男の子はどんな子だ? 元気なのか、ひ弱いのか。意地悪なのか賢いのか?女の子は可愛い外見とおりの子か、おませな子か。祥子みたいに賢い大人になるのか、エッチな女になるのか。彼らの親ってどんな人間なのか。お父さんは偉いのか、金持ちなのか、リストラされてないのか?   目の前に男の子がいた。急に洗われた男に驚いて目を大きく見開いている。いやいや、なんでもないんだ。ぼくは変なひとではないよ、おじさん、君らを見ていただけなんだ。男の子が叫びそうになる。女の子は逃げ出そうとしている。男は逆に驚いて、男のこの腕を掴もうとした。するとつかみ損ねて、手に持っていたようなものが男の子のむき出しの腕にあたってしまった。ぴしゅっと軽い音がした。ちょっと傷つけてしまったかもしれない。でも大丈夫だ。これは人を傷つけるものではないのだから。あわててようなものをひっこめると、子供たちはあわてて逃げて行った。あーあ、驚かせてしまったのかなぁ。まずいなぁ。そんな気はなにもなかったのに。

 男はようなものをぶらぶらさせながらも説いた場所に戻ったが、もはやそこにい続ける理由はなかった。静かな公園の中を横切って、自宅に向かって歩きはじめた。どこか遠くでようなものの音がする。それが次第に大きくなって近づいてくるようだ。男はさほど気にせずゆっくりとあるく。そうだなぁ。もうじき日が暮れる。なにかようなものでも買って帰るか。それでビールでも飲んで、テレビでようなものでも見て過ごすとしよう。

 男はようなものを振り回しながら、ようなもののことを思い浮かべてくすりと笑う。そうだ、今日はようなもののような日だった。よぉし、明日こそはようなものを手に入れるためにがんばろう。男はまるでようなもののようだった。                                                 了


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第九百三話 花火 [文学譚]

 世界ではいまだに国内紛争や隣国との小競り合いなど、人間が人間を殺すという無残な戦いが後を絶たない。日本という平和な国に住んでいると戦争など関係のない話のように思ってしまうが、報道で知ってはじめてまだ世の中には戦争している国があるんだなと思い知る。

 七月に入って、今年もまた各地で花火大会があることを思い出したが、同時にある映画作家が長岡花火を眺めながら言った言葉も想起された。

「世界中の爆弾が花火に変わったら、きっとこの世から戦争はなくなる(映画「この空の花」より)」

 なるほどそのとおりかもしれない。いや、爆弾だけじゃだめだ。爆薬のすべてが花火にしかならなければいい。鉄砲も、地雷も、ダイナマイトもすべて。

 ある夜、夢の中に悪魔が現れて私に告げた。

「お前の望みをひとつだけ聞いてやろう。こんなことは滅多にないぞ。魂も命も、なにひとつ対価を求めずに望みをかなえてやるのだからな」

 なぜ、今頃、悪魔が私の夢に現れたのかわからない。それにキリスト信者でもない私のところになぜ? だが、あくまでも夢の中だ。なにが起きても不思議ではない。私はちょうど花火のことを考えていたからかも知れないが、即座に答えた。

「では、ひとつだけ私の望みを聞いてください。この世の中にあるすべての爆薬……爆弾や鉄砲や地雷やダイナマイトなど……これらをすべて花火に変えてしまってください」

 悪魔は目を白黒させた。

「なんだ、そんなことでいいのか。おまえは金持ちになりたいとか、異性にモテたいとか、そういう願いじゃなくっていいのだな?」

 私がそうだと答えると、悪魔は「参った、こんな博愛的な願い事がいちばん堪える。叶えてやるのは実に簡単だがな」と言いながら消えていった。

 しばらくして、テレビで奇妙なニュースが流れていた。世界各国で起きていた紛争が一時休戦になったというのだ。一か所だけではない。イラクも、シリアも、エジプトも。あらゆる場所で起きていた争いが急に止まったのだ。この同時多発的現象も奇妙だが、その理由がもっと奇妙だった。爆弾がすべて使い物にならなくなったというのだ。そうだ。私の夢はただの夢ではなかったらしい。あの悪魔はほんもので、ほんとうに世界中の爆薬が花火に変わってしまったのだ。

