SSブログ

第九百三十九話 民族リセット [空想譚]

 気がつくとホールにいた。ほかにもたくさんの人々がいて、同じように並んだ会議用のデスクの一つに突っ伏していたり、スプリングのついた立派な椅子に背を沈 めて顔を天井に向けたまま眠っていたり、中には床の上に倒れこんで横になっている者もいるのだった。人間の種類はさまざまで、あたかも国際サミットかいぎ の途中で、何者かによって催眠ガスが投げ込まれて、全員が一瞬にして意識を失ったかのようだった。デスクの上には何種類もの書類があったが、読めるものは 少なかった。書かれている言語がわからないのだ。

 しばらくするとほかの者たちも目を覚ましはじめ、最初はどこにいるのかときょろきょろ周りを見回していたと思うと、席を離れて歩き回る者や、隣席の人間と顔を見合わせる者が出はじめた。隣で目を覚ました肌の色が浅黒い男が話しかけてきた。

「ここは、どこなんですか? 私はなぜここにいるのでしょうか?」

「それが私にもわからないんですよ、なにもかも」

 そう答えるほかなかった。知った風なことを言える情報もなければ、全想像力を稼働させてもなにひとつ考えつかなかったからだ。

「でもほら、ここにこんなに書類があるんですが、読めますか?」

 訊ねると、男ははっとしたように自分の手元の紙の束を調べて、ほとんど読めないと答え、いくつかは読めると差し出してきたものは、私も読めるものばかりだっ た。Somali civil warと表題のついたものはソマリア内戦への介入に関するもの、North Korean nuclearは北朝鮮の核問題に関して論じられたものだったが、いずれも専門的な用語が多くとにかくそうした解決すべき問題があるということだけはわ かった。となりの男もそれは理解できたようで、どうやらこれらが私たちに与えられた課題のようだなと笑いかけた。

 あちこちで私たちと同じような会話がされているらしく、やがてここにいるすべての人間がまったく同じ書類を手に共通の認識を持ちはじめていることがわかった。ホールのあちこちでそれぞれに交わされている会話を制する者が現れた。ホールの中央にいる黒い肌の男だった。

「みなさん、どうやら部屋の中央にいる私は、ここにいるみなさんの意見をまとめる役割であるらしい。ここにあるプレートにも議長と書いてあるからな」

 自分の使命を明らかにした上で、全員に共通している事態を確認し、これからどうするかという話をはじめた。

「私らに課せられた問題については、みなさんも理解したと思うが、残念ながら私にはここに書かれているソマリアがなんなのか、北朝鮮とはだれのことなのか、さっぱりわからないのだが・・・・・・」

 そこまでいうと、皆も静かに頷いた。

「それどころか、自分がエジプトに住むものであることは覚えているが、エジプト人であることにどういう意味があるのかわからないのだ。それにイスラム教とキリスト教、その他すべての宗教との違いがなにもわからなくなっていることにも気がついた」

 まっ たく同感だ。ついでに言うと、書類の中に散見される国境という言葉、民族という言葉についても、その意味するものがなんだったのかまるっきり欠落している ことに私は気がついている。恐らく我々人類はいま、重大な局面を迎えているのだ。何者か大きな存在の手によるシナリオの変更がなされているとしか思えない のだ。

                                                  了


読んだよ!オモロー(^o^)(5)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

第九百三十八話 最高気温からの逃避 [空想譚]

 高速道路を降りると海岸線沿いの国道を北に向かった。法定速度は四十キロと書かれていたが、百キロ以上で飛ばしてきた癖が抜け切らずにおおかた八十キロを越える速度で走り続けた。他に走行する車もなく、貸切状態の道はどこまでも続いた。信号機はあったがいまはもう点灯することもなくその存在は打ち消されていた。道沿いの堤防が海の様子を隠し続けていたが、所々堤防の切れ目の向こうに見えるのは海ではなく砂浜であることから、海岸線がずっと後退していることが明らかだった。

