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第九百九十二話 ご近所づきあいの憂鬱 [文学譚]

「こんにちは」

 前から歩いてきた婦人に声をかけられて慌てて挨拶を返した。

「ああ、どうも。こんにちは」

 山田さんの奥さんだ。この人は悪い人ではないのだがどうも苦手だ。悪い人ではないどころか、とても品のあるご婦人で礼儀正しく何においてもきちんとした人だ。だが、そのきちんとした部分がどうも苦手なのだ。そういう人は得てして相手にも礼儀やらきちんとしたことなどを求めるもので、こっちが挨拶をし忘れようものなら、とんでもなくお叱りを受けてしまうのだ。あなたねぇ、人様と出会ったら知らん顔するのではなくって、頭くらい下げて通るものよ。わかった? だから僕はとりわけこの人には気を遣うのだ。もちろん僕だって礼儀はわきまえている。山田さんに限らず、ご近所の知り合いにはちゃんと挨拶したり言葉をかわしたりするものであると心得ている。

 山田さんが何事もなく歩き去ったと思ったら、今度は後ろから声をかけられた。

「やぁ、越野小路の坊ちゃん、お久しぶりですなぁ」

 声を聞いて勝手寺の住職だとわかった。

「あれご住職、いつもながらお元気そうで」

「いやいや、寄る年波と言いますかな、近頃妙に手足が冷えましてな」

 老人お健康話に引っかかると貴重な時間を簡単に吸い取られてしまう。僕は適当に相槌をうった後すかさず急いでいるという嘘を述べてその場を後にした。

 親の代から住んでいるこの町ではご近所さんはみんな知り合いで、会う人毎に話し込んでいたらきりがない。人間同士のコミュニケーションが深いといえば美談にもなろうが、日常生活を思えば面倒くさいものなのだ。学生時代には都会のマンションで一人暮らしをしていたが僕は隣の住人すら誰だかわからないような生活を四年間も続けていたものだから、むしろそういうクールな付き合いの方が性に合っていると思うのだ。

 住職から逃れてしばらく行くとまた誰かがにこにこしながら歩いてくる。僕は少しうつむき加減にして目を逸らし、相手にも気がついていないフリをした。

「おい、越野小路君、久ぶりだなぁ」

 中学時代の今日しだった。なんでこんなところにいるのだろう。小さく会釈をして逃げようと構えていると、見透かされたように言葉が続けられた。

「相変わらずだなぁお前は。今でも変わらんのか、あれは」

 担任の教師だったので僕のことはよく知っている。人の覚えが悪く、顔を見ただけでは誰だかわからないことも。昨日あったばかりの人ならなんとなく雰囲気や服装の感じでわかるのだけれども、しばらく会ってない人や、いつもと違う場所で出くわした人は、声や話の内容で判断して誰だか判断するしかないのだ。

「失顔症っていったかな、あれは治らないものなのかな?」

 教師に言われて僕は申し訳ない顔をして謝った。

「おいおい、なにも謝らなくても。君のせいじゃないんだからな。まあ、いつか治ればいいな」

 気の毒そうに言い残して教師は歩き去った。

いつ、なぜこうなったのかわからないが、気がついたら人の顔が区別できない自分がいた。何らかの事故や病でこのような脳障害になってしまった人が他にもいることを聞いたことがあるが、僕は事故にもあっていないし、病気になったこともない。たぶん生まれつきなのだし、さほど深刻なことだとも思っていない。慣れてしまえばなんてことはないのだ。ただ、時々僕の性分を知らない人から愛想が悪いだの、挨拶もしないだのと文句を言われることがあるくらいだ。だから誰とも会話をしなくてもいいような環境が暮らしやすいと思うのだ。

 まもなく家にたどり着こうかというあたりで、またしてもにこにこして僕に手を振っているおじさんがいた。僕の家の前で立ち止まったまま僕を待っているようだった。

 参ったな、あんなににこにこ親しそうに笑かけて手まで振ってくれているけれども、声を出してくれないと誰だかわからないじゃないか。つまりあの人は僕のそういう習性を知らない人だってことだな。誰だかわからないけれども、また叱られるのもなんだから、適当に挨拶しておこう。そう決めて僕は相手より先に元気いっぱいに声をかけた。

