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第九百二十八話 ヘリコ [妖精譚]

  なんでここに住むようになったかって? そんなことわからん。そうじゃろ? お前さん、どうしてこの世界に 生まれてきたのかなんて聞かれて答えようがあるか? 長老はそう答えた。なぜここにいるのか。なぜこの世界に生まれてきたのか。なんのためにここで生き ているのか。確かにそんなことをほじくり返しても答えなど見つからないのだ。

  ただ、今を懸命に生きること。生きるために呼吸をし、ご飯を食 べ、より良い環境にするために努力する。それが私たちに出来る最善の生き方なのだ。私たちが住むこの世界は、ある意味ぬくぬくとして過ごしやすく、危険な 敵もいないから最高の住処とも言えるのだが、ひとつだけ対処すべきことがあるのだ。

「おおい! 大変だ。また酸性雨がやってくるぞ!」

  仲間の一人が大声で叫ぶ。私たちは急いで作業に取りかかる。この柔らかい壁を掘って、削って、酸性雨を回避する。私たちを安全に包み込んでくれている壁の はずなのだが、一日に数回、この壁から酸性の液体が滲み出てきて、それが酸性雨として降り掛かってくる。この酸性雨は我々のみならずここにあるあらゆるモ ノを溶かしてしまう恐るべき液体だ。我々一族は、遥か太古からこの酸性雨を相手に戦いながら生存してきた。戦うといっても雨という大自然の営みを相手にす ることなどできない。大洪水から逃れるように、天から降る雷を避けるように、一族が滅んでしまわぬように環境を改善することが戦いの方法だ。酸性雨を発生 させる壁を掘ったり削ったりすると、そこからは酸性液は出てこなくなる。この面積が増えれば増えるほど、一族が生きのびるチャンスは増すということだ。だか ら私たちは日夜壁を相手に作業を続けているのだ。

 ピンク色をした壁を掘ると、壁の性質が少しづつ変化して酸性雨を出さなくなる。これによって壁はより堅い物質へと変化するからなのだと考えられている。とにかく私たち一族はこうしてこれまで生きながらえてきたのだ。



「ははあ、萎縮性胃潰瘍ですねぇ」

 内視鏡によって映し出されたモニターを見ながら医師が言った。胃潰瘍と聞いて私はぎょっとする。

「胃潰瘍ですか……?」

「ああ、大丈夫ですよ。おそらくピロリ菌がいると思いますね。血液検査で調べてみましょう」

「ピロリ菌……?」

「ええ、胃の中にいる菌です。聞いたことあるでしょ? 胃酸の出る胃の中で唯一生存できる菌ですよ。これが胃壁を傷つけて、潰瘍や癌を引き起こすんですよ」

「ええ!?」

「大丈夫ですよ。抗生物質を一週間飲めば、除菌できますから」

 人類の半分は持っていると言われるヘリコバクター・ピロリ菌というものを、私ははじめて自分のこととして知ることになったのだ。

                                了


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