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第九百三十二話 墓参り [怪奇譚]

 次男坊である父の家には仏壇がなかった。そのせいかどうかはわからないが、子供のころには墓参りをしたという記憶がほとんどない。親戚はみなそれなりに長生きで、私が子供のころに亡くなった人がいなかったからかもしれない。父が晩年ある事情で長男家の墓と仏壇を引き取ることになってから、にわかにご先祖様のお参りという習慣が身近なものとなった。月に一度お坊さんがお経をあげに来るという月参りも大人になってから経験した。とはいうものの、まもなく実家を離れてしまった私には、やっぱり墓参りなどの習慣は縁遠いものであり続けた。

 それから二十年以上も過ぎて、父が亡くなってようやく墓というものがより身近なものになった。しかし闘病する間もなく動脈を破裂させて逝った父の死に様はまことにあっけないもので、はじめての肉親の死である割には現実感が乏しく、墓の中にお骨が入っているといわれてもおいそれとは手を合わせる気持ちになれなかった。母が毎月墓参りをするのにつきあわされて一緒に拝んでいたというのがほんとうのところなのだ。

 墓参りだけは必ずきちんとするように。母が亡くなる数年前に釘を刺された。なにをおいても墓参りをしておかなければ、ろくなことにならない。先祖をないがしろにするということは、すなわち自分自身の血を、ひいては自分の人生をないがしろにするのと同じだ。なにを根拠にしているのかはわからなかったが、母はそのようなことを強く言いつけた。

 しかし、もとより宗教を持たず信心する習慣もない人間にとって、墓参りなどというものは単なる形でしかなく、たとえ父母の骨が入っているといえども、形式以上に祈り奉るという心がない。いきおい墓参する回数は毎月とはならず、三月に一回、半年に一回、一年に一回という具合に少なくなっていった。父母のことなのにいけないと思いつつも、ついたかが手を合わせるためだけにわざわざ車を走らせて遠い墓まで行くという行動が面倒くさいのだ。部屋に置いてある遺影に向かって挨拶をすればいいではないか、という軽い行動で済ませ続けた。

 墓参りに関してはそのような心得で数年が過ぎ、年に一度の墓参りすら滞りがちになったいま、ふと母の言葉を思い出して我を振り返った。そういえば母と毎月お参りをしていた時分は、何もかもが上手くいっていたような気がする。母が亡くなったあたりでは経済低迷のために会社業績がすぐれず、そのために給与も下がり続けてきた。肉体的にも年齢のせいだと思うのだがあちこち病の芽が出はじめている。これはもしや墓参りを怠っているせい? 一瞬そんな疑念が生じたが、すぐに首を振った。いやいや、偶然そういうタイミングが重なっているだけだ。墓参りなど、家で写真に手を合わせるだけでなにがいけないのだ。帰宅途中、今週からお盆休みだがどこに遊びに行こうか、と考え事をしながら歩いていたのだが、唐突に目の前が真っ暗になった。脇見運転のトラックが私を引き飛ばして逃げて行ったのだ。

                                                    了


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