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第千話 折り鶴 [文学譚]

 定期入れの中にたまった古いカードなんかを整理していると、小さな折り鶴が出てきた。

 金色の千代紙で丁寧に折られた鶴はちょうど半分に折りたたまれた形でいつからそこに入っていたのか思い出せないのだが、古びることもなくきちんとした形のままカードとカードの間に収まっていた。

 どうしてこんなところに鶴が入っているのだろう。僕は手先が不器用で大人になってからは折り紙などしたことがない。普通のサイズの折り紙でも鶴を作れないのに、こんな小さな形に折れるわけがない。そっと取り出して調べてみると実にきちんと折られていて羽根の付き合わせにも首の折り目にもどこにも破綻がない。よほど几帳面で上手な折り手がこしらえたものなのだろう。そんなものが勝手に僕の定期入れにもぐりこむわけもなく、誰かにもらったものを僕がここにしまいこんだに違いない。僕はほかにこのようなものをしまう入れ物は財布か定期入れぐらいしかなく、財布だと日常的に出し入れするからきっとこんな紙などすぐにぼろぼろになってしまう。定期入れならめったに中身を取りださないからカードに挟んでしまい込めば大丈夫だとふんだに違いない。

 そこまでして後生大事に持っていた代物なのに、どうしてそれを持っているのか皆目思い出せないでいる。

 折り紙が上手だった人物は誰かいただろうか? 

 母は手先が器用で編み物も得意だった。レース編みのテーブルクロスや毛糸で編んだコサージュなどもいとも簡単にこしらえた。だが、母が折り紙を折っている姿を覚えていない。妹はどうだったろう。妹は女のくせに僕と同様に手先が不器用で裁縫のひとつもできなかったし、やはり折り紙を折っていたという記憶がない。まさか父という訳はあるまい。ほかに誰かいただろうか?

 僕は三十路を前にして言うのも恥ずかしいが、この歳まで付き合った女性は一人もいない。もちろん女友達なら何人かいたが、残念ながら恋愛感情を持つことがお互いにできなかった。もちろんその中の誰かが僕にくれた者なのかもしれないが、だとすればなぜそんな鶴を僕にくれたのか、また僕はなぜ大事に持っているのかがわからない。

 小さな鶴の羽根をゆっくりと指で持って広げてみた。鶴は羽根を広げ胴を膨らませ、縮こまっていた首を少し動かして机の上に立ちあがった。輝きを押さえた色合いの金が鶴に上品な趣を与えていた。

 掌に乗せてみたとき、頭のどこかにやわらかいピンク色の肌のイメージがわき上がった。それは僕の掌ではない。もっと小さく繊細で優しい誰かの掌。しかし掌に続く腕も身体もイメージできない。

 ふと眼の奥に痛みを感じる。涙腺かなにかわからないが、目の奥の分泌腺が僕の感情を絞り出そうとしている痛み。気がつくと目の前に薄い膜が生まれて金色の鶴が少し滲んで見えた。

 頭の中のアルバムが広げられる。アルバムに収められた写真はそれほど多くはない。たくさんあったはずなのだが、時間とともに剥がれ落ちてしまったり、故意に外されてしまった写真があるということだ。僕はさほど意識せずに学生の頃のページを開く。音楽系のサークルが集まっていた学生会館で撮った写真がいくつか残っていた。

 記憶をまさぐりながらフレームの中の友人たちをひとりずつ思い出す。ギターの名手と言われたS,ドラムソロが迫力のT,ヴォーカルのMちゃん、ベースのD、サウスポーのギタリストA,みんな覚えている。だが僕の隣にいたはずの女の子が思い出せない。顔も名前もなにもかも。僕が好きだったあの子。

 彼女といた時間は驚くほど短かった。その短時間の間に街に出、海に出かけ、遊園地や旅行にも行ったはずなのだが、その思い出は何ひとつ残っていない。ふいにアルバムの隅っこに浮かび上がる白いベッドのイメージ。サークルのみんなが学生会館に集まり苦労して織り上げた千羽の鶴。僕からそれを受け取った彼女がわたしも作ってみたいと言った。

 お見舞いにもらった菓子を包んでいた金色の紙を上手に伸ばし、ベッドの上に横たわったまま彼女は巧みに一羽の鶴を生み出した。ほら、わたし器用でしょ。ほんとはこれを上げる方にいたかったな。掌に乗せた金色の鶴を僕に渡して、これはわたしが生きていた証よと言った。

 彼女のいない世界に生きてもしかたがないと思った。そんな世界から逃げ出したいと思った。僕はアルバムの中でいちばん多かったイメージをすべて消し去り、すべてがなかったことにした。ただひとつ小さな証を除いて。

 平安京の時代からあったと言われる折り鶴は、長い年月をかけて人々の思いによって折り続られてきた。昭和になってからある広島に生きたある女性が願いを込めた千羽鶴が広く知られるようになったという。

 だが僕には千羽もいらない。たった一羽で十分だ。僕の人生を変えてしまった金色の鶴を、僕はもう一度定期入れの中にそっと戻した。

                                                  了


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第九百九十九話 九百九十九 [文学譚]

 ひゃくぬきつくも。九百九十九と書くのだが、これが俺の名前だ。九百と書いてひゃくぬきなんて読ませる姓も困ったものだが、それならいっそと思い切って九十九などという名前を子供につけてしまった親もどうかと思う。