 時折雨は降ったが、それはいままで経験したことがないような降り方だった。乾いた日が何日も続いたかと思うと、ある日突然滝のような集中豪雨が落ちてくる。安全な高台に避難していないと流されてしまう危険性をはらむ豪雨だ。しかし半日ほどで雨は途絶え、また長い乾期が訪れる。地球規模での異常気象によってこの地が熱帯性の気候に変わってしまったのだと思う。あれだけの雨が降っても、海がその水位を下げているというのは、それほどまでに環境のバランスが崩れてしまっているということにほかならない。

 人々はすでにどこかへ避難したのか、あるいは自分たちの住処で安全に過ごしているのかわからないが、とにかく人間の姿はひとりも見つけることができなかった。他人との接触を避け人里離れた山の中で隠遁生活をしていたおかげで、街でなにが起きたのか、この国がどうなってしまったのか、現状を見るほかに知ることができない。街で拾った新聞はおそらく一月以上も前のもので、過去最高の気温を伝えているものだった。それを最後に途絶えてしまった新聞、姿を見せない人々、ゴーストタウンとしか言いようのない街、そしてこの異常な暑さ。わかっているのはそのくらいだ。きっと北上すれば何かがわかるに違いない。高気温から逃れた人々が見つかるに違いない、そう考えて車を乗り換えながら北上を続けているのだが、陸続きでたどり着ける最北端がついに間近に迫っているようだ。車のダッシュボードの上にはどこかの店で手に入れた温度計が車内の温度を表示している。五十度近い数字。これは現実なのか。こんな気温の中で生きていられることが不思議だった。温度計が示す数字は日々大きな数字に変わっている。このままだと五十度を越えてさらに高温に変化していくことだろう。

 車窓に映る太陽は濃い目のサングラスを通してさえ異常にまぶしい。それどころか見慣れた太陽も日々大きさをましているように思える。いったいなにが起きているのか。これはこの国だけの問題ではないのか。放送もなく、インターネットすら使い物にならないいま、あらゆる情報からまるで孤立しているために自分の目で確かめられること以外はなにもわからない。

 北端の港で小さな船を見つけ、さらに北へ向おう。そうすればきっと誰かがいるはずだ。まだ希望は捨てていない。こんなことで人類が滅んでしまうはずがない。そう信じて弾けそうになるタイヤを騙しながらとろけゆくアスファルトの上を走り続けた。

                                              了


読んだよ!オモロー(^o^)(6)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

第九百三十七話 ヘビーローテンション [脳内譚]

 ラジオをつけたままで仕事をしているなんていうと、不真面目に聞こえるかもしれないが、その方が仕事ははかどる。部屋の中に一人っきりでこもっているのはどうにも寂しいからだ。キャスターのおしゃべりをじっと聞くわけではないけれども、何かしら人の声がしているだけで孤独感から遠ざかることができる。それに流行りの音楽が調子のいいリズムを刻んでくれると、いっそう手作業のテンポが上がるような気がする。実際にはそうでもないのだろうが。でも気持ちよく作業ができるのならそれにこしたことはない。どうせひとつやふたつ多かろうが少なかろうが、たいした金額の違いにはならないのだし。

 昔、夢を見ていたこともあった。詩を書いて曲を作って、ギターを弾きながら歌うシンガーソングライターへの夢。あの頃流行っていた華やかな職業だった。しかしそれはテレビで知ったアーティストに憧れた子供が描いていた妄想にすぎなかった。詩など書けなかった。そんな言葉を持っていなかったから。まして曲など作れるわけがない。親にねだって手に入れた安価なギターも、教則本の半分もこなさないうちに部屋の隅で埃をかぶるようになった。短い指でコードを押さえるのが苦痛だったのだ。それでも安物のギターでなんとかなるような気がしていた安物の夢をいつまでも抱えたまま大人になった。

