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第八百九十二話 悲しいエロやね [文学譚]

 どうしてこんなことになってしまったのか、さっぱりわからない。正直覚えていないのだ。それにもう二年も前のことだしますます記憶があいまいだ。福山一郎は事務局の事務椅子に座って禿げあがった頭を両手で叩いたり抱えたりしてなんとか思いだそうと努力していた。全柔軟体操連盟理事を勤めて十余年の間に、同様なことは何度もあった。だが、こうして世間の騒ぎになったことなど一度もなかった。つまりそれは何もなかったことに等しいのだ。

 七十歳をすぎている一郎は、普段は温厚で性にまつわる話などに興味を持ったことなど一度もなかった。若い時にはそれはいろいろと体験したものだが、歳を重ねるごとにそういったことには興味を失い、自分自身がセックスの虜になっているなどと感じたことなどあるはずもない。それがこの歳になってセクハラ問題で訴えられるなんて。

 正直、記憶が無くなってしまうほど酒を飲んでしまうことはたびたびある。若いころにはそんなことはなかった。年齢とともに酒に弱くなって酒量が減り、しかしあの頃と同じように酒を楽しみたいと思うからつい度を越してしまう。宴会場にいたはずなのに、気がつけば自宅で目覚めることは毎度のことになってしまっている。だから、その酒宴の席でなにかをしたと言われたら、否定することができない。覚えていないのだから。

 相手の女性と一緒に飲んでいたのは覚えている。何人かで居酒屋にいた。楽しく飲んで盛り上がり、同席していた若い職員たちは理事であり老齢である私を敬いながら酒を注いでくれた。そのあと皆と別れたのも覚えている。問題はそのあとらしい。たまたま同じ方向に変えることになったA子と電車に乗ったのだが、ふと次の駅前に旨い鮨屋があることを思い出して彼女を誘ったのだ。

 たぶん私はその時点ですでに酔っていたのだろう。酔っていたこらこそ若い女性を鮨に誘ったりできたはずだ。鮨屋のカウンターでにぎりを頬張り、日本酒の一合を開けたあたりから記憶が怪しい。彼女に腕を支えられて乗ったエレベーターの中。彼女の顔が迫る。いや、私から迫った。ゆがむ表情。私はなぜだかキスがしたかった。いや、そんな気がする。抵抗する細く華奢な腕。エレベーターが開く。逃げていくA子。

 私はトイレの前にうずくまっていた。「おい! なにしてる! 出てこい!」叫んだような気もする。微かな悲鳴。携帯だろうか電話している声。見上げると女子トイレの表示。うとうとしていた私の横をすり抜ける彼女。追いかけた。タクシーに乗り込む姿を目にして、すぐ後ろのタクシーに乗り込む。追いかけてくれ。お客さん、前の車、停まりましたよという声で目覚めると、女が走っていく。おい、おい、待て! 私は叫んだような気がする。誰かが私を車に乗せる。気がつくと朝。自宅のベッドで目覚めた。

 私は年老いてからは性的興奮などしたことがない。周りには八十を過ぎてなお盛んな友人もいるというのに。もはや若い女性を目にしても何とも思わない……はずなのだが。酒が入ると違うらしい。私はほとんど覚えていないのだが、同席した者が恐る恐るいうには、主席では完全にエロじじいだという。そんな馬鹿な。私にそんな余力が残っていようとは。飲めばエロぢから。しかし覚めると何も覚えていない。これではまるで狼男か夢遊病者ではないか。

 セクハラのA子には申し訳ないが、お陰で自分がまだ男であることを自覚できた。ありがとう。私はまだまだ現役エロじじいなのだ。酒さえ飲めば。

                                           了


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