  毎日通っている学校や友人の間でなら問題ないのだけれども、この名前をはじめて見る人にっては大きな迷惑だと思う。

「九百さーん、九百九十九さーん」

 誰もひゃくぬきなんて読めるはずがない。病院の窓口では「きゅうひゃくさん」としか呼んでもらえない。何度か通っている病院でさえだ。

「あの、ひゃくぬきです。ひゃくぬきつくもです」

「あ、ああそうでしたね、ひゃくぬきさん、第二診察室の前でお待ちください」

 第二診察室の前にある長椅子にはすでに年老いた患者がひとり待っていた。

「あんた、九百と書いてひゃくぬきというのか?」

 呼び出しの際のやり取りを聞いていたらしい。爺さんが声をかけてきた。

「ええ、そうです。変わった名前でしょう?」

「まぁそうだな。しかし名字が変わっているのに名前まで九十九とか、どうしたことじゃ」

「そうなんですよ。九百九十九なんて、悪魔の紋章じゃあるまいし」

「あ、悪魔の?」

「あ、いやそれはこっちの・・・・・・おじいさんもこんな名前ははじめてでしょう?」

「そうだな、九百というのはな。じゃが、わしの名字は千と書くのじゃ」

「せん、ですか?」

「そう、お前さんよりひとつ多いな」

「でも千だと読みやすくていいじゃないですか」

「せん、と読むのならな」

「え? せん、じゃないんですか?」

「千と書いて、おおだいと読む」

「そんな読み方があるのですか?」

「普通はそうは呼ばんじゃろうな。だが先祖の誰かが無理やりそう読ませるようにしたんじゃろうな。大台なんて、万以上ぬくらいにしといてほしいもんじゃ」

「で、おじいさんの下の名前はなんというのですか?」

「ああ、それは普通じゃ。年と書いてみのるなんじゃけどな、みんな”みのる”ではなく”にのる”と呼ぶんじゃな、これが」

「なるほど、大台に乗るですか・・・・・・困りましたね」

「そう、困ったがもうとおに慣れた」

 爺さんと話していると、また誰か患者が名前を呼び違えられているようだった。

「せんいちさん」

 なんだ、星野監督が来てるのかと一瞬思ったが、すぐに患者の声がした」

「あのぅ、千一と書いて”いちうえ”と読むんです」

「いちうえさん、第二診察室の前でお待ちください」

 なんてことだ。九百九十九、千、千一と、第二診察室の前で名前がつながってしまったようだ。

「あなた、千一さんっていうんですか?」

「ああ、聞こえてましたか。違うんですよ、千一と書いていちうえ……」

「ああ、そうでしたね。いちうえとは千よりひとつ上ということですね?」

「そうらしいですけど、とても普通はそうは読めない」

「読めませんねぇ。僕とこのお爺さんも同じような名前で……」

 僕は新しく来た若い男にいままでの話題を説明した。

「で、千一さんの下の名前は?」

「それがまた、ややこしくって」

「そんなに難しい?」

「書けば簡単、”一”ですから。これでふつうに、”はじめ”」

「千一一ですか……それはやっかいじゃなぁ」

「なんでそんな名前をつけたんでしょうね?」

「どの道、名字が読めないですから、どんな名前をつけようが同じなんじゃないですかね。僕は親からそう言われました」

「そんなもんですかねぇ?」

「そんなことより、意味を大事にしろって」

「意味?」

「そうです。九百九十九で終わったのではなく、その次にまた千からひとずつはじまる、そういう意味ですよ」

「ああ、なんだか難しい話だなぁ。こじつけのような」

「いや、案外名前ってのはそういうもんじゃぞ」

 爺さんが一説ぶとうかとしたとき、名前が呼ばれた。

「千さん、せんねんさん、お入りください」

 爺さんは唇を歪めて見せてから、診察室に入っていった。

                                                                                                                                      了


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第九百九十八話 最後のその日に [文学譚]

「母さん帰る前になにか美味しいものでも食わしてやって」

 そう言って夫は私に一万円を渡して出かけていった。三日前に突然やって来た義母にもっと泊まっていけばいいのにと言ったのだが、息子の元気そうな顔を見て安心したからと日曜日の朝から帰る支度をはじめたのだ。遠い田舎から訪ねてきた母親が帰ってしまう日くらい、最後まで一緒にいてあげればいいのに、前から約束していたゴルフをキャンセルできないと言って夫は私に母親を預けた。

「いいのよ、気にしないで、忙しいんだから。そのうちまた来るわ」

 義母は息子よりも私と過ごす方が楽しいように振舞ったが、ほんとうはそんなことはなかったはずだ。半生をかけて育てたのにたったの一日を母親のために費やせない息子を、母親は決して悪くは思わないのだ。

 夫がいなくなった家で午前中を義母とゆっくり過ごし、このところ人気の朝ドラの話や、義母がファンだという韓流男優の話でもりあがった。お昼前になって、駅の近くでなにか美味しいものを食べましょうと言って家を出た。午後からの新幹線にはたっぷり間に合う時間だ。お蕎麦が食べたいという義母のリクエストで出雲庵という店を思い出し、そこに行くことにした。

 お蕎麦はね、お父さんが好きだったからよく食べに行ったわという義母は天ざる蕎麦を注文し、私も同じものを頼んだ。義父は五年前に脳溢血で倒れて亡くなったのだが、その直前に食べたのも店屋物の蕎麦だったそうだ。

