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第九百一話 ゾンビ社員 [変身譚]

 若村真行留は小さい頃から身体は小さく、スポーツとはまったく縁のないような文系人間だ。大学の頃には映画サークルに所属して日夜暗闇の中で過ごすという根暗の代表みたいな若者だった。好きな映画というとこれがまたかつてはカルト映画からはじまったゾンビ物だ。死人が生き返り、頭を打たない限り止まることのないゾンビが出てくる映画は片っ端から見て、ついには「ゾンビがくるりと輪を描いた」などというふざけたタイトルの自主映画まで制作したほどだ。  その若村も大学を卒業して社会人になってからはごく普通のビジネスマンとして社会の中で暮らすようになった。安物ではあるがスーツを着てネクタイを締めると、まさかゾンビ好きの映画オタクであるとはだれも思わない。それに暗闇で映画を見続けてきた若村には意外な耐性が備わったようで、少々のことではへこたれない。つまり忍耐強いのだ。同期の仲間たちが挑戦して獲得できなかった難攻不落と言われた得意先へも、三百六十五日通い続けて、遂に相手の心を掴んで仕事をモノにした。社が喉から手が出るほどほしかった得意先の、しかも大型物件を獲得したから一気に若村は社内のヒーローとなった。その年の社長賞もゲットし、それから後にも持ち前の粘り強さで次々と大きな仕事をモノにするような社員にまで成長したのだった。  人間社会においては、成功者がいれば、その陰には必ず落ちこぼれがいる。そしてその多くは成功者妬んだり嫉んだりするものだ。彼らは、社内での成功者である若村が映画オタクでしかもカルトムービー好きだということを知り、誰が言うともなく若村のことをゾンビ営業マンと呼ぶようになった。あながちこの渾名は間違っていず、得意先から叩かれても切られてもゾンビのごとく起き上がって立ち向かう様は、まさにゾンビのなにふさわしい。若村は自分がゾンビ営業マンと呼ばれていることを知ってもまんざら悪い気はしなかったのである。  やがて若村はゾンビ課長になり、ゾンビ部長にまで昇格していったが、四十五を過ぎた頃に転機はやってきた。世の中の経済情勢の変化に伴って社にも業績危機が訪れ、他社との業務提携やリストラ制度が遂行される中で、それまで若村に肩入れしてくれていた常務が左遷されてしまったのだ。若村はとくにその常務の派閥とかに入っていたわけではないが、反常務派からはそのように見えていたのだろう、常務が飛ばされて間もなくすると若村にも移動の辞令が出された。社史編纂室に移動。これは事実上は左遷であり、いわばリストラ予備軍に任命されたということだ。  辞令が出される直前までバリバリと働き、業績を上げていた得意先はすべて後継者に受け渡され、それだけでも若村は抜け殻のようになった。会社の中で目標を持ち、それを遂行して実現することは、ある種生きがいのようになっているものだ。それが唐突に消失してしまうということは、生きる糧を失うことに等しい。社史編纂室で過ごすようになった若村は表情もなくなり、うつ病患者のようなありさまとなった。もとより社史編纂室とは名ばかりで、仕事らしい仕事は何もない。来たる二千二十年に向けて社内資料を整えていくという仕事があるだけなのだから。忍耐強く企業競争を闘ってきた若村にとって、ここは墓場だ。日長一日デスクに座って過去の資料を眺めるだけの仕事。腐りきった奴とか、つまらない会社で腐っているとか、物事の比喩として使われる言葉があるが、若村はまさにこの部署で腐りきっていた。元来持っていた我慢強さだけが若村を支え、会社からの早期退職勧告をものともせずなんとか定年退職までの長い時間をこの部署で過ごし続けた。  かつて若村という映画オタクが大きな業績を上げて異例の出世をした。だが、その直後の国内経済鈍化のあおりを受けて消えていったという話は、社内に残る都市伝説のひとつとなってしまった頃。新規事業のために移転した新しいオフィスの最上階の片隅に、小さな個室が設けられていた。表札も何もついていない。そして誰もその部屋を訪れることもない。ただ、ときどきくたびれたスーツ姿の見知らぬ初老の男が出入りしているという。男の周囲には何とも言えないマイナスオーラが立ち込め、話しかけようと思う者など誰一人いない。たまに喫煙室で出会ったという者もいるが、話した者はもちろん、表情を確認した者さえいない。いつの間にか現れて、気がつくといなくなっているという。実際にその男が体臭を放っているというわけではないのだが、何かしら屍の臭いが漂っているような空気。誰がいうともなく、この男にはゾンビ社員という渾名がつけられた。同時に、かつてゾンビ営業マンと呼ばれた男のことが思い起こされ、同一人物なのではないかと噂された。  しかし、もし若村が在社していたとしたら、すでに六十歳は過ぎているはず。定年を越えている者がまだ残っているはずもない。再雇用制度というものがあるにはあるが、そんな名も知れぬ部屋に雇い入れるような話は聞いたことがない。だが、相手はゾンビ社員だ。切っても腐らしても飼い殺しにしても、それでも生き返ってくるのがゾンビだ。そんな人間に常識など通用しない。ゾンビ社員が若村である可能性はないとは言えないのだ。  大都会の冷たいビルの中を何かを求めて徘徊し、人に噛みつくこともなく、手柄という肉に食らいつくこともなく、ただただ社内を歩き回ってはどこかに潜んで一日を過ごす。誰も知らない。誰にも気づかれない。彼の社員生活は終わることもなく。社内のどこかに足を引きずる足音がする。ずるっずるっ。ゾンビ社員は今日もこのビルのどこかで生ぬるい息を吐き続けている。

                                                 了


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