気がつけば夢は眠っているときですら見ないほど疲れ果て、毎日同じことの繰り返しという仕事に人生を費やし、その挙句会社も首になって、いまはこんな内職仕事で細々と食いつないでいる。内職の中身はその時々によって変わる。封筒をリボンで飾り付けることもあれば、ビニール袋に色紙を封入することもある。何も考える必要のない悲しいほど単調な仕事。

ラジオから何度となく同じ曲が繰り返し流れている。これがヘビーローテーションってやつだな。売り出し中の曲を何度も何度もラジオで聞かせて、リスナーの耳にこびりつかせてしまう。こんなやり方でヒットさせてしまおうという手口。歌うことが仕事だなんていいなぁと思う。私に才能があったならなどと、ないものをねだってしまう。それにしても暗い歌だ。こんな歌がヒットするのかしら。もっと明るくて調子のいい歌じゃないと、内職もはかどらないじゃないか。お経みたいに単調で葬送曲みたいにゆっくりとしてこけの生えた岩肌みたいにじめっとした歌。どんどん気持ちが落ち込んでくこの感じ。こんな曲が流行ったら自殺者が増えるのではないかしら。

♫嫌だ嫌だと泣いて暮らす

    それでも陽は暮れまた登る

    おんなじことを繰り返し

     嫌になるまで息をする

ふと思った。これは私への贈り物かもしれない。陰鬱だと思ったが、私にぴったりの歌だ。毎日毎日同じ作業を繰り返す私のテーマソングだ。これはヘビーローテーションではない。私のために作られたヘビーローテンションの歌なのだ。

            了


読んだよ!オモロー(^o^)(6)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

第九百三十六話 これからは同窓会 [文学譚]

 故郷の駅前に新しくできた居酒屋に今回は五人集まることになってたのだが、実際にやってきたのはたった三人だけだった。夏や正月の休暇になると、地元を離れて東京や大阪に行ってしまった友人たちも里帰りして来るので、一度集まろうよということになってからすでに十年ほどが過ぎた。毎回同じメンバーを中心に、時々は違うメンバーも現れて楽しい時間を過ごすのだ。最初のころは多いときでは十数名が集まってそれぞれの近況を披露し合った。だが、歳を重ねるごとになにかと用事が増えるのか、あるいは事情が変わったのか、出席しない人間も増えてきて、ここ数年は会そのものが一年開いたり二年開いたりしているのだ。