「どうも、こんにちは! ずいぶんご無沙汰しております!」

 おじさんは笑を引っ込めて少し悲しげな顔になった。

「なに言ってるんだ。今朝顔を合わせたばかりじゃないか。それとも冗談か?」

 声を聞いてようやくわかった。長年同居している父親だった。

                                                 了


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第九百九十一話 寝っ転がってかく [可笑譚]

 テレビというもののせいなのかどうか、はっきりとはわからないのだが、気がついてみるとリビングのソファの上で寝転がっている。三人掛けのソファはひと一人の胴体を横たえて両側にある肘起きのひとつに頭を持たせかけ、もう片側には足首あたりを乗せるのにちょうどいいのだ。頭はいささか急な角度で折れ曲がりがちであるがそれはもう慣れてしまった。足先は胴体より少し高いところに持ち上げることによって血流が心臓に帰りやすくなるのでいいという記事をなにかで読んだことがある。テレビのせいかわからないと書いたが、たいていはなにかの番組や映画がつけっぱなしになっているけれども、必ずしも見ていないし、場合によってはスイッチを入れていないこともあるからだ。いずれにしてもソファのこの位置がわたしの定位置になっていて、用事がないときはここで過ごしている。

 怠惰な性格は当然ながら怠惰な生活態度を形成するもので、いったん横になってしまうとなかなか起き上がることができない。だからソファの横に背の低いテーブルを置いて、飲み物や書籍、タブレットなど必要なものをそろえて置いてある。手を伸ばせばおおかた満足できるというセッティングだ。

 だが、横になってしまうとまず眠気が襲ってくる。睡眠不足なわけではないけれども習性というものだろう。本を手にしても数行のうちに瞼が落ちてくる。眠気がくると体温が上がるらしいが、体温が上がるから眠くなるという逆の説もあるようだ。体温が上がると身体のここそこが痒くなる。ぽりぽりと無意識のうちに尻を掻く。寝っ転がって掻く。床の上では愛犬も同じようにして後ろ足で身体を掻いているのを見ると、ああ自分もこ奴と同じ動物なんだと妙に感心する。少しアレルギー体質な私の皮膚は過剰に反応して掻いたところが赤くなっていっそう痒くなる。痒くなりながら眠気に呑まれて転寝をする。

 十分くらいなのか一時間ほど過ぎたのか、そもそも睡眠不足なわけではないからすぐに目が覚める。夕方の転寝というものはとても気持ちがいいものだが、目覚めたときについ寝ぼけてしまうことがある。これがとても不思議な感覚だ。夜なのか朝なのか、光の具合が奇妙に感じて、一瞬、起きて仕事に行かなければと思い、次にはなんだここはどこだベッドじゃないじゃないかと気がつき、いまは夜なのか朝なのかと混乱する。しばらくしてようやく、ああ居眠りしてたと気がつく。

 ソファの反対側にベランダがあって大きな窓があるのだが、目隠しにしているブラインドが開いたままになっている。ベランダの向こう側は広い道路を隔ててこちらと同じくらいのマンションが建っているのだが、同じ階同士だと少し大声で話せばコミュニケーションできそうな距離だ。向こうのベランダに人が立つと、こっちの様子がまるわかりになってしまう。だからいつもブラインドで目隠ししているのだけれども、今日に限って閉め忘れている。窓の向こうを見ると人影があって、どうやらだらしない姿を見られてしまったようだ。外から帰ってきて上着どころかシャツまで脱ぎ捨てて横たわり居眠りしてしまった私のあられもない姿。大通りを隔てた視線にどのように映ったのか想像するだけで血が逆流しそうだ。私は寝っ転がって、それだけで恥をかいてしまったようだ。

 寝っ転がって恥をかいたことを悔やんでもしかたがない。テーブルに手を伸ばしてタブレットをつかむ。ほんの少し前まで手書きだったものがワープロになり、パソコンになり、それでもまだ机の上でモノを書いていたのが、スマートフォンやタブレットという最新機器が登場したおかげで、机を離れても読書以外のさまざまな知的活動ができるようになった。たとえばなにか文章を書くということも、背筋を伸ばさなくてもできる。一説によると、手書きで書く文章とパソコンで書く文章では違ったものになるというのだが、こうして寝っ転がって書くというのはどんなものなのだろう。当然ながら上体を起こしているのと横たわっているのとでは脳への血の巡りも違うだろうし、気持ちの入り方も違うだろうとは思うのだが、私自身は自分の頭の中で起きていることになんら変わりはないのではないかと思っている。