「ねぇ、ビールでも飲まない?」

 さほどお酒を飲まない義母がそう言ったのは私への気遣いだったのだと思う。私は小瓶を注文して二人で一杯ずつビールを飲んだ。

 ああー美味しい! 一口飲んで義母が言った。秋になってもまだ夏日が続いており、少し歩いた後の一口は確かに美味しかった。グラスまで凍らせて出してくれる店のサービスもビールの味わいを引き立たせていた。出雲庵の蕎麦は十割蕎麦が基本で黒っぽくて細い手打麺が私の好みなのだが、義母も気に入ったようで美味しそうに食べた。天婦羅も噛むとさくさくと音が出る衣が絶妙でこれならいい値段を支払っても文句はないという逸品だった。

 休日の昼間飲むビールは少し贅沢な気分になれるし酔いも早い気がする。一杯だけなのに、いい気分で店を出た。義母も同様だったようで、顔じゅうほころばせて通りに出たが、真上からの陽光に眉をしかめて掌を額にかざした。

 地下鉄の階段を上る手前で一瞬ためらいを見せた義母はまだ少しアルコールが残っているからだろう息が切れたらしく、私は手を握ってゆっくりとエスコートした。義母の掌は思いがけなく小さくあたたかかった。結局そのまま握った手を左手に持ち替え、右手を義母の背に当てる形で新幹線の乗り口まで連れて行った。

「ほんとうにありがとう、お世話になったわね。あの子は気が効かないかもしれないけれど、優しいところもあるからね、これからもよろしくお願いしますね」

 深々と下げた頭を戻した義母はもう一度大きく笑いながら小さく手を振った。義母のあたたかい手に私の掌は冷たくなかったかしらとそのとき気がついた。そんなことよりも義母は息子の手を握り背中を抱きしめてもらいたかったに違いない、そんな気がした。

                                                     了


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第九百九十七話 最後の日をいかに迎えるか [可笑譚]

 あと一日しか残されていないとわかったら、人は何をして過ごすのだろう。

「今さらジタバタしても仕方がない。残された一日を有効にするか無駄に終わらせるか、それはお前自身の問題だ」

 そう言って先生は部屋から立ち去った。

 確かにもはやどう足掻こうが決まってしまっていることだ。時間を止めることなどアインシュタインにだってできはしない。非力な人間はただその時が来るのを待つことしかできない。刻々と近づいてくる運命を帰ることはできないのだ。

 いや待てよ、先生が言った通りかもしれない。時を止めることはできないが、そこに至るまでの自分の有り様を変えることはできる。貴重な一日を泣いて過ごすこともできれば、なにが大切なことなのかを考え、その大切なことのために一日を費やすことはできる。

  たとえばいままで味わったことのないほど思い切りリラックスしてその時を迎えることもできれば、だれか大切な人と共に過ごすことだってできる。そのどちら を選んだところで結果は同じじゃないかというニヒルな答えが返ってくるかもしれないが、それでもいい。その時に自分自身がどれほど満足できるか、これで良 かったのだと悔いを残さずにいられるか、結局それが生きている人間の証なのだから。

 こうしている間にも小一時間も過ぎてしまった。さてどうするのだ。わたしにとって大切なことってなんなのだろう。

  答えが見つからないままにまた小一時間も過ぎてしまう。家族? 最後の時間を過ごす? 残念だがいまの私に家族はいない。父も母も早くに亡くなってしまっ た。兄弟姉妹もいない。では恋人と過ごす? これも無理だ。つきあっていた男と別れてもう三年にもなる。なんということだ。私には最後の時間を共にできる 大切な人がひとりもいないのだ。

 もちろんそんなことは最初からわかっていた。親も恋人もいない、だからこそその時がやってくるのがいっそう恐ろ しいのではないか。同じその時は全人類に同じようにやってくるのだなどという言葉は何の慰めにもならない。人それぞれに環境が違うのだから。わたしが満足 してその瞬間を迎える手だてなどないのだ。ひとりでリラックスしたところで何も変わらない。そんなことでわたしは変われない。

 あれこれと悩んで いるうちにどんどんと時間は過ぎていき、ほとんどの時間を潰してしまった。もう間もなく日付が変わってしまう。せめて先生に頼めば良かった。今夜だけでも 一緒にいてはくれないだろうかと。しかし先生にだって家族はいるのだし、そんなことは頼めなかった。それにわたしだってあんな老人と貴重な時間を過ごすく らいなら一人の方がましだと思った。


 そしてついに二本の時計の針が頂点に達して日付が変わってしまった。その日になってしまったのだ。

  三十路。誕生日を迎えてしまったわたしは美容術の先生から忠告を受けたにもかかわらず、二十代最後の一日を無為に過ごして大台を迎えてしまった。十代から 二十歳になったときに感じたそれ以上に、もはや中年の領域に突入してしまったという喪失感は強く、鏡の前でもう若くはない肌を眺めながら、もうこんな年齢では恋人もできないのではないかしらとい う大きな不安が押し寄せてくるのだった。

                       了


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第九百九十六話 中身が肝心 [可笑譚]

 面接会場に到着した時には汗まみれになっていた。決められた時間に遅れそうになって走ったからだ。

 あんまり暑いのでスーツの上着を脱いでいるところで番号が呼ばれ、そのまま面接室に入った。上着を着ればよかったのだがまだ汗が治まってなかったので、袖を通す気になれなかったのだ。三人の面接官が並ぶ前に五人の学生が並ぶ中で、上着を着ていないのは僕だけだったから、いっそう目立ってしまったようで、いきなり右端の面接官に注意された。

