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第九百二十一話 落語者 [文学譚]

 きっかけはなんだったのか皆目覚えちゃいないのだが、思春期がはじまる頃の私は上方落語に魅せられていて、片っ端からレコードやカセットテープに収められた桂米朝全集と桂枝雀の音源をなんども繰り返して聴いていたのでございます。それらを五十ぺんほど聴いてテープも伸びてしまった頃には、音楽やファッションに対する情熱と同じように、落語への熱も麻疹が治るように消えていったのでございますが、その頃の音源は大人になってからも青春時代の残骸として手元には残っている、そうしてときには青春を思い出すように引っ張り出して聴いているのでございます。果たしてこのような人間がまともな大人として暮らしているのかといいますと、これがなかなかそうはさせてもらえないのがこの世界のお定まりでして……。

「おや、おかみさん。どこかへお出かけかえ?」

「なに言ってんだよ、おまいさん。わたしゃたしかにあんたの嫁ですけどね、そんな古臭いおかみさんなんて呼ばれる筋合いなんてないんですよ。……いやなに、ちょっとそろそろ夏物が安くなってやしないかと思ってね、バーゲンを見に行くところですよ」

「あ、そう。いってらっしゃーい」

「しめしめ。女房の奴が出かけている間、おらぁ自由だ。さぁてなにをして楽しんでやろうかなと」

 普段は女房の尻に敷かれてしまっていてなにをするにも女房の言いなりという生活を強いられているものですからな、いざ自由だとなるとなにをすればいいのかさえ分からないというだらしない男、それが私なのでございますな。押入れから将棋盤を出してきて詰将棋をするもひとりでは面白くない。テレビをつけてもつまらない番組しかやっていない。昼間から酒を飲むったって、肴を用意するのも面倒くさい。そんなところへ都合よくご近所の悪友がやってくるのがこうしたお話なんですな。

 とんとん、いてるか? とんとん!

「おう、クマ公。どうした?」

「クマ公ってあんた。またそれかいな。俺は熊五郎でも熊吉でもないが・・・・・・お前がそう呼びたいんならそれでもええが……暇にしてるんやったらパチンコでも涼みに行かへんかい?」

「パチンコかぁ。長らく行ってないが、そうやな、久しぶりに出かけてみるか」

 こうして二人暑いさなかぞろぞろと歩いて駅前のパチンコ屋に向かいます。

「おぉ。相変わらず騒がしいもんやなぁ、こういう店は」

「当たり前や、賑やかやからええのとちゃうか? ほな、それぞれ楽しもか」

 最近のパチンコは随分システマチックになって、貸し玉もカードかなんかをまず手に入れてっちゅう面倒くさいことになっとおる。最初はそれがわからんとまごまごしていたが、隣の人の様子を見てようやくやり方がわかった私は、五千円札で貸し玉カードを手に入れて玉を打ちはじめた。昔のパチンコ台はひと玉ずつ手打ちではじくあの感触が好きだったのだけれども、いまはもうそんな台はひとつもない。全部電動で、玉はあっという間に飛び出していく。しかも台の中は電役とかなんとかいう仕組みでアニメのキャラクターやら女子高生やらが所せましと動いていて、何がなにやらわからんような賑やかさ。その動作の陽気なこと!

 (音曲)チ―ンジャラジャラチ―ンジャラジャラ

 五千円分の貸し玉はほんの五分ほどですっかり台の中に吸い込まれてしまって、気がつけば財布の中身もからっ欠。クマ公に貸してもらおうと店内を探すが、どこに行きやがったか影も形も見えやしない。途方に暮れている私の足元に銀色の弾がひとつころころと転がってくる。こんなもの拾うやなんて格好の悪い。こんなもん拾うのはホームレスくらいやで。と思うものの、腰がスーッと下がって右手が自然に動いく。周りの様子を伺いながら知らん顔して玉を拾い上げる。拾った玉を両手で握りしめて、頼んだで! と念を入れ、給玉台の中に放り込む。電動であっという間に台の中に飛び込んでいく玉ひとつ。その行方を一生懸命に追いかけていますと、最上部の四つの釘の三番目ではじかれたと思ったら、そのままストーンと役萬ポケットに落ちた! 大当たり! ど真ん中の昔でいうチューリップが大開になる。……普通ならこのときすでに後続する玉がなければならないところだが、残念ながら玉はいま打ったひとつだけ。その玉が入ったことで出てきた数個の玉で追いかける間に閉じてしまう! 焦る私。だが、どうしたわけか真中のチューリップは開いたままで、次の玉を悠々と待ち受けている。こうなればしめたもの。次々出てくる銀玉を次々と送り込んで、懸賞玉は倍々ゲームでどんどん出てくる。受け皿がいっぱいになり、別に用意された外函も次々と満タンになり、私は日雇い労働者みたいにとにかく玉を函に詰めていく。遂には函づめも間に合わなくなって、玉があふれ出す。いかん、このままでは玉の洪水に飲み込まれてしまう!エライこっちゃ。玉が、玉が止まらない! うーん、うーん!

「ちょっとあんた。どないしたん。ちょっとあんた!」

 はっと目を開けると目の前で女房が心配そうな顔をして私の顔を覗き込んでいる。

「あれ? パチンコ台は? 玉は?」

「またパチンコの夢見てたんか? もうええ加減にして目え覚ましてもらわんと。あんたには落語かパチンコしかないのかいな。そろそろ働き先を見つけてもらわんことにはなぁ」

 はぁ。ゆ、夢か。毎回同じ夢。どういうこっちゃこれは。そろそろ仕事を見つけて落ち着かなあかんということかいな。そうかそうか、そういうことか。それにしてもこの話、落語好きの私の話やのに、オチのない話になってもうた。いや待てよ。仕事もせんとこんなことばっかりで落ち着かん……オチつかんっちゅうことで、ええわけやな。

                                                  了


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