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第九百三十四話 線香の煙 [怪奇譚]

 今年いちばん暑い一週間が終わろうとしている。窓の外では蝉がやかましく騒いで、過ぎていく夏を引きとめようとしている。まだ、盆休みは二日ほど残され てはいるが、窓の外からにじり寄ってくる残暑の気配に、ああ、今年の夏も夏が終わろうとしているのだなあという気分がしみじみと湧き出てくるのだ。

 子供だった頃なら、夏休みはまだもうしばらく続くので、泳ぎに行こうか、虫採りをしようか、それとも自転車で遠乗りしようかとまだまだ遊び足りない夏を 楽しもうとしていたはずだが、大人にとっての夏は悲しいくらいに短いのだ。ドリルも自由研究もないかわりに、いつもと変わらぬ日常がすぐにはじまってしま う。

 仏壇の鐘がちーんと鳴って、ろうそくに火が灯される。懐かしいお線香の香りが漂いはじめると、いよいよみんなも帰っていくのだなと、少しだけ寂しい気持 ちにとらわれる。兄貴たちは東京行きの切符が手配済みなのだろう、しきりに時間を気にしているし、妹夫婦は自家用車に積み込む荷物をまとめはじめた。両親 も祖父母も、子供たち孫たちがそれぞれの家に帰ろうとしている様子を静かに見つめている。ほんとうはもうしばらくいてくれたらいいのにと、音を出しそうに なるのをじっと堪えているのが手に取るようにわかる。私だって同じ気持ちなんだもの。でも、みんなそういうわけにいかないことくらいわかっている。それぞ れの生活が、人生が、待っているのだからね。私も、ご先祖様たちも、生きている者を止めることなどできない。してはいけないのだ。たとえ思いが強いとして も。お線香の煙とともに次第に薄れていく自分の影を感じながら私は、同じように仏壇の中で薄れていく父母や祖父母の後ろ姿を眺めていた。

                              了


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