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第九百十八話 忘れもの [文学譚]

 日曜の午後。夕方になってじりじりと頭の上から照りつけていた太陽が西の空に傾くと暑さは幾分ましになっていて、その上生ぬるいものではあったが首筋のところを通り過ぎていく風のおかげで表を歩いているぼくをずいぶんと過ごしやすい気分にしてくれていた。家を出るときにはハンドタオルを手にしていたが、汗で湿ったそれはいまはほとんど乾いていて、ただ手に握っているだけの荷物になっていたのだが、そのタオルの無用さを確かめるために癖のようにして額をぬぐってみたがやはりふき取る汗はなく、乾いたタオルの感触が妙に気持ちよかった。だが、そのときふと違和感を感じた。なんか違う。おかしいな、家を出たときもこんな感じだったっけ。その違和感を確かめるためにもう一度タオルで額をぬぐってみる。やはりなにかおかしい。私はなにか重大なことをしてしまったような気がして横隔膜の下あたりに空虚な部分ができあがるのを感じたが、それでもまだその違和感がなんなのかに気づくことはできなかった。

 小学生だった夏休み。ぼくは母に手を引かれ、兄とともに夏休みの宿題にするべく虫取りに出かけた。素でいた田舎町の真中にあった三百五十メートルほどの山の中腹。日傘を差した母は、いま考えるとあのときまだ三十歳にもなっていなかった。麦わら帽をかぶせられた兄弟はそれぞれに網を手に一生懸命山道を登っていた。四年生の兄は眼鏡に垂れてくる汗をぬぐいながら高い木の上で鳴いている蝉を果敢に狙っていたが、網が届くようなところにいる蝉はなかなかいない。そのうち母もなんとか蝉の一匹くらいは取らなければと思ったのだろう。兄の後ろで応援していたのがいつの間にか自ら網を手に蝉を追いかけていた。母の手から自由になったぼくもまた自分自身でなにか獲物を見つけて母と兄を驚かせてやろうと山道から外れた兄とは反対の方向へと歩き出した。蝉の声がしないところでも小さな蝶やバッタを見つけては追いかけた。足元御草むらの中に親子バッタを見つけて、かぶっていた帽子を使って親子バッタを捕まえたときになってはじめて、母も兄もどこにいるのかわからない場所まで来てしまっていたのだとわかった。急に不安になったぼくは帽子の中にバッタを置き去りにしたまま母と兄の姿を追い求めた。その後なんとか再会したはずなのだが、そこのところはなぜだか記憶からは欠落している。数十分後にはぼくを探している二人と出会ったような気もするし、日が暮れてから捜索隊によって見つけられたような気もする。とにかくあの帰り道で、ぼくは麦わら帽を無くしていた。それは母が兄のモノとお揃いで買ったもので、ぼくは結構気に入っていたので帰り道では虫を確保できなかったことよりも帽子を無くしてしまったことの方が大きな出来事だった。いつまでもそのことを気にしながら帰ったのだと後から何度も笑われたものだ。

 広いツバのついた麦わら帽をかぶる度にとおに往生した母のイメージが浮かぶのはこのときの思い出のせいなのだが、同時にこのような帽子をかぶって出かけるとたいてい失って帰ってきてしまうというのは我ながら不思議だ。再び額にタオルを充てながら頭の上から消えている麦わら帽に思い当たって、また忘れものをしたんだなぁと気がつく。忘れた帽子のことはいつまでも心に残り、そんなときにはいつも、なにかもっと大きな忘れものをしているのではないかという妄想が膨らむのだ。

                                                   了


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