 この奇妙な現象の原因を、各国の科学者が究明したが、誰一人としてわかる者はいなかった。原因を知っているのは世界中でただ一人、私だけなのだ。かくして世界から戦争はなくなり、あたかも世界中が平和の国になったかのように思われた。そして私は一躍平和をもたらしたヒーローになったのだが、むろんそれは私が勝手にそう思っているだけだ。誰も私の願いを悪魔が聞き入れたのだなんてことは知らないのだから。

 一年ほど過ぎた頃、大変なことが起きた。はるか天空から何者かがやって来たのだ。そう、地球外生命体、エイリアンの襲来だ。彼らは地球を侵略するために永らく観察してきたようだ。そしてここにきて地球の武器が無能になったことを知って、ついに侵略を実現するにいたったのだ。人類は彼らに抵抗すべくありとあらゆる武器を試したが、すべてポンッという音とともに美しい花火となって空に打ち上げられるだけだった。世界中で上げられた花火は、あたかも侵略者を歓迎するセレモニーのようだった。こうして地球は無抵抗のままエイリアンの手に落ちたのだった。

                                                        了

                            inspired by Nobuhiko Obayashi


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第九百二話 異変 [日常譚]

 異変を感じたのは一週間ほど前だ。書斎机の椅子に置いてあって長年愛用してきたクッションが消失した。そして代わりにやや堅い座り心地の低反発座布団が現れた。洗面鏡の棚に置いてあったT型髭そりが見たこともない新しい姿のそれに変わった。風呂に入ると、手桶と風呂椅子が見たことのないものに変わっていた。 なんなのだ。俺が愛用しているものが次々と姿を変えていく。一体どうなっているんだ。この家に何かが起きている。俺の預かり知らないところで、俺の関知しないことが起きはじめている。これは何かの前触れなのだろうか。俺は考えた。いや、そんなはずはない。いまの俺は仕事もプライベートも、何もかもが安定して充実している。何か予測できないことが起きるなんてことは想像すらできない。  今週に入って、さらに驚くようなことが起きた。いつもくつろいでテレビを見ている愛用の赤いソファが無くなっている。その代わりに少し大きめで上品なアイボリーのソファが鎮座しているのだ。なんだこれは? あの赤いソファは相当に身体に馴染んでいたんだぞ。ダイニングテーブルを見ると、そこでも異変は起きていた。テーブルそのものは変わりないが、そこに並んでいる椅子だ。昨日まではスチールのパイプ椅子だった。前の椅子が壊れてしまってから代用に使いだしたものが定番になってしまったといういわくつきの椅子だ。それが消えて、以前使っていたような木の椅子が四客並んでいるのだ。これはまぁ、悪くはない。そもそもパイプ椅子なんて代用品だったのだからな。しかし、なぜ急にこんなことが我が家に起きているのか、そちらの方が不安だった。  俺は思わず声を出してしまった。すると俺の声に答える声があった。 あら、来週にはともだちが訪ねてくるから、いろいろ買い換えたわ。ボーナスも入ったことですし。いいでしょ?」  妻は俺に相談もなくいろいろと購入してしまうのだ。昔から。

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第九百一話 ゾンビ社員 [変身譚]