 あと十話分で終わってしまうというこのタイミングでこのようなことを話題にするのはどうかと思うけれども、こういう普通のことを書いてみたかったので書いている。これが小説といえるのか、いやいやこれはエッセイだ、いや駄文だと、意見は分かれるところであるが、萩原アンナや高橋源一郎のような立派な書き手でも駄洒落やコメディを書いていることを思えば、こんなものを書いてみるのも面白いかな、しかも寝っ転がって、と思うのである。

 寝っ転がって書いていると、やはり多少の弊害はある。またしても眠気がくるのだ。自分で書きながら眠いなんていうのはいかに駄文であるかを証明しているようなものではあるが、眠いのだからしかたがない。タブレットを膝のあたりに角度をつけて置いているから膝が曲がっている。つまり立膝状態で居眠りをする。こうした場合、ありがちなのが眠っている間に膝が落ちるという現象だ。眠っていて膝が落ちたりすると、心地よく見ている夢の中で崖から落ちるという経験をして目が覚めたりするものだ。カクッ! 寝っ転がってカクッ! ああ、びっくりした。

 どんなオチかと思ったらこんなオチって。読んでるあなたにとっては、よしもと芸人じゃないけれども、まさに寝っ転がってカクッ! なことだとは思う。

                                           了


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第九百九十話 噂の警護官 [文学譚]

 そう言われてみれば確かに変だ。小浜市長はあらためてそう思った。自分の警護官の中に変わった人物がいるとネット上で騒がれていることを、小浜は最近知った。若い事務官が教えてくれたのだ。

「市長、ご存知ですか? あなたの警護官の中に宇宙人が紛れ込んでいるのではないかという噂が飛び交っていますよ」

 聞いた当初はなにを馬鹿な、市民というものはときどきとんでもない噂を流して喜ぶものだなぁと思っていた。ところが宇宙人という言葉が引っかかって気にするともなく頭に残っていたのだろう。田舎町のイベントに列席したときに、それとはなく自分の警護官を注意して観察してみたのだ。いつもなら警護の人物を意識することはない。そんなことよりもっと大事なことを考えているか、移動中に睡眠を取るか、現地では地元の市民に意識を集中させているからだ。

 警護官は五人いる。全員髪を短く刈っていて、黒いスーツで背が高くがっしりとした体躯をしているという共通項のために、遠目からの後ろ姿では一見区別がつきにくい。彼らはたいていは私と同じ方向を向いていて、こちらに背を向けているのだ。私を見張っているわけではないので、当然そういう格好になる。警護という一連の動作の中でときどき横を向いたり、ぐるりと回ったりするときに一瞬だけ顔を確認できる。一人目は眉が太く大きな目をぎょろつかせているが、普通の人間に見える。二人目はつり目であまり人相がいいとは思えない。そう、ちょうど昔話題になったブリコ糊長事件のモンタージュ写真に似ている。だが、これも人間に違いない。三人目はいやに首が長く頭が小さいので一瞬宇宙人かと思ったが、よくみるとこれも普通の人間に見える。四人目はなんと黒人だった。自分の警護官に外人がいるなんてはじめて知ったということに驚いた。問題は五人目だった。

 その人物は後ろから見るとわかりにくいが、横から見ると、頭の付き方がなんだかおかしい。ちょうど四足の動物、たとえば猫なんかをむりやり二本足で立たせたときに、妙に首を前に突き出したような格好になるが、あれに似ている。しかも頭蓋骨の形もネアンデルタール人のようにへしゃげた感じで、首の動かし方はトカゲが注意深く周囲をうかがっているゆな、あるいは鶏がしょっちゅう首を動かしているあの感じなのだ。どうみても人間ではない……とか言い難いが、どことなく人間離れしている。隣で座っている事務補佐官にそれを言うと、「市長、そんな風に市民を外見だけで判断するようなことは慎んだ方がよろしいですぞ。市長は人種差別するような人物であると言われてしまいますぞ」と窘められた。