「大事な面接で上着を着ないのが君のルールなのかな?」

 両隣から失笑の波動を受けながら慌てて上着を羽織ったのだが、面接官が追い打ちをかけた。

「そういう意欲が感じられない者を採用する会社があるとは思えんね」

 結局数日後には不合格の通知を受けた。

「たぶん、あのことが原因なんじゃないかなぁ」

 食事どきに報告するともなくあのときに話をすると、黙って聞いていた父が箸を置いた。

「おかしいんじゃないか、そんなことで不合格にするなんて。お前は成績はいいんだろ? 人柄だって俺の息子だ、悪いわけがない。そりゃあ遅刻しそうになったのはあまりよろしくないが、それだって遅刻したわけじゃないんだ。むしろ遅れないように努力した結果がそれとは!」

 言いながら次第に言葉に力が込められた。父は話しているうちに感情が高まっていくタイプの人間なのだ。最初は軽く注意をするだけのつもりが、諭しているうちにだんだん感情が高まって怒りに変わっていくというような。その企業に対する父の疑問は怒りに変わり、その怒りは僕への励ましに転嫁した。

「まぁ、だめだったものは仕方がない。むしろそんなことで人を判断するような会社はこちらから願い下げだ、なぁそうだろう?」

 僕はよくわからないままに頷いた。

「人間は外見じゃない。いくら立派な格好をしていてもダメな人間はいくらでもいる。いくらきれいに着飾っても心の薄汚れた人間もな。いいか、お前ならわかっているだろうが人間は外見じゃない、中身だ。中身だけで勝負できる人間になれ、わかったか?」

 どうやら父の考えでは人間は外見と中身が一致しないことの方が多いようだ。だから外見などどうでもいい、中身を大事にしろということのようだ。

「自分の中身を大事に育てろ!」

 さらに付け加えられた質の言葉に僕はいたく感動した。日ごろ僕が思っていたことと合致したように思えたからだ。

 他の人は見た目と中身が一致しているのだとばかり思っていた。誰もそんなことを話題にしないから知ることもなかったのだが。しかし僕自身は小さなころから外見と中身がバラバラのような気がしていたのだ。でも、そんなことを考えている自分は馬鹿なんじゃないかとか、笑われるんじゃないかとか思えて、誰にも、家族にも言えずに今日まで生きてきたのだ。それが就職面接をきっかけに父からあのような励ましを受けるとは。眼から鱗が落ちるとはこんなときに使う諺だったんだと僕は思った。

 翌日、目が覚めたときにはと手も気分がよかった。二十数年間にわたる靄が突然晴れたようだ。ベッドを出て爽やかな気分で階段を下りて食卓に向かった。父も母もすでに朝食に取り掛かろうとしているところだった。

「おはようございます!」

 いつもより丁寧に挨拶をすると父は少しだけ驚いた顔をして返してきた。

「おお、おはよう。なんだかご機嫌だな」

「はい、お父様。だってわたし、すっかり目が覚めましたもの」

「なんだそのしゃべり方は」

「昨夜のお父様のおかげですわ」

「なんだそれは、オカマみたいな……」

 わたしは少しシナを作りながらにっこり笑って答えた。

「昨夜、おっしゃったじゃありませんか。自分の中身を大事に育てるようにって。だからあたし、そうすることにしましたの」

 父に話している間じゅう、今日はじめてこの世に生まれ出たような爽快な気分だった。

                                                了


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第九百九十五話 この世は七日間で [文学譚]

 一日目。平穏無事な一日だと思えた。

 無人になってしまったのかと思えるほど静かな通りには車の姿もなく、ビルのシルエットに囲まれた青空があまりにも透明で宇宙を想像させた。透き通った向こうになにか見えるかもしれないと思いしばらく見上げていたが、普段と変わったところは何ひとつなく、ただただ青い空間が広がっているだけのようだった。

 しかし、首に疲れを感じて見上げるのをやめようかと思った頃、ビルの陰からいきなり無数の無数の黒い点が現れ、なにごとかと驚く間もなくそれらが空を覆い尽くし、やがて現れたのと反対側のビルの陰に飛び去っていった。鳥の群れだった。雀や鷗が集団で飛び去る姿は見たことがあるが、これほどの数を見たのは初めてで、なにか異様なことが起きる予感がした。

 後でわかったことだが、このとき海の中ではやはり無数の魚群が集団移動してどこかへ消えていったそうだ。この時以来、世界から鳥がいなくなり、魚が消えた。

 二日目。僕は飼い猫の器に餌を盛り、名前を呼んだ。二匹いる猫はいつもワードローブの上や押し入れの中に隠れて眠っている。ときには浴室の風呂蓋の上でぬくぬくしていたりするので、どこにいるのか見つけられないこともある。このときもなかなか出て来なかった。たいていは忘れたころにみゃーと言いながらどこからともなく姿を現すのだが、遂に出てこなかった。仕方なく床上に敷いたマットの上に猫の器を置いて家を出た。

 外に出るとやはり静かで、人ひとり歩いていない。角の家を通り過ぎるときにはその家で飼われているホワイトテリアが無駄に吠えるのだが、この日はいないようだった。公園を通り抜けるときに見かける猫の姿も一切目に入らなかった。

 街中なので犬や猫はそう多いわけではないのだが、それでも鳩も猫も見えないのは奇妙な感じがした。仕事先でも誰かが同じようなことを言っており、街から動物が消えたという噂が広まりつつあった。