 若村真行留は小さい頃から身体は小さく、スポーツとはまったく縁のないような文系人間だ。大学の頃には映画サークルに所属して日夜暗闇の中で過ごすという根暗の代表みたいな若者だった。好きな映画というとこれがまたかつてはカルト映画からはじまったゾンビ物だ。死人が生き返り、頭を打たない限り止まることのないゾンビが出てくる映画は片っ端から見て、ついには「ゾンビがくるりと輪を描いた」などというふざけたタイトルの自主映画まで制作したほどだ。  その若村も大学を卒業して社会人になってからはごく普通のビジネスマンとして社会の中で暮らすようになった。安物ではあるがスーツを着てネクタイを締めると、まさかゾンビ好きの映画オタクであるとはだれも思わない。それに暗闇で映画を見続けてきた若村には意外な耐性が備わったようで、少々のことではへこたれない。つまり忍耐強いのだ。同期の仲間たちが挑戦して獲得できなかった難攻不落と言われた得意先へも、三百六十五日通い続けて、遂に相手の心を掴んで仕事をモノにした。社が喉から手が出るほどほしかった得意先の、しかも大型物件を獲得したから一気に若村は社内のヒーローとなった。その年の社長賞もゲットし、それから後にも持ち前の粘り強さで次々と大きな仕事をモノにするような社員にまで成長したのだった。  人間社会においては、成功者がいれば、その陰には必ず落ちこぼれがいる。そしてその多くは成功者妬んだり嫉んだりするものだ。彼らは、社内での成功者である若村が映画オタクでしかもカルトムービー好きだということを知り、誰が言うともなく若村のことをゾンビ営業マンと呼ぶようになった。あながちこの渾名は間違っていず、得意先から叩かれても切られてもゾンビのごとく起き上がって立ち向かう様は、まさにゾンビのなにふさわしい。若村は自分がゾンビ営業マンと呼ばれていることを知ってもまんざら悪い気はしなかったのである。  やがて若村はゾンビ課長になり、ゾンビ部長にまで昇格していったが、四十五を過ぎた頃に転機はやってきた。世の中の経済情勢の変化に伴って社にも業績危機が訪れ、他社との業務提携やリストラ制度が遂行される中で、それまで若村に肩入れしてくれていた常務が左遷されてしまったのだ。若村はとくにその常務の派閥とかに入っていたわけではないが、反常務派からはそのように見えていたのだろう、常務が飛ばされて間もなくすると若村にも移動の辞令が出された。社史編纂室に移動。これは事実上は左遷であり、いわばリストラ予備軍に任命されたということだ。  辞令が出される直前までバリバリと働き、業績を上げていた得意先はすべて後継者に受け渡され、それだけでも若村は抜け殻のようになった。会社の中で目標を持ち、それを遂行して実現することは、ある種生きがいのようになっているものだ。それが唐突に消失してしまうということは、生きる糧を失うことに等しい。社史編纂室で過ごすようになった若村は表情もなくなり、うつ病患者のようなありさまとなった。もとより社史編纂室とは名ばかりで、仕事らしい仕事は何もない。来たる二千二十年に向けて社内資料を整えていくという仕事があるだけなのだから。忍耐強く企業競争を闘ってきた若村にとって、ここは墓場だ。日長一日デスクに座って過去の資料を眺めるだけの仕事。腐りきった奴とか、つまらない会社で腐っているとか、物事の比喩として使われる言葉があるが、若村はまさにこの部署で腐りきっていた。元来持っていた我慢強さだけが若村を支え、会社からの早期退職勧告をものともせずなんとか定年退職までの長い時間をこの部署で過ごし続けた。  かつて若村という映画オタクが大きな業績を上げて異例の出世をした。だが、その直後の国内経済鈍化のあおりを受けて消えていったという話は、社内に残る都市伝説のひとつとなってしまった頃。新規事業のために移転した新しいオフィスの最上階の片隅に、小さな個室が設けられていた。表札も何もついていない。そして誰もその部屋を訪れることもない。ただ、ときどきくたびれたスーツ姿の見知らぬ初老の男が出入りしているという。男の周囲には何とも言えないマイナスオーラが立ち込め、話しかけようと思う者など誰一人いない。たまに喫煙室で出会ったという者もいるが、話した者はもちろん、表情を確認した者さえいない。いつの間にか現れて、気がつくといなくなっているという。実際にその男が体臭を放っているというわけではないのだが、何かしら屍の臭いが漂っているような空気。誰がいうともなく、この男にはゾンビ社員という渾名がつけられた。同時に、かつてゾンビ営業マンと呼ばれた男のことが思い起こされ、同一人物なのではないかと噂された。  しかし、もし若村が在社していたとしたら、すでに六十歳は過ぎているはず。定年を越えている者がまだ残っているはずもない。再雇用制度というものがあるにはあるが、そんな名も知れぬ部屋に雇い入れるような話は聞いたことがない。だが、相手はゾンビ社員だ。切っても腐らしても飼い殺しにしても、それでも生き返ってくるのがゾンビだ。そんな人間に常識など通用しない。ゾンビ社員が若村である可能性はないとは言えないのだ。  大都会の冷たいビルの中を何かを求めて徘徊し、人に噛みつくこともなく、手柄という肉に食らいつくこともなく、ただただ社内を歩き回ってはどこかに潜んで一日を過ごす。誰も知らない。誰にも気づかれない。彼の社員生活は終わることもなく。社内のどこかに足を引きずる足音がする。ずるっずるっ。ゾンビ社員は今日もこのビルのどこかで生ぬるい息を吐き続けている。

                                                 了


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第九百話 キリ番 [日常譚]