 こういうことは気になりだすと止まないものだ。私はずーっとこの男の様子をうかがい続けた。すると、さらに不思議な動きをしていることに気がついた。時折小さくぴょこんと飛びあがったり、口角がぐっと上がってまるで口が耳まで裂けたように見えたりするのだ。やはりこいつはおかしい。噂通り宇宙人なのかもしれないぞ。次第にそう確信するに至った。しかしこれまでこの男がなにか問題を起こしたとか、悪さを働いたとかいう話は一切ない。見た目が宇宙人みたいだからと、職をはく奪するわけにはいかない。それこそ差別になってしまうだろう。障害を持っている人物ならば警護に支障がないのかと問い直すことはできるかもしれないが、この男は体力的にも身体能力的にも警護官の職務を全うしてあまりあるに違ない。それに仮に彼が宇宙人だとしても、国籍や戸籍を所有している以上、国民であり市民であることに間違いはないのだ。

 それから一週間が過ぎ、一ケ月が過ぎ、半年が過ぎた頃、警護官のことをすっかり忘れてしまっていた。ネットの噂も影を潜めているようだ。だが、なにがきっかけになったのかわからないが、外出時にふとあのときのことを思い出して護衛官を探した。すると相変わらず首をひょこひょこ動かしているあの男を発見して、なんとなく懐かしいようなほっとするような気持ちになった。しかし男の隣に立っている別の警護官を見て驚いた。黒人だと思っていた男は、非常にゴリラに似ていた。あのときはそう思わなかったのに、いま見るとどこから見ても顔じゅう毛だらけのゴリラだ。さらにその隣の男は異様に頭の小さな生き物であり、ほかの二人も目が顔から飛び出るほどつり上がっていたり、顔いっぱいの巨大な目をぎろつかせている妖怪のような人物だった。なにかが起きているのか、あるいはほんとうは最初からそうだったのか、私はわけがわからなくなりながら、大勢の市民を前にして演説台に上った。

                                         了


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第九百八十九話 思い込み大王 [文学譚]

 権造は散歩から帰ってくるとぼくをぎろりと睨んだ。そのアラビア半島ほども厳しい眼力はしっかりとぼくに向けられていて、こんな時間までどこをほっつき歩いていたんだ。学生の分際で夜遊びするんじゃぁないというようなことを言おうとしているのだ。権造の威圧感は目つきだけではなく体中に充満している。高校生のぼくが生まれる前からこの世にいるほどの長生きなのだから当然かもしれないが、年寄り臭くのっしのっしと歩くのは、権威を誇示したいがためのものなのか、あるいはほんとうに身体が年老いているからなのかはわからないが、いずれにしても廊下を大名のように歩いて居間にたどりつく。母は余計なことで吠えられる前に慌てて夕餉を差し出し、権造は黙って飯に食らいつく。誰よりも早く配膳され、いちばんにありつき、当然のようにさっさと食べてくつろぎモードに入ってしまう。だから我が家は全員が食卓に揃うことはない。兄も大学のときから家を出てしまっているので、ぼくはいつも母と二人きりで食事をするのだ。ときどき、年に一度くらいの頻度で、母はため息をつきながら、お父さんも一緒に食卓についてあんたの成績のこととか進路の話とかをしてくれたらよかったのにねぇ。母の言葉が聞こえたのか聞こえてないのか、テレビの前に横たわっている権造はのそりと首を持ち上げてなにか言いたげにぼくに視線を向ける。いわゆる睨みを聴かせるというのはこういうことをいうのだろうか。

 ぼくらが食事を終える頃には権造はとっとと寝床へと姿を消している。とっとと寝てくれるのならそれに越したことはない。いちいちぼくの行動を睨まれていたんじゃ、生きた心地がしない。だが、あまりに早くから寝ているせいか、権造はしばしば夜中に起きだしてくるのだ。ぼくが自分の部屋であらぬことをしているときに限って、目を覚ました権造がふらりと部屋を覗き込む。その気配に気がついてぼくはすぐさま勉強しているフリをするのだが、よからぬことを知ってか知らずにか、権造は淀んだ目つきでぼくを監視し、口には出さないニュアンスで「おまえ、なにしとるんだ。勉強しないのなら、とっとと寝てしまえ」と伝えてくる。家族であっても、監視されていると感じるのはいい気持ちではない。いったい何様なんだ。ぼくのことなどほっておいてくれ。思わずそう言って噛みつきたくなるが、そんなことをしたら反対に噛みつかれてしまうのがオチだろう。