 今回は二年ぶりの集まり。海外赴任していた山本が帰って来るということもあって集まったのだが、肝心の山本が帰ってこれなくなったという。それにもう一人は……。

「あいつさ、前回のときも妙な咳をしてたしなぁ」

 和也がジョッキの底に残っていたビールを飲みほしてから呟くように言った。それを見た孝太は自分のジョッキを持ち上げて店員にお代わりの合図を出しながら答えた。

「そうだよ。煙草を止めろよって言ってやったのに」

 純一も同じ話題に加わった。みんなもう三杯目の生ビールというあたりになると自分たちの話はひと通り済んでしまい、ここにいない人間のことに話が及んでいった。

「まさか急に癌が見つかるなんてさ、人間わからないもんだな」

「そういえば他にもいなくなった奴で……」

「ああ、聞いた。俊郎は胃がんだった」

「ステルスかなんかいうやつだろ?」

「あっけなかったらしい」

「お前、葬儀には行ったのか?」

「いいや。俺も後から聞いたんだ」

「なんだかなぁ……やだなぁ、そういうの」

「やだっても、もうそういう歳だもの、俺たち」

「そうなんだよなぁ、いやだいやだ」

 急に純一が真面目な顔になって二人に質問をする。

「知ってるかい? なんで歳とると同窓会とか多くなるのか」

「同窓会が? たしかにな。若いころって何十年ぶりの同窓会だったものな」

「そうだろ? もう引退も近くなってから妙に同窓会って増えると思わない?」

「そうそう、小学校のも、中学校のも、最近やたらと多い」

「なんでだと思う?」

「さぁ……それって答えがあるのか?」

「あのな、教えてやる。誰だって、寿命が近付くと過去を振り返りたくなるものだ」

「ああ、それ、わかる」

「だろ? こないだ観た映画でもさ、余命宣告された主人公がさ、昔の知り合いん家を訪ねて回るんだよ」

「わかるなぁ……それで?」

「うん、みんなもうあまり先がないとわかったら、子供時代の友人や、昔世話になった店とかに行きたくなるのさ」

「なるほど。だからこうやって……」

「そうだ、同窓会っていうのは、言ってみればみんなそろそろ死ぬ準備をはじめているんだよ。そうとは意識してはいないがな」

「ほんとかよ、それ。誰が言った?」

「誰って……俺の考えだけどよ」

「なぁんだ」

「でも、それって案外そうなのかも知れないな」

「うんうん、説得力あるわぁ」

「で、肝心の山本はなんで来ないんだ」

「うん、詳しくはわからないが、帰国直前になにかトラブルがあったらしいんだ」

「トラブルかぁ……なんだろうな、それ」

「わからん」

「それにしても今回三人とはな、ちょっと寂しいな」

「まぁいいじゃないか、俺たちだけでもこうして集まれたんだから」

「でもさ、三人じゃぁもう、同窓会って感じでもないよな。こっち二人は地元暮らしでいつでも会えるんだしさ」

「そうだな。つまらんな、いつもお前の顔しか見れないなんてな」

「なにを!」

「まぁまぁ……いいじゃないか、それでも」

「次回、どうする?」

「どうするって?」

「この、同窓会だよ」

「続けようぜ」

「でもなぁ、なんだか同窓会って感じでもなくなってきてるし」

「そうか? それがどうした?」

「だから、どうしようかって聞いてるんじゃないか」

「まぁ、ただの飲み会ってことで」

「それもまたつまらんな」

 和也と孝太のやり取りをしばらく聞いていた純一が口をはさむ。

「まぁ、また誰か加わるかもしんないし、あるいは、この三人のうちの誰かが欠けることになるのかもしれんし……」

「この三人のぉ……? いやなこというね」

「でも、その通りだな」

「だからもう、これから先はその都度どうするか考えることになるんだろうな」

「そりゃぁ面倒だ」

「だから、こうしよう。この同窓会。毎回考えるんだろ、どうしようかって。だからこれは」

 純一が最後の言葉を言うのと同時に和也と孝太も声に出した。

「だからこれは、どうしょう会!」

 二人とも純一のオヤジギャグにはすっかり馴染んでしまっているのだ。

                                            了


読んだよ!オモロー(^o^)(4)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

第九百三十五話 あほ踊り [文学譚]

 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊らなそんそん!

 よしこののしらべとお馴染みの陽気な歌を聞きながら、大人も子供も年寄りも、男も女も踊り狂った四日間があっけなく終わった。

  祭の後の寂しさよ、などという言葉通り、賑やかであればあるほど喧騒の後の町はいつになく静かに感じてしまうのは私だけではないだろう。今日と明日、残り 二日間の休暇が終わると、月曜日からはいつも通りの日常がはじまる。そのときになってまだ祭りの余韻を引きずっていては仕事も捗らないだろう。そう思うか ら残り二日間は身体を横たえ、心静かに過ごさなければならないと思う。それなのにまだ、頭の中ではあのしらべが流れ続けているのは例年通りだ。そう簡単に は抜け出せないのだ。だからこそ二日ほどのリハビリ期間が必要なわけなのだ。

  町のみんなはどうしているのだろう。こんな状態は私だけではないはずだ。近所のコンビニに行くついでに人々の様子を観察する。道ゆく人も、コンビの客も店 員も、見た目には静かな日常に帰ろうと平穏にしているようだ。だが内心はそうではないのが、彼らの肩や足先、指の先に見て取れる。そうなのだ。私に限らず 世の中の誰もが普通にしていても身体のどこか一部が踊り続けているようだ。その心と身体の葛藤からか、そこここで怒鳴り声が聞こえたりする。