 ネットニュースではさらに大変なことを伝えていて、牛の放牧場、養豚場、養鶏場など、世界中の農家から家畜の姿が消えてしまったと大騒ぎになっていた。

 三日目。すでに世界は混乱していた。テレビも電話も通信機能を失い、やがて電力も消えてしまった。それだけではない、あらゆるエネルギーが力を失い、人類は選択の余地なく文明と別れを告げることになった。そのためかやはり街はしんと静まり返っていて、人々はおびえて家の中に引きこもっているのか、僕以外には誰も外に出ている者はなかった。空を見上げるとやはり青空で、太陽の光だけが現実であることを感じさせてくれていた。

 夜が来てすべてが闇の中に押し込められてはじめて、月と星々が消失していることに気がついた。

 四日目。窓から見下ろすと建物の前の大通りの様子に異変を感じた。最初はなにかわからなかった。地上に降りてみて、誰もいない通りをためつすがめつしているうちに、原因に気がついた。見慣れた街路樹が消えていた。そういえばと部屋に戻ってベランダを覗くと、ベランダには土だけになった植木鉢がいくつか並んでいるだけだった。世界から植物が消えたらしい。

 僕は思い立って自転車置き場に向かい、愛車を引っ張り出して湾に向かった。本来なら車で走りたい距離なのだが、あいにくガソリンは意味を失っていたのだ。海に向かう間じゅう、あらゆる街並みを注意深く見ていたが、動物と植物が消えているほかには何の変哲もない風景だった。人の姿も見えないことに大きな不安があったが、自分はここに生きているのだから、みんなもどこかに隠れているだけだと自分を信じ込ませた。一時間ほどで下町を抜け、倉庫街に入った。その先は商業用の港になっていて、海が見えるはずだった。

 港はあった。しかし船の姿はなく、岸壁に立ってはじめてその訳がわかった。海が消えていた。船は水を失った湾の底に眠るように横たわっていた。

 これは現実ではない、僕は夢を見ているんだと思った。だが、四日も続けて夢を見るものなのだろうか。

 僕は怖くなって急いで家に戻ってベッドにもぐりこんだ。

 五日目。ついに空が消えた。空が消えるとはどういうことかと思うが、そうとしか思えない。ついでに太陽と大地も消えているのだと思った。マンションの部屋から外に出ることができない。なぜなら部屋の外が無くなってしまっているからだ。

 大地がないのになぜマンションはここに建っているのだろうか。太陽がないのに、なぜ周りが明るいのだろうか。

 なにもかも不思議だったが、現実にそうなっているのだからしかたがない。

 僕はふと読んだこともない聖書の一説を思い出した。創世記とかいうやつ。聖書は持っていないし、もはやインターネットで調べることもできない。だけど、神が七日間で世界を創ったという話だけはうろ覚えだが知っていた。

 たしか神様が順番に、光や空や大地や動物を創っていくんだ。いま、それがさかさまに起きているのだtゴしたら……これは神様の仕業なのだろうか? しかしそれなら最初に消えるべきは人間ではないのだろうか。

 考えてもしかたがない。誰も答える者がいないからだ。今日は五日目。だとすると残されているのはあと二日。

 明日はなにが。そして明後日には……

 六日目。人間は消えたのだろうか? しかし僕はまだここにいる。マンションというか部屋というかそういう物理的なものは無くなってしまっているのに、なぜか僕の意識だけはここにある。昼も夜も無くなってしまっているようだ。

 明日一日残されていると思っていたが、急に思い出した。七日目には神は休むのだったと。

 光が無くなり、暗闇が訪れた。

 七日目。

 千一話物語は最終話を迎えた。

                                               了


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第九百九十四話 レッテル [文学譚]

 田舎に住んでいる友人からクッキーが届いた。

 先月訪ねてきたときにいろいろお世話になった礼だという短い手紙が添えられていた。

 クッキーは嫌いではないが、近頃メタボ傾向にある私は甘いものを控えているのでありがたいような困ったような複雑な気持ちであった。子供は喜ぶだろうが、なんとなくこんな高級そうなお菓子を子供に与えるのはもったいないような気もした。

 ほら、とても美味しそうなお菓子が届いたよと小学四年生の雅俊に包みのまま渡すと、さっそく包装紙を破りにかかった。Deli-Cockieという英文字のロゴが印刷された缶が現れ、缶の蓋はセロテープでぐるりと密閉されていた。雅俊は最初どこからテープを剥がすのかと苦労していたが、ようやく端を探し当て、日焼けの皮を剥がすようにびろりとテープを取り除いた。

 うれしそうな顔をしてようやく缶の蓋を開いた雅俊が妙な顔をして缶の中を覗き込んでいる。

「お母さん、なにこれ?」

「なにって、クッキーでしょ?」

「ええー? これ、クッキーかなぁ?」

「そうよ、クッキーって書いてあるもの。食べてごらんなさいよ」

 雅俊はまだ妙な顔をして、中のお菓子をつまもうかどうしようかと思案している風だった。

「ねえ、お母さん、これって手でつかんでいいのかなぁ?」

「ええ? 手でって……ふつうはそうでしょうよ」

 おかしなことを言い続けるので、私はなにを戸惑っているのだろうと台所仕事の手を止めて雅俊が缶と向き合っているテーブルのところに向かった。

 ダイニングの真ん中にでんと据えてあるテーブルについた雅俊は四角い缶の蓋を左手に持ったまま、右手を缶の上にかざした状態で固まっている。缶の中からは甘いクッキーの香りが漂っているはずだと思ったが、なんとなく生臭いような匂いがする。缶の中を見ると、白いパラフィンのような紙が敷かれた上に、赤い塊がいくつも並んでいた。