 幼稚園から小学校、中学校、高校まで、ぼくはずーっとこんな風にしてこの家で暮らしてきた。権造も同じだ。次男であるぼくがいつまで経ってもこの家の中では最年少者であり続けているのと同じように、こいつは自分がこの家でいちばん偉い家長然とし続けている。それはもしかしたら権造の単なる思い込みではないのだろうか。ときどきぼくはそう思う。ぼくが生まれるずっと以前に地球を旅立ったボイジャー1号2号のごとき思い込みで太陽系を飛び出してしまうほどに、権造は父のようにふるまっている。年寄りのように口角が下がり両頬も目じりもがだらんと垂れた表情は権造が若かったときから変わることはなく、それ故に最初からこの家でいちばん偉い存在であり続けた。そしてぼくもまた生まれる前から権造が自分より偉い存在だと思い込み続けてきたのかもしれない。

 しばらくぼくの部屋にいた権造は監視することに飽きたのだろう、扉を押し開けてどたどたと寝床に帰っていく。こいつがいなくなったら、今度は誰を父と思ったらいいのだろうか。ぼくは身体の真ん中あたりに開きそうになる空洞を押さえ込むために深夜の空気を大きく吸い込んだ。

                                               了


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第九百八十八話 臨時休暇 [幻想譚]

 ついに休んでやった。それも平日だ。会社は経営状態が思わしくないと言っているのに、僕らは毎日忙しく働きづめで、日々のサービス残業はおろか土日も休めないような状態が続いている。こんなに働いているのに給料は下がる一方で、会社の業績が上がったという報告もないのはどういうわけなのかわからない。確かに昔と同じ仕事をしていても売上げ金額は以前より下がっていて、それは仕事先の予算枠が大きく引き下げられていることや、世間全般の物品価格が下がってしまっていることと大きく関係していて、僕らの人件費も下げないとやっていけない状況になってしまっていることに由来している。仕事はあるが、お金はないというのがお得意先の状況なのだ。僕らの仕事はどんどん増えるが、請求金額は変わらないどころかどんどん下がっていく。それでも業績をキープするためには働かざるを得ない、そんな悪循環に陥ってしまっているのだ。

 働いても働いても収入も上がらず休みも取れない。しかし会社には有給休暇があるのだからと休む社員もいるにはいるが、ひとり休むとその分他の社員の分担が増えて大きく迷惑をかけることになる。そう思うとそうたやすくは休みが取れないのだ。

 今度こそ休んでやる。そう思って旅行を予約したこともある。しかし、いよいよその日が近づいてくると、どういうわけか急ぎの仕事が入ってしまい、とうとう予約をキャンセルして予定していた休みを返上せざるを得なくなる。キャンセル料はばかにならず、こんなことなら無理して予約などしなければよかったと思う。そんなもの、仕事なんてなんとでもなるから休んでしまえばいいのに、と同僚は言うけれども、そんな訳にはいかないのだ。僕が休んだらいったい誰がこの仕事をフォローできるんだと思うからだ。ばかか、お前の仕事なんて誰でもカバーできるんだよ、と言われて頭に来たこともある。それが本当なら、なんで僕はこんなに忙しいのだ。仮に僕が休んだとしよう。間違いなく会社の誰かが電話をかけてくることになるだろう。あれはどうなってる、これはどうすればいいのか? そんな問い合わせが相次いで、結局僕は休みを返上して出社することになるに違いない。

 ところが平日に休んでしまっているというのに、誰からも電話が来ない。これはいったいどういうことなのだ。僕がいないと会社が困ると思っていたのは思い過ごしだったのだろうか。それどころかさっきから周りがざわついていて、何事かと思っていたら会社の連中がうちにやってきている。山田も鈴木も、川口先輩まで。いったいなにしに来てるんだ。忙しいはずなのに。仕事は大丈夫なのか? ああ、そうか。もしかして僕の仕事がわからなくて、電話じゃなくて直接聞きにきたのかな? みんないつになくシックなスーツを着て、受付の里奈ちゃんまで黒いワンピースでやって来た。いったいなんなのだ。

