第九百九十二話 ご近所づきあいの憂鬱 [文学譚]
前から歩いてきた婦人に声をかけられて慌てて挨拶を返した。
「ああ、どうも。こんにちは」
山田さんの奥さんだ。この人は悪い人ではないのだがどうも苦手だ。悪い人ではないどころか、とても品のあるご婦人で礼儀正しく何においてもきちんとした人だ。だが、そのきちんとした部分がどうも苦手なのだ。そういう人は得てして相手にも礼儀やらきちんとしたことなどを求めるもので、こっちが挨拶をし忘れようものなら、とんでもなくお叱りを受けてしまうのだ。あなたねぇ、人様と出会ったら知らん顔するのではなくって、頭くらい下げて通るものよ。わかった? だから僕はとりわけこの人には気を遣うのだ。もちろん僕だって礼儀はわきまえている。山田さんに限らず、ご近所の知り合いにはちゃんと挨拶したり言葉をかわしたりするものであると心得ている。
山田さんが何事もなく歩き去ったと思ったら、今度は後ろから声をかけられた。
「やぁ、越野小路の坊ちゃん、お久しぶりですなぁ」
声を聞いて勝手寺の住職だとわかった。
「あれご住職、いつもながらお元気そうで」
「いやいや、寄る年波と言いますかな、近頃妙に手足が冷えましてな」
老人お健康話に引っかかると貴重な時間を簡単に吸い取られてしまう。僕は適当に相槌をうった後すかさず急いでいるという嘘を述べてその場を後にした。
親の代から住んでいるこの町ではご近所さんはみんな知り合いで、会う人毎に話し込んでいたらきりがない。人間同士のコミュニケーションが深いといえば美談にもなろうが、日常生活を思えば面倒くさいものなのだ。学生時代には都会のマンションで一人暮らしをしていたが僕は隣の住人すら誰だかわからないような生活を四年間も続けていたものだから、むしろそういうクールな付き合いの方が性に合っていると思うのだ。
住職から逃れてしばらく行くとまた誰かがにこにこしながら歩いてくる。僕は少しうつむき加減にして目を逸らし、相手にも気がついていないフリをした。
「おい、越野小路君、久ぶりだなぁ」
中学時代の今日しだった。なんでこんなところにいるのだろう。小さく会釈をして逃げようと構えていると、見透かされたように言葉が続けられた。
「相変わらずだなぁお前は。今でも変わらんのか、あれは」
担任の教師だったので僕のことはよく知っている。人の覚えが悪く、顔を見ただけでは誰だかわからないことも。昨日あったばかりの人ならなんとなく雰囲気や服装の感じでわかるのだけれども、しばらく会ってない人や、いつもと違う場所で出くわした人は、声や話の内容で判断して誰だか判断するしかないのだ。
「失顔症っていったかな、あれは治らないものなのかな?」
教師に言われて僕は申し訳ない顔をして謝った。
「おいおい、なにも謝らなくても。君のせいじゃないんだからな。まあ、いつか治ればいいな」
気の毒そうに言い残して教師は歩き去った。
いつ、なぜこうなったのかわからないが、気がついたら人の顔が区別できない自分がいた。何らかの事故や病でこのような脳障害になってしまった人が他にもいることを聞いたことがあるが、僕は事故にもあっていないし、病気になったこともない。たぶん生まれつきなのだし、さほど深刻なことだとも思っていない。慣れてしまえばなんてことはないのだ。ただ、時々僕の性分を知らない人から愛想が悪いだの、挨拶もしないだのと文句を言われることがあるくらいだ。だから誰とも会話をしなくてもいいような環境が暮らしやすいと思うのだ。
まもなく家にたどり着こうかというあたりで、またしてもにこにこして僕に手を振っているおじさんがいた。僕の家の前で立ち止まったまま僕を待っているようだった。
参ったな、あんなににこにこ親しそうに笑かけて手まで振ってくれているけれども、声を出してくれないと誰だかわからないじゃないか。つまりあの人は僕のそういう習性を知らない人だってことだな。誰だかわからないけれども、また叱られるのもなんだから、適当に挨拶しておこう。そう決めて僕は相手より先に元気いっぱいに声をかけた。
「どうも、こんにちは! ずいぶんご無沙汰しております!」
おじさんは笑を引っ込めて少し悲しげな顔になった。
「なに言ってるんだ。今朝顔を合わせたばかりじゃないか。それとも冗談か?」
声を聞いてようやくわかった。長年同居している父親だった。
了