「お前、もう祭りは終わったんだぞ、いつまでたらたらしているつもりなんだ!」

「そ、そんなこと言わないでくださいよう。店長だって昨日まであんなに浮かれていたじゃぁないですかぁ」

 頭に中で歌詞が変わる。

 怒る阿呆、ビビる阿呆。同じ阿保なら怒らなそんそん

 いや、そんなことはあるまい。なにもカリカリ怒らなくても。祭りの直前にあった上司との揉め事を思い出してしまう。ああ、そういえばなにもかもが嫌になってた。死にたいとさえ……頭の中の歌がまた変わる。

 生きる阿呆、生きぬ阿呆、同じ阿保なら……

 ひとりでに指先がぴょこんと跳ねる。

                                 了


読んだよ!オモロー(^o^)(3)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

第九百三十四話 線香の煙 [怪奇譚]

 今年いちばん暑い一週間が終わろうとしている。窓の外では蝉がやかましく騒いで、過ぎていく夏を引きとめようとしている。まだ、盆休みは二日ほど残され てはいるが、窓の外からにじり寄ってくる残暑の気配に、ああ、今年の夏も夏が終わろうとしているのだなあという気分がしみじみと湧き出てくるのだ。

 子供だった頃なら、夏休みはまだもうしばらく続くので、泳ぎに行こうか、虫採りをしようか、それとも自転車で遠乗りしようかとまだまだ遊び足りない夏を 楽しもうとしていたはずだが、大人にとっての夏は悲しいくらいに短いのだ。ドリルも自由研究もないかわりに、いつもと変わらぬ日常がすぐにはじまってしま う。

 仏壇の鐘がちーんと鳴って、ろうそくに火が灯される。懐かしいお線香の香りが漂いはじめると、いよいよみんなも帰っていくのだなと、少しだけ寂しい気持 ちにとらわれる。兄貴たちは東京行きの切符が手配済みなのだろう、しきりに時間を気にしているし、妹夫婦は自家用車に積み込む荷物をまとめはじめた。両親 も祖父母も、子供たち孫たちがそれぞれの家に帰ろうとしている様子を静かに見つめている。ほんとうはもうしばらくいてくれたらいいのにと、音を出しそうに なるのをじっと堪えているのが手に取るようにわかる。私だって同じ気持ちなんだもの。でも、みんなそういうわけにいかないことくらいわかっている。それぞ れの生活が、人生が、待っているのだからね。私も、ご先祖様たちも、生きている者を止めることなどできない。してはいけないのだ。たとえ思いが強いとして も。お線香の煙とともに次第に薄れていく自分の影を感じながら私は、同じように仏壇の中で薄れていく父母や祖父母の後ろ姿を眺めていた。

                              了


読んだよ!オモロー(^o^)(4)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

第九百三十三話 特別なお化け屋敷 [怪奇譚]

 夏場の遊園地やお祭りにつきものなのがお化け屋敷というアトラクションだ。最近ではお化け屋敷プロ デューサーという肩書を持つ人も登場しているらしく、各地でその手腕を発揮しているという。私が住んでいる町でも今年は斬新なお化け屋敷が公開されると聞 き、恐いもの好きの私としてはなんとしてでも新しいお化け屋敷と言うものを体験したいと思っていたのだが、なにかと雑用仕事が多くてなかなか赴けないでい た。

 ようやく一日だけ休暇が取れたので夕方までゆっくり休んで、日暮れとともにお化け屋敷のあるところへと向かった。交際中の彼女も誘っ てみたのだが、そういうのは金輪際お断りと言われ、仕方なく男ひとりの恐怖体験だ。お化け屋敷は古びた商店街の中にあった。「恐れたお化け屋敷」という看 板が大げさな血のりのついた文字で描かれた看板がかかっていた。夏祭りも昨日で終わり、もうひと通りの客は楽しみ終えたと見えて、入館の列さえなかった。