「あかんやろう、そんなん」

 ぼくが昨日と同じように書きはじめたとき、変酋長が口を出した。

「え? なにがあかんのですか?」

「おまえな、死ぬまでに何回クリスマスを迎えることができると思う?」

「は? クリ……スマスですか? この暑い時期に?」

「暑い時期は関係ないわい。クリスマスがあかんのやったら、ほなら盆でもええわ。おまえ死ぬまでンい何回盆休み取るつもりやねん!」

「す、すんません。けど、ぼく、、今年はまだ盆休みいただいてませんけど」

「当たり前や。まだ七月や。お盆は来月や。そやないねん、ほな、おまえいま何歳や」

「ぼ、ぼくは三十になったとこですけど……」

「三十か……もうちょっとしっかりしてもらわなあかんなぁ」

「はい……すんません」

「そのな、三十歳の夏をな、おまえ人生の中で何回過ごせるんや?」

「三十歳の夏……何回過ごせるかって……?」

「あほやな、おまえはほんまに、答えられへんか?」

「い、いや……三十歳の夏は一回だけです」

「そうや! そうやろ? おまえが三十歳で過ごす夏はな、一生のうちで一回だけなんや」

「「はぁ。そら、当たり前で……」

「当たり前でって……おまえひとつもわかってないな?」

 いったい変酋長はなにが言いたいのだか、ぼくにはさっぱりわからなかった。だけど、これまで何度この人に救われてきたことか。毎日書かなければならない記事なのに、ネタ切れで困り果てたとき、この人が言ったことが大きなヒントになって先に進むことができたこともある。書き上げた記事の間違いを正してくれたこともある。なにしろ、この人は平生はぼぉっとしている癖に、口を開けば存外いいことを言うのだ。

「今日はどういう日や」

「どういう日って……今日はえーっと、じゅ、十三日」

「十三日の金曜日の次の日……って違うわっ。ほかにないんかい」

「ええっと……」

「今日書く記事は何回目や?」

「今日は……ええーっと」

「おまえそんなんもわからんで書いとんのか!」

「す、すんません。あっ」

「おっ。わかったな、さては」

「もうすぐお昼です」

「がっくり。まじめにやれよ、君。今日書く記事は第何話や?」

「ああ、それですかぁ。ちょうど九百話になります」

「そうや、そこやがな」

「きゅ、九百話?」

「そやで。これまで長いこと書いてきて、九百という数字にはじめて出会ったんとかうか? ほんで、その九百話というキーワードは、もう千話書き続けないと出会うことはない」

「あっ! そういうことですか。なるほど。では、今日は九百をテーマに記事を書くべきだって、そう言いたいわけですね!」

「その通りや。九百の話を書けるのは、今回だけやでぇ? これはある意味チャンスとちゃいますかい?」

「はい……」

 いったいなんのチャンスかはわからないが、少なくともこんなキリ番をネタにしようと思わなかったとは。ぼくもまだまだだな。しかし、九百って言われても、それはどんなネタなのか。ぼくはとりあえずウィキ辞書を取り出して調べてみた。

 なんじゃこれは?

”くひゃく”:一貫に百文足りないという意味から、愚かな者をあざけっていう語句。天保銭(てんぽうせん)。

 なんだ。きゅうひゃくではなく、くひゃく。しかも愚か者のことだって。あんまりいい感じではないな。しかし、知らなかった。九百は百足りないから愚かだなんて。ここから広げて……広げて……広げ……られへんなぁ。困ったなぁ。あれだけ変酋長にどやされたのに。そうか! 反対に残りの数字を調べてみよう。千一話まで、あと百一話! これだっ! そうおもいついたぼくは再びウィキ辞書で百一を調べてみた。

”ひゃく‐いち”:百のうち真実は一つだけである意から、うそつき。

 これはまた……すごい意味を持ってるんだなぁ。知らなかった。百一にこんな意味が隠されているなんて。しかし、いまの人は誰もこんなこと思わないよなぁ。百に一つしか真実がないだなんて。これまたネタにならん。参った。結局こんなこと考えずに書きかけてた記事を仕上げた方がよかった。ん? まてよ。百一……百いち……百一匹……百一匹なんとかってアニメがあったなぁ! あれはいいアニメだった。そうか、これからまた百一話を重ねていくイメージを書いてみよう。ほら、イメージは白地に黒い模様が入った、そう、ダル、ダル……ダルメシアン! ダルメシアンの子犬だ!

