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第八百九十九話 ともだち [文学譚]

 明夫はぼくにとって唯一のともだちだと思っていた。小さな頃から近所に住んでいて、よく一緒に遊んだ。背が低くて病気がちだったぼくと違って、明夫は身体が大きく元気いっぱいだったので、まるでぼくのボディガードのようにしてなにかと力になってくれた。幼稚園で虐められたときも相手のボス的男の子をぶちのめしてくれたし、小学生のときに噛まれそうになった犬を追い払ってもくれた。中高と同じ地域の学校に進み、大学は別々になったがどういうわけだか同じ首都圏の大学であったのでなにかとよく遊んだ。このとき明夫はモテないぼくのために合コンを開いて、女の子の世話までしてくれた。

 その後、社会に出てからは別々の道を歩むようになったから、滅多に会わなくなったけれども、それでも盆と正月くらいは故郷の町で飲んだりして交流は続いていた。友達というものは不思議なもので、大人になってから出会った人よりも、幼少の頃に一緒だった人のほうがだんぜん絆が深いと思う。ぼくの場合は人づきあいが下手なせいか、大人になってからはともだちらしいともだちができたことは一度もなく、結果、生まれてこのかたともだちと呼べる存在はいまだに明夫ひとりなのだ。

 その明夫がもはやともだちかどうかわからなくなってきたのは、彼が結婚した頃からだ。嫁になった彼女のことも早くから紹介してくれていて、三人で食事をしたりお酒を飲んだりして楽しく過ごしたこともあるし、新居にも招いてくれた。ぼくにも結婚を勧め、お見合い相手を紹介しようかとも言ってくれたのだが、ぼくが曖昧な返事をしているうちに話はどこかに行ってしまった。ちょうどその頃、会社の中で虐めめいた厭なことが重なり、ぼくは転職を考えていたのだが、そのことを明夫に相談したら、案外そっけない態度で返された。

「そういうことは自分でよく考えなきゃぁ。俺がどうこう言うようなことじゃないと思うよ」

 確かにその通りなのだけれども、こどもの頃ならもっと親切に、たとえば会社で誰が虐めているんだとか、その相手をやっつけてやろうかとか言ってくれたはずだ。さらに、転職先なんかも一緒に探してくれたはずなのだ。ぼくが困っていたら必ず明夫が解決してくれた。ぼくがほしいものは、ぜんぶ明夫が用意してくれた。なのにいまは自分で考えろという。そんなのありか? ぼくは自分の中にはじめて明夫に対する疑問符が芽生えたことを自覚した。ともだちよりもお嫁さんや家族のほうが大切なのはよくわかる。だけども、それでもやっぱりともだちって大事だろ? それならちゃんと友情の証を示してほしいものだと思う。ぼくにはほかにはともだちがいないのだから。ともだちって、ともだちが困っていたら助けてくれる、なにかをしようとしてさくれる、なにかを与えてくれる、それがともだちなんじゃぁないの?

 もはや明夫はともだちなんかじゃない。そんな考えがぼくの中に定着してしまって、もう元には戻れなくなっている。ぼくにはもう、ともだちがひとりもいなくなってしまった。明夫のせいで……。

                                      了


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