  入口横に切符の自動販売機があって、おひとり様500円と書かれてある。ちょっと高いなと思いながらコインを入れると、小さな紙片がこぼれ出た。入口横の 小さな窓口に切符を差しだして、暗くなった建物に足を踏み入れる。このお化け屋敷はなにが斬新なのかというと、業界で初めて本物の家、つまり古民家を利用 したアトラクションなのだそうだ。たしかに作りものではないリアリティを感じた。もともとは商店街の中で商売をしていた建物だということだが、もはやどこ が店になっていたのかわからないほどに手が入れられている。土間らしきところから靴を履いたまま一段上がると廊下が続いている。古い日本家屋というもの は、それだけでなにかひんやりと感じるものがある。ぎしっぎしっと板張りの廊下がきしむ。右側に和室があって、老婆が後ろ向きに座っている。その横を通り 過ぎなければならないのだが、動かぬ人形である老婆が妙に気持ち悪い。通り過ぎようとしたそのとき、きりきりきりという音とともに首だけがこっちを向い た。その口は耳まで裂けて……ぎゃあー! でもこれ、作り物でしょ? よく出来てるけど。老婆の横を通り抜けてさらにオクへ進むうちに、お化けの扮装をし た縁者が飛び出してくる、天井から気色悪いものが落ちてくる、壁から血のりをつけた蝋人形が飛び出してくる、と様々な仕掛けが楽しませてくれた。十数分で すべてのアトラクションを堪能して出口にたどり着いた。どうやら入館した入り口の横あたりなのだが、もう一度入り口の看板を見ておこうと見上げたがどこ にも見当たらない。はて? 間違えてるのかなと思って呆然と立っていると、商店街の一員らしき男が寄ってきて言った。

「あれ? お化け屋敷ですかぁ? 残念でしたねぇ、これ、昨日のお祭り終了と一緒に終わっちゃったんですよ。もう、何もありませんよ。一日遅かったですね」

                              了
読んだよ!オモロー(^o^)(4)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

第九百三十二話 墓参り [怪奇譚]

 次男坊である父の家には仏壇がなかった。そのせいかどうかはわからないが、子供のころには墓参りをしたという記憶がほとんどない。親戚はみなそれなりに長生きで、私が子供のころに亡くなった人がいなかったからかもしれない。父が晩年ある事情で長男家の墓と仏壇を引き取ることになってから、にわかにご先祖様のお参りという習慣が身近なものとなった。月に一度お坊さんがお経をあげに来るという月参りも大人になってから経験した。とはいうものの、まもなく実家を離れてしまった私には、やっぱり墓参りなどの習慣は縁遠いものであり続けた。

 それから二十年以上も過ぎて、父が亡くなってようやく墓というものがより身近なものになった。しかし闘病する間もなく動脈を破裂させて逝った父の死に様はまことにあっけないもので、はじめての肉親の死である割には現実感が乏しく、墓の中にお骨が入っているといわれてもおいそれとは手を合わせる気持ちになれなかった。母が毎月墓参りをするのにつきあわされて一緒に拝んでいたというのがほんとうのところなのだ。

 墓参りだけは必ずきちんとするように。母が亡くなる数年前に釘を刺された。なにをおいても墓参りをしておかなければ、ろくなことにならない。先祖をないがしろにするということは、すなわち自分自身の血を、ひいては自分の人生をないがしろにするのと同じだ。なにを根拠にしているのかはわからなかったが、母はそのようなことを強く言いつけた。

