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第九百八十九話 思い込み大王 [文学譚]

 権造は散歩から帰ってくるとぼくをぎろりと睨んだ。そのアラビア半島ほども厳しい眼力はしっかりとぼくに向けられていて、こんな時間までどこをほっつき歩いていたんだ。学生の分際で夜遊びするんじゃぁないというようなことを言おうとしているのだ。権造の威圧感は目つきだけではなく体中に充満している。高校生のぼくが生まれる前からこの世にいるほどの長生きなのだから当然かもしれないが、年寄り臭くのっしのっしと歩くのは、権威を誇示したいがためのものなのか、あるいはほんとうに身体が年老いているからなのかはわからないが、いずれにしても廊下を大名のように歩いて居間にたどりつく。母は余計なことで吠えられる前に慌てて夕餉を差し出し、権造は黙って飯に食らいつく。誰よりも早く配膳され、いちばんにありつき、当然のようにさっさと食べてくつろぎモードに入ってしまう。だから我が家は全員が食卓に揃うことはない。兄も大学のときから家を出てしまっているので、ぼくはいつも母と二人きりで食事をするのだ。ときどき、年に一度くらいの頻度で、母はため息をつきながら、お父さんも一緒に食卓についてあんたの成績のこととか進路の話とかをしてくれたらよかったのにねぇ。母の言葉が聞こえたのか聞こえてないのか、テレビの前に横たわっている権造はのそりと首を持ち上げてなにか言いたげにぼくに視線を向ける。いわゆる睨みを聴かせるというのはこういうことをいうのだろうか。

 ぼくらが食事を終える頃には権造はとっとと寝床へと姿を消している。とっとと寝てくれるのならそれに越したことはない。いちいちぼくの行動を睨まれていたんじゃ、生きた心地がしない。だが、あまりに早くから寝ているせいか、権造はしばしば夜中に起きだしてくるのだ。ぼくが自分の部屋であらぬことをしているときに限って、目を覚ました権造がふらりと部屋を覗き込む。その気配に気がついてぼくはすぐさま勉強しているフリをするのだが、よからぬことを知ってか知らずにか、権造は淀んだ目つきでぼくを監視し、口には出さないニュアンスで「おまえ、なにしとるんだ。勉強しないのなら、とっとと寝てしまえ」と伝えてくる。家族であっても、監視されていると感じるのはいい気持ちではない。いったい何様なんだ。ぼくのことなどほっておいてくれ。思わずそう言って噛みつきたくなるが、そんなことをしたら反対に噛みつかれてしまうのがオチだろう。

 幼稚園から小学校、中学校、高校まで、ぼくはずーっとこんな風にしてこの家で暮らしてきた。権造も同じだ。次男であるぼくがいつまで経ってもこの家の中では最年少者であり続けているのと同じように、こいつは自分がこの家でいちばん偉い家長然とし続けている。それはもしかしたら権造の単なる思い込みではないのだろうか。ときどきぼくはそう思う。ぼくが生まれるずっと以前に地球を旅立ったボイジャー1号2号のごとき思い込みで太陽系を飛び出してしまうほどに、権造は父のようにふるまっている。年寄りのように口角が下がり両頬も目じりもがだらんと垂れた表情は権造が若かったときから変わることはなく、それ故に最初からこの家でいちばん偉い存在であり続けた。そしてぼくもまた生まれる前から権造が自分より偉い存在だと思い込み続けてきたのかもしれない。

 しばらくぼくの部屋にいた権造は監視することに飽きたのだろう、扉を押し開けてどたどたと寝床に帰っていく。こいつがいなくなったら、今度は誰を父と思ったらいいのだろうか。ぼくは身体の真ん中あたりに開きそうになる空洞を押さえ込むために深夜の空気を大きく吸い込んだ。

                                               了


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