「なによそれ?」

「そうでしょ? これって……」

「明太子?」

 私は見えているままのものの名前を言った。なんでクッキーの缶の中に明太子が入っているの? もしかして明太子の姿をしたクッキー? いやいや、それにしてもこれはクッキーのように固くない。やわらかくて生っぽくて、明太子そのものだ。製造業者が間違えて中身を詰めたのだろうか? クッキーの工場で明太子も作っているのだろうか? そんな話は聞いたことがない。あるいはこれはDeli-Cockieという名前の明太子なのだろうか。私が最初にクッキーだと思ったのが間違っていただけ? さまざまな可能性が頭の中を巡る。

「なにを騒いでるんだ?」

 奥の部屋で午後寝をしていた義父が起きてきた。義父は雅俊の隣の椅子に腰かけながら、缶を覗き込んだ。

「おお、なんじゃこれは。うまそうな明太子じゃないか」

 博多出身の義父は明太子好きである。しかも口が卑しい。義父は箸も小皿も要求せずに、いきなり指で明太子をひと房つまみあげて口に運んだ。普通は小さく切った一片を食べるものだろうに。

「おお! 美味い。これは上等じゃ」

 義父は大きな鱈子を口の中で持て余しながらくちゃくちゃ噛んでいる。

「もう、お義父さんたら、お行儀の悪い」

 私はいささか不機嫌になって文句を言った。

「おお、すまんすまん。わし、明太子には目がないもんでな」

「でもね、お義父さん……」

 先ほどから騒いでいた理由を義父に伝えると、

「なんじゃ、そんなことか。きっとあんたの友達が入れ物がなくってこの缶に入れてよこしたんじゃろうよ」

「でもふつうは明太子屋さんの箱とかあるじゃないですか」

「ふん、そんなもの。美味しい明太子は近所の市場なんかに売っておってな、そんな小さな店ではの、箱なんかありゃあせん」

 そういうものかしらといぶかりながらも、義父の言っていることも一理あるとも思えた。箱と中身が違うからと言って、友人に文句を言う訳にもいかず、明太子は夕食で食べようと、缶のまま冷蔵庫にしまいこんだ。雅俊はお菓子のはずがおかずになってしまったことをとても残念がっていた。

 夜になっておかずのひと皿として明太子を美味しくいただき、片づけものを済ませてから、明太子を送ってくれた友人に電話を入れた。

「こんばんは! 美味しいものを送ってもらってどうもありがとう! あんな気遣いしなくていいのに……」

 ひと月前に会ったばかりだけれども、それとは別に話が弾んだ。最後に彼女が聞いてきた。

「美味しいでしょ、あれ。私大好物なの」

「あら、そうだったの? あなた辛いものって苦手じゃなかった?」

「何の話? お送りしたクッキーよ。うちの近所で大評判の店で買ったのよ」

 私は明太子が入っていたとはついぞ言えないまま、友人に話しを合わせ、さようならと電話を切った。

 明太子がなくなってしまうと、そのうちにこの話のことは忘れてしまい、なにがどうだったのか、いまでも謎のままの出来事だった。

                                                  了


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第九百九十三話 クラブUSO [文学譚]

「あら、いらっしゃーい」

 赤い扉を開けて入ってきたのは白髪混じりのサラリーマン風のおやじだった。

「おう、ママが寂しがってるだろうと思って来たよ」

「まぁ、うれしい。ホントに寂しかったのよ」

 クラブUSOは新宿からひと駅分離れた歓楽街のはずれにある店で、得意先のビルから駅に向かう途中にあった。いつも通る道なのに、赤に黒文字で書かれた派手な電飾看板にいままで気がつかなかったのが不思議な気がした。USOだなんて、なんかアメリカのヒット曲でも流しているオールディズ趣味の店なのかなと興味を持って入店したのだが、店内はいかにも場末な感じの普通のスナックだった。カウンター中心の狭い店内にはママが一人だけいて、女の子もいるんだけど、もう少し遅い時間なのとママが言い訳した。

