第九百九十九話 九百九十九 [文学譚]
ひゃくぬきつくも。九百九十九と書くのだが、これが俺の名前だ。九百と書いてひゃくぬきなんて読ませる姓も困ったものだが、それならいっそと思い切って九十九などという名前を子供につけてしまった親もどうかと思う。
毎日通っている学校や友人の間でなら問題ないのだけれども、この名前をはじめて見る人にっては大きな迷惑だと思う。
「九百さーん、九百九十九さーん」
誰もひゃくぬきなんて読めるはずがない。病院の窓口では「きゅうひゃくさん」としか呼んでもらえない。何度か通っている病院でさえだ。
「あの、ひゃくぬきです。ひゃくぬきつくもです」
「あ、ああそうでしたね、ひゃくぬきさん、第二診察室の前でお待ちください」
第二診察室の前にある長椅子にはすでに年老いた患者がひとり待っていた。
「あんた、九百と書いてひゃくぬきというのか?」
呼び出しの際のやり取りを聞いていたらしい。爺さんが声をかけてきた。
「ええ、そうです。変わった名前でしょう?」
「まぁそうだな。しかし名字が変わっているのに名前まで九十九とか、どうしたことじゃ」
「そうなんですよ。九百九十九なんて、悪魔の紋章じゃあるまいし」
「あ、悪魔の?」
「あ、いやそれはこっちの・・・・・・おじいさんもこんな名前ははじめてでしょう?」
「そうだな、九百というのはな。じゃが、わしの名字は千と書くのじゃ」
「せん、ですか?」
「そう、お前さんよりひとつ多いな」
「でも千だと読みやすくていいじゃないですか」
「せん、と読むのならな」
「え? せん、じゃないんですか?」
「千と書いて、おおだいと読む」
「そんな読み方があるのですか?」
「普通はそうは呼ばんじゃろうな。だが先祖の誰かが無理やりそう読ませるようにしたんじゃろうな。大台なんて、万以上ぬくらいにしといてほしいもんじゃ」
「で、おじいさんの下の名前はなんというのですか?」
「ああ、それは普通じゃ。年と書いてみのるなんじゃけどな、みんな”みのる”ではなく”にのる”と呼ぶんじゃな、これが」
「なるほど、大台に乗るですか・・・・・・困りましたね」
「そう、困ったがもうとおに慣れた」
爺さんと話していると、また誰か患者が名前を呼び違えられているようだった。
「せんいちさん」
なんだ、星野監督が来てるのかと一瞬思ったが、すぐに患者の声がした」
「あのぅ、千一と書いて”いちうえ”と読むんです」
「いちうえさん、第二診察室の前でお待ちください」
なんてことだ。九百九十九、千、千一と、第二診察室の前で名前がつながってしまったようだ。
「あなた、千一さんっていうんですか?」
「ああ、聞こえてましたか。違うんですよ、千一と書いていちうえ……」
「ああ、そうでしたね。いちうえとは千よりひとつ上ということですね?」
「そうらしいですけど、とても普通はそうは読めない」
「読めませんねぇ。僕とこのお爺さんも同じような名前で……」
僕は新しく来た若い男にいままでの話題を説明した。
「で、千一さんの下の名前は?」
「それがまた、ややこしくって」
「そんなに難しい?」
「書けば簡単、”一”ですから。これでふつうに、”はじめ”」
「千一一ですか……それはやっかいじゃなぁ」
「なんでそんな名前をつけたんでしょうね?」
「どの道、名字が読めないですから、どんな名前をつけようが同じなんじゃないですかね。僕は親からそう言われました」
「そんなもんですかねぇ?」
「そんなことより、意味を大事にしろって」
「意味?」
「そうです。九百九十九で終わったのではなく、その次にまた千からひとずつはじまる、そういう意味ですよ」
「ああ、なんだか難しい話だなぁ。こじつけのような」
「いや、案外名前ってのはそういうもんじゃぞ」
爺さんが一説ぶとうかとしたとき、名前が呼ばれた。
「千さん、せんねんさん、お入りください」
爺さんは唇を歪めて見せてから、診察室に入っていった。
了