 しかし、もとより宗教を持たず信心する習慣もない人間にとって、墓参りなどというものは単なる形でしかなく、たとえ父母の骨が入っているといえども、形式以上に祈り奉るという心がない。いきおい墓参する回数は毎月とはならず、三月に一回、半年に一回、一年に一回という具合に少なくなっていった。父母のことなのにいけないと思いつつも、ついたかが手を合わせるためだけにわざわざ車を走らせて遠い墓まで行くという行動が面倒くさいのだ。部屋に置いてある遺影に向かって挨拶をすればいいではないか、という軽い行動で済ませ続けた。

 墓参りに関してはそのような心得で数年が過ぎ、年に一度の墓参りすら滞りがちになったいま、ふと母の言葉を思い出して我を振り返った。そういえば母と毎月お参りをしていた時分は、何もかもが上手くいっていたような気がする。母が亡くなったあたりでは経済低迷のために会社業績がすぐれず、そのために給与も下がり続けてきた。肉体的にも年齢のせいだと思うのだがあちこち病の芽が出はじめている。これはもしや墓参りを怠っているせい? 一瞬そんな疑念が生じたが、すぐに首を振った。いやいや、偶然そういうタイミングが重なっているだけだ。墓参りなど、家で写真に手を合わせるだけでなにがいけないのだ。帰宅途中、今週からお盆休みだがどこに遊びに行こうか、と考え事をしながら歩いていたのだが、唐突に目の前が真っ暗になった。脇見運転のトラックが私を引き飛ばして逃げて行ったのだ。

                                                    了


読んだよ!オモロー(^o^)(4)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

第九百三十一話 盆休みの終わりに [幻想譚]

 盆休みという言葉にはなにか特別な印象がつきまとう。夏休みでも夏季休暇でもない、ただお休みをするということではないなにか。私の実家は遠い田舎にあるわけではなく、住まいからほんの一時間ほどのところにあるので、普段いつでも帰ることができた。しかしそれほど近くにありながら、実際には仕事や日常の些事にかまけて実家に足を運ぶのは盆と正月とあと数回くらいのことだった。

 父親が亡くなったあとの十数年間、母親がひとりで実家を守っていたのだが、盆には必ず子供一家が帰ってくると信じて待っていたのだと思う。それなのに盆休みを迎えた私の一家はまず家族旅行をして、そのついでに実家に立ち寄るというようなことをしていた。それでも母は文句のひとつもいわず、仏壇に燈明を灯し、ひとり墓参りを済ませて、私たち一家のためにごちそうを用意して待ってくれていた。昔ならばたくさん兄弟がいて盆や正月の実家は夫婦子供で賑やかになっていただろうが、私たちは二人兄弟で、しかも兄は東京なので、二年に一度くらいしか帰って来ないのだった。

 古くからあるような実家ではなく、まだ独身だった私が同居していた頃に鉄骨に建て替えたような家で、物語に描かれるような古い階段も、煤だらけの天上裏もない、モダンな佇まいだったが、それでも燈明に灯が入り、線香に煙が上がると、いかにもお盆という雰囲気が漂ってくる。小家族ではあったが、久しぶりに親子が大テーブルを囲み、それなりに賑やかな数日間を過ごしたものだ。しかしそれすらもいまは過去の話。四年前に母親が逝ってしまってからは、実家は空き家になり、法要のために兄が泊まりに来るだけの場所になってしまった。

 がらんとひと気がなくなってしまった広間に、年に一度兄夫婦が泊まりにやって来る。私もそれに合わせて法要に参加するのだが、夜になってそこで一家の晩餐をするでもなく、用事を済ませると皆で外食をして三々五々帰っていく。母がいなくなった実家が迎える盆休みはそんな風に変わってしまっていた。

 そもそもこの家の主で会った父や母はこのような変化をどう感じているのだろうなどと、思ったことがなかった。父母は既に仏壇の中にいて、法要や墓参りをしているからそれで満足だろうと思っていた。けれども、家というものはそんな気楽なものではなかったのかもしれない。お参りをすればいいだなんて、なんと心のこもらない行為だったことか。いまになってそれがわかる。母が生きている間はそうでもなかったのだろうが、家が空き家になってからというもの、ほんとうのところは、父も母もせめて盆や正月くらいは、この家を賑やかにしてほしかったようだ。