「しかし、相変わらず美人だね」

 おやじは歯が浮くような台詞を平気で言う。

「山ちゃんこそ、いつも通りダンディだわ」

 ママも負けてはいない。

「ところで、こないだワシントン出張でオバマにあったよ」

「小浜さん? 誰それ」

「ばーか、大統領だよ」

「うっそー! 凄い。安倍ちゃんがこの店に来た以上の驚き!」

「ほう、安倍さんが来たのかね」

「そうよー。私、言ってやったの。あんまりオバマの腰ぎんちゃくみたいにならないでねって」

「なるほど。私は逆にオバマに言ってやったよ。日本の諺をさ、安倍食って地固まるって」

「あはは、なによそれ。それにしてもアメリカもなんだか大変そうね」

「そうなんだよ。だから私も忙しくってね。アジアを仕切りたいのなら、日本をうまく使えって言ってやったのに、APECに出なかったろ」

「ああ、あれ困るよね。安倍ちゃんも眉をしかめてたわ。習近平がしゃしゃり出てきて困るって」

「ああ、あいつにはオバマちゃんも首をかしげてたな」

 するといちばん奥にいた影の薄い男が会話に加わってきた。

「なんですと。首を? どこかお悪いのですかな?」

「おや、そんな暗がりにいらっしゃったんですか? あなたは?」

「ああ、申し遅れましたが、私は習近平の友人でして、オバマに近づくように進言したのは私なんですよ」

 話はどんどん国際情勢へと膨らんでいってまるでこの店の中で世界が動いているようだった。話が途絶えたときに、私はこっそりママに耳打ちした。

「ママ、ここはすごい店ですね。みんな凄いコネクションで……」

「そうよ。ここはそうでないと来れない店よ。あなたは誰の知り合いなの?」

「え? 僕ですか……そんな僕なんて」

「ばっかねえ。なんでもいいから設定しなさいよ。そうしなきゃ会話を楽しめないわよ」

「設定って……どゆこと?」

「店の名前見たでしょ? ここはクラブUSOよ」

「うん、知ってる。アメリカンポップスなんかかかってないのに」

「違うわよ、クラブUSOって、つまり嘘クラブってこと。嘘つきごっこで楽しむのよ。さ、早くあなたも」

「わ、わかった。他の客にプーチンの知り合いは……いるのかな?」

 翌日私は書店に行ってロシア語入門書を購入した。

                                        了


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第九百九十二話 ご近所づきあいの憂鬱 [文学譚]

「こんにちは」

 前から歩いてきた婦人に声をかけられて慌てて挨拶を返した。

「ああ、どうも。こんにちは」

 山田さんの奥さんだ。この人は悪い人ではないのだがどうも苦手だ。悪い人ではないどころか、とても品のあるご婦人で礼儀正しく何においてもきちんとした人だ。だが、そのきちんとした部分がどうも苦手なのだ。そういう人は得てして相手にも礼儀やらきちんとしたことなどを求めるもので、こっちが挨拶をし忘れようものなら、とんでもなくお叱りを受けてしまうのだ。あなたねぇ、人様と出会ったら知らん顔するのではなくって、頭くらい下げて通るものよ。わかった? だから僕はとりわけこの人には気を遣うのだ。もちろん僕だって礼儀はわきまえている。山田さんに限らず、ご近所の知り合いにはちゃんと挨拶したり言葉をかわしたりするものであると心得ている。

 山田さんが何事もなく歩き去ったと思ったら、今度は後ろから声をかけられた。

「やぁ、越野小路の坊ちゃん、お久しぶりですなぁ」

 声を聞いて勝手寺の住職だとわかった。

「あれご住職、いつもながらお元気そうで」

「いやいや、寄る年波と言いますかな、近頃妙に手足が冷えましてな」

 老人お健康話に引っかかると貴重な時間を簡単に吸い取られてしまう。僕は適当に相槌をうった後すかさず急いでいるという嘘を述べてその場を後にした。

 親の代から住んでいるこの町ではご近所さんはみんな知り合いで、会う人毎に話し込んでいたらきりがない。人間同士のコミュニケーションが深いといえば美談にもなろうが、日常生活を思えば面倒くさいものなのだ。学生時代には都会のマンションで一人暮らしをしていたが僕は隣の住人すら誰だかわからないような生活を四年間も続けていたものだから、むしろそういうクールな付き合いの方が性に合っていると思うのだ。

 住職から逃れてしばらく行くとまた誰かがにこにこしながら歩いてくる。僕は少しうつむき加減にして目を逸らし、相手にも気がついていないフリをした。

「おい、越野小路君、久ぶりだなぁ」

 中学時代の今日しだった。なんでこんなところにいるのだろう。小さく会釈をして逃げようと構えていると、見透かされたように言葉が続けられた。

「相変わらずだなぁお前は。今でも変わらんのか、あれは」

 担任の教師だったので僕のことはよく知っている。人の覚えが悪く、顔を見ただけでは誰だかわからないことも。昨日あったばかりの人ならなんとなく雰囲気や服装の感じでわかるのだけれども、しばらく会ってない人や、いつもと違う場所で出くわした人は、声や話の内容で判断して誰だか判断するしかないのだ。

「失顔症っていったかな、あれは治らないものなのかな?」

 教師に言われて僕は申し訳ない顔をして謝った。

「おいおい、なにも謝らなくても。君のせいじゃないんだからな。まあ、いつか治ればいいな」

 気の毒そうに言い残して教師は歩き去った。

いつ、なぜこうなったのかわからないが、気がついたら人の顔が区別できない自分がいた。何らかの事故や病でこのような脳障害になってしまった人が他にもいることを聞いたことがあるが、僕は事故にもあっていないし、病気になったこともない。たぶん生まれつきなのだし、さほど深刻なことだとも思っていない。慣れてしまえばなんてことはないのだ。ただ、時々僕の性分を知らない人から愛想が悪いだの、挨拶もしないだのと文句を言われることがあるくらいだ。だから誰とも会話をしなくてもいいような環境が暮らしやすいと思うのだ。

 まもなく家にたどり着こうかというあたりで、またしてもにこにこして僕に手を振っているおじさんがいた。僕の家の前で立ち止まったまま僕を待っているようだった。

 参ったな、あんなににこにこ親しそうに笑かけて手まで振ってくれているけれども、声を出してくれないと誰だかわからないじゃないか。つまりあの人は僕のそういう習性を知らない人だってことだな。誰だかわからないけれども、また叱られるのもなんだから、適当に挨拶しておこう。そう決めて僕は相手より先に元気いっぱいに声をかけた。

「どうも、こんにちは! ずいぶんご無沙汰しております!」

 おじさんは笑を引っ込めて少し悲しげな顔になった。

「なに言ってるんだ。今朝顔を合わせたばかりじゃないか。それとも冗談か?」

 声を聞いてようやくわかった。長年同居している父親だった。

                                                 了


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第九百九十一話 寝っ転がってかく [可笑譚]