 ぼくは不眠症患者が羊を数えるように、白と黒が混じり合ったダルメシアンの子犬の姿を頭の中に思い浮かべて、そいつが羊を囲った木の柵の中にジャンプして飛び込んでいく姿を描写しはじめた。

 最初の一匹は目の前にそびえる羊牧場の柵を見上げて、無理だこんなもの、飛び越せるわけがないと思った。だが、後ろから兄弟が早くしろとつついてくるので焦る。おいおい、推すんじゃない。すぐに飛ぶから。こんなもの簡単だい! 待ってろよ、一二の三! なんとか前足だけが柵の向こう側に入ったが、柵はおなかのあたりにつっかえて、それをなんとか後ろ脚キックで乗り越えた。彼が地面に着地できたとき、二匹目の白と黒が混じった子犬がまた柵の前で躊躇していて……

 キリがない話。キリ番だから? いいや。適当に書きはじめてしまったからだ・間ぁいい。とにかく今回は第九百話。あと百一話でこのブログの物語は終わる予定だ。ほんとうに最後まで書き続けることができるとすればだが。

                                                了


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第八百九十九話 ともだち [文学譚]

 明夫はぼくにとって唯一のともだちだと思っていた。小さな頃から近所に住んでいて、よく一緒に遊んだ。背が低くて病気がちだったぼくと違って、明夫は身体が大きく元気いっぱいだったので、まるでぼくのボディガードのようにしてなにかと力になってくれた。幼稚園で虐められたときも相手のボス的男の子をぶちのめしてくれたし、小学生のときに噛まれそうになった犬を追い払ってもくれた。中高と同じ地域の学校に進み、大学は別々になったがどういうわけだか同じ首都圏の大学であったのでなにかとよく遊んだ。このとき明夫はモテないぼくのために合コンを開いて、女の子の世話までしてくれた。

 その後、社会に出てからは別々の道を歩むようになったから、滅多に会わなくなったけれども、それでも盆と正月くらいは故郷の町で飲んだりして交流は続いていた。友達というものは不思議なもので、大人になってから出会った人よりも、幼少の頃に一緒だった人のほうがだんぜん絆が深いと思う。ぼくの場合は人づきあいが下手なせいか、大人になってからはともだちらしいともだちができたことは一度もなく、結果、生まれてこのかたともだちと呼べる存在はいまだに明夫ひとりなのだ。

 その明夫がもはやともだちかどうかわからなくなってきたのは、彼が結婚した頃からだ。嫁になった彼女のことも早くから紹介してくれていて、三人で食事をしたりお酒を飲んだりして楽しく過ごしたこともあるし、新居にも招いてくれた。ぼくにも結婚を勧め、お見合い相手を紹介しようかとも言ってくれたのだが、ぼくが曖昧な返事をしているうちに話はどこかに行ってしまった。ちょうどその頃、会社の中で虐めめいた厭なことが重なり、ぼくは転職を考えていたのだが、そのことを明夫に相談したら、案外そっけない態度で返された。

「そういうことは自分でよく考えなきゃぁ。俺がどうこう言うようなことじゃないと思うよ」

 確かにその通りなのだけれども、こどもの頃ならもっと親切に、たとえば会社で誰が虐めているんだとか、その相手をやっつけてやろうかとか言ってくれたはずだ。さらに、転職先なんかも一緒に探してくれたはずなのだ。ぼくが困っていたら必ず明夫が解決してくれた。ぼくがほしいものは、ぜんぶ明夫が用意してくれた。なのにいまは自分で考えろという。そんなのありか? ぼくは自分の中にはじめて明夫に対する疑問符が芽生えたことを自覚した。ともだちよりもお嫁さんや家族のほうが大切なのはよくわかる。だけども、それでもやっぱりともだちって大事だろ? それならちゃんと友情の証を示してほしいものだと思う。ぼくにはほかにはともだちがいないのだから。ともだちって、ともだちが困っていたら助けてくれる、なにかをしようとしてさくれる、なにかを与えてくれる、それがともだちなんじゃぁないの?

 もはや明夫はともだちなんかじゃない。そんな考えがぼくの中に定着してしまって、もう元には戻れなくなっている。ぼくにはもう、ともだちがひとりもいなくなってしまった。明夫のせいで……。

                                      了


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