 今年も早々に盆の法要を済ませて東京へ帰っていく兄一家の後姿を、玄関のところで生前と同じ姿の父母が静かに見送っている。去年まではそんな姿を見ることができなかった私は、父母の後ろに立ってその姿を眺めている。兄一家の姿が見えなくなるとようやく父母は振り返って少しだけさみしそうな表情で私に頬笑みかける。私たちは黙って家の中に戻り、今度は三人で大テーブルを囲んでしばしの盆休みを楽しむのだ。

                                               了


読んだよ!オモロー(^o^)(3)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

第九百三十話 死者からの物語 [幻想譚]

 ある駅を降り立って、いつものように妹一家が暮らす家へと向かう。月に一度、ときには週末毎に訪ねる妹の嫁ぎ先は都心から二時間も離れた近郊の町で、いまだに独身生活に甘んじている私を疎んじることもなく招き入れてくれるのだ。と、こんな風にさも平凡な姉妹の物語として語られていくその後半で、知らず事故や事件に巻き込まれてしまい、気がつけば葬儀の席に迷い込んでしまう。はて、なんだこれは、誰の葬儀かと思えば実は自分の・・・・・・。

 こうした怪異譚はよくある手口なのだが、ここでふと思う。一人称の「私」で語られているのに、最後には「私」は死んでしまっていて、下手をすればそのまま魂が天に召されて終わるのはいいが、ではこの物語はいったい誰が語っていたのかと不思議に思う。もちろん小説=作り話のことだからそんなもの、作り手である第三者が語ってるのだとか、いやいや実は神の視点なのだよとか、理屈は後からいくらでもつけられるのかもしれないが、いったんおかしいなと思ってしまうと、どうしても素直に物語を受け入れることができなくなってしまうのだ。だって死人が生きているように語り、最後にはそうさ、自分はもう死んでいるんだだなんて明かすのはおかしいじゃないか。

 そこで作り手たちは、そう、この物語は亡くなった人の手記をもとに編纂されたものだとか、実は家庭用ビデオに収められていたんだとか、もっともらしい種明かしをくっつけてリアリティを加味してみたりする。そうすることによって嘘の話でさえ実際にあった話に基づいているんだと信じ込む人間も出てきて、物語はどんどんひとり歩きしていく。嘘まみれの世の中で、人々は真実の物語を希求しているから。

 しかし、ほんとうはそんな嘘をでっちあげる必要なんてない。死んでしまった人間は、自分ではその経験談を語ることなどできないけれども、生き残っている他人の口や手を借りることはできるわけだから。そんな幽霊みたいな話は信じないぞという人もいるだろうが、無理に信じる必要はない。信じたくなければ他の説を信じるなり、一切こういう話に目を閉ざすなり、それは個人の自由なのだからね。だが、世に怪異譚や幽霊話があまたあるのはなぜかと考えてみると、自ずから答えは出ているようなものだ。火のないところに煙は出ないという諺どおりにね。死者が生者の口を借りて語らなければ、どうやって自分が死に至ったのかなどという物語がこの世に残るはずがない。

 いまここで話しているこの話も、実はこの書き手の意識に入り込んで書かせているものなのだが、なぜそうしてまでしてこの意見を伝えたかったのかって問われてもぼくには答えようがない。ぼくは誰かに殺されたわけでも、変死したわけでもなく、この世になんらか未練を残して死んでしまったということでもないから、敢えてこの世に送りたいメッセージも持たないのだけれども、ぼくだって生前書き手の片割れだったことを思い出して、死者からの物語を、誰がどうやって語るのかという大問題について、少しだけ意見したくなっただけなんだ。まぁ、信じるか信じないかは自由なんだけどね。

                                        了


読んだよ!オモロー(^o^)(4)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。