 テレビというもののせいなのかどうか、はっきりとはわからないのだが、気がついてみるとリビングのソファの上で寝転がっている。三人掛けのソファはひと一人の胴体を横たえて両側にある肘起きのひとつに頭を持たせかけ、もう片側には足首あたりを乗せるのにちょうどいいのだ。頭はいささか急な角度で折れ曲がりがちであるがそれはもう慣れてしまった。足先は胴体より少し高いところに持ち上げることによって血流が心臓に帰りやすくなるのでいいという記事をなにかで読んだことがある。テレビのせいかわからないと書いたが、たいていはなにかの番組や映画がつけっぱなしになっているけれども、必ずしも見ていないし、場合によってはスイッチを入れていないこともあるからだ。いずれにしてもソファのこの位置がわたしの定位置になっていて、用事がないときはここで過ごしている。

 怠惰な性格は当然ながら怠惰な生活態度を形成するもので、いったん横になってしまうとなかなか起き上がることができない。だからソファの横に背の低いテーブルを置いて、飲み物や書籍、タブレットなど必要なものをそろえて置いてある。手を伸ばせばおおかた満足できるというセッティングだ。

 だが、横になってしまうとまず眠気が襲ってくる。睡眠不足なわけではないけれども習性というものだろう。本を手にしても数行のうちに瞼が落ちてくる。眠気がくると体温が上がるらしいが、体温が上がるから眠くなるという逆の説もあるようだ。体温が上がると身体のここそこが痒くなる。ぽりぽりと無意識のうちに尻を掻く。寝っ転がって掻く。床の上では愛犬も同じようにして後ろ足で身体を掻いているのを見ると、ああ自分もこ奴と同じ動物なんだと妙に感心する。少しアレルギー体質な私の皮膚は過剰に反応して掻いたところが赤くなっていっそう痒くなる。痒くなりながら眠気に呑まれて転寝をする。

 十分くらいなのか一時間ほど過ぎたのか、そもそも睡眠不足なわけではないからすぐに目が覚める。夕方の転寝というものはとても気持ちがいいものだが、目覚めたときについ寝ぼけてしまうことがある。これがとても不思議な感覚だ。夜なのか朝なのか、光の具合が奇妙に感じて、一瞬、起きて仕事に行かなければと思い、次にはなんだここはどこだベッドじゃないじゃないかと気がつき、いまは夜なのか朝なのかと混乱する。しばらくしてようやく、ああ居眠りしてたと気がつく。

 ソファの反対側にベランダがあって大きな窓があるのだが、目隠しにしているブラインドが開いたままになっている。ベランダの向こう側は広い道路を隔ててこちらと同じくらいのマンションが建っているのだが、同じ階同士だと少し大声で話せばコミュニケーションできそうな距離だ。向こうのベランダに人が立つと、こっちの様子がまるわかりになってしまう。だからいつもブラインドで目隠ししているのだけれども、今日に限って閉め忘れている。窓の向こうを見ると人影があって、どうやらだらしない姿を見られてしまったようだ。外から帰ってきて上着どころかシャツまで脱ぎ捨てて横たわり居眠りしてしまった私のあられもない姿。大通りを隔てた視線にどのように映ったのか想像するだけで血が逆流しそうだ。私は寝っ転がって、それだけで恥をかいてしまったようだ。

 寝っ転がって恥をかいたことを悔やんでもしかたがない。テーブルに手を伸ばしてタブレットをつかむ。ほんの少し前まで手書きだったものがワープロになり、パソコンになり、それでもまだ机の上でモノを書いていたのが、スマートフォンやタブレットという最新機器が登場したおかげで、机を離れても読書以外のさまざまな知的活動ができるようになった。たとえばなにか文章を書くということも、背筋を伸ばさなくてもできる。一説によると、手書きで書く文章とパソコンで書く文章では違ったものになるというのだが、こうして寝っ転がって書くというのはどんなものなのだろう。当然ながら上体を起こしているのと横たわっているのとでは脳への血の巡りも違うだろうし、気持ちの入り方も違うだろうとは思うのだが、私自身は自分の頭の中で起きていることになんら変わりはないのではないかと思っている。

 あと十話分で終わってしまうというこのタイミングでこのようなことを話題にするのはどうかと思うけれども、こういう普通のことを書いてみたかったので書いている。これが小説といえるのか、いやいやこれはエッセイだ、いや駄文だと、意見は分かれるところであるが、萩原アンナや高橋源一郎のような立派な書き手でも駄洒落やコメディを書いていることを思えば、こんなものを書いてみるのも面白いかな、しかも寝っ転がって、と思うのである。

 寝っ転がって書いていると、やはり多少の弊害はある。またしても眠気がくるのだ。自分で書きながら眠いなんていうのはいかに駄文であるかを証明しているようなものではあるが、眠いのだからしかたがない。タブレットを膝のあたりに角度をつけて置いているから膝が曲がっている。つまり立膝状態で居眠りをする。こうした場合、ありがちなのが眠っている間に膝が落ちるという現象だ。眠っていて膝が落ちたりすると、心地よく見ている夢の中で崖から落ちるという経験をして目が覚めたりするものだ。カクッ! 寝っ転がってカクッ! ああ、びっくりした。

 どんなオチかと思ったらこんなオチって。読んでるあなたにとっては、よしもと芸人じゃないけれども、まさに寝っ転がってカクッ! なことだとは思う。

                                           了


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