 僕は出迎えようと思うのだが、どうしたことか体が動かない。なんだここは。なぜこんなに狭いんだ。金縛り状態で横たわっているとどこかで鐘が鳴った。線香の匂いが漂ってきて、陰鬱な読経が聞こえてきた。僕は高いところからみんなを眺めていて、自分の体が箱の中に横たわっているのを発見した。

                                                                                 了


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第九百八十七話 お留守番 [文学譚]

 わたしは畳の上に寝転がって、声に耳を傾けていた。赤い服を着た女の子がおばあちゃんの家を訪ねていく物語。赤い色も服の形も女の子の顔もなんども見ている絵本が教えてくれているのだけれども、音だけ聞いているとまた違う印象が浮かんでくるのがおもしろい。わたしは想像力を膨らませながら過ごすこの時間がたいそう気に入って、毎日のように音を聴きながら絵本を眺めていた。

 いつもあんまり夢中になるので、お母さんが台所から呼びかけても気がつかない。お母さんはいつもわたしがステレオの前でおとなしくしている間に台所の片づけや部屋の掃除を済ませてしまう。家の中の用事が済んだら、お買い物に出かけることもあって、一緒に行く? とわたしに声をかけるのだけれども、その日のわたしは声をかけられたことにまったく気がつかないほ絵本と朗読に夢中だった。

 物語が終わってしまうと、いきなり部屋の中が静まり返る。柱時計にぶら下がった振り子の音だけが響いていて、この世の中には柱時計しかないんではないかと思った。台所に耳を澄ませても、物音ひとつしない。わたしはのろのろと半身だけを起こして、いざりのように腕だけでずるずると襖のあたりまで移動する。首だけを廊下につきだす格好で、お母さんと読んでみるけど、返事はない。もう一度呼ぶ。屋根の上を烏が鳴きながら飛んでいく。

 お母さん、お母さ~ん。

 何度も読んでいるうちに捨てられてしまった気がしてきて、涙があふれてくる。

 お母さ~ん。お母さ~ん。

 ついにわたしは立ち上がってお母さんがいるはずの場所に向かった。台所はきれいに片づけられていてどこかのショールームみたいだ。コンロの上に置かれた鍋にはきちんと蓋がしてあって湯気もたっていない。お母さんがとんとんと音を立てるまな板だって洗い場の隅に立てかけられていて、布巾が被せられている。食卓の上もきれいに片付いてなにもなく、それがいっそう寂寥感を煽る。両親の寝室の襖を開けてみると、人影一つなく、座布団の上にお母さんの抜け殻が畳んで置いている。お父さんと兄ちゃんがなぜいないのか知っているけれども、お母さんがいないのはなぜなのかわからなかった。やっぱり捨てられてしまったのではないか。まるでこの世に生き残った最後の一人になってしまったような気持ちに襲われる。ほんとうはお母さんがなぜいないのかわかっているのに、なぜか涙が次々にあふれてきて、お母さんを呼ぶ。涙が声を押し出し、泣き声がまた涙をあふれさせる。

 元の部屋に泣きながら戻って身体を横たえると、いつの間にか眠ってしまった。眠かったわけではないが、泣き疲れてしまったのだ。数秒か数分か数時間かわからないけれど、目を覚ますとやはり家の中は静かだった。わたしは再び家中を見て回ったけど、誰もいなかった。床の上にあったはずの絵本は消えていて、畳はフローリングに変わっている。コンポが置いてあるチェストのところに写真立てがいくつかあって、お線香立てがある。フレームの中の父も母もいい顔で微笑んでいる。お母さん。わたしは小さく呼んでみる。そしてもう一度。

 お母さん! 

 名を呼んだだけでなぜかわからないけど再び涙が涌いてくる。お母さんと涙はセットみたいになっている。あのとき、いつかお母さんが死んでしまったらどうしようと、胸が痛くなった。死ぬということがどういうことさえまだわかっていなかったのに、もう二度と会えないことなのだとわかっていた。わたしは何十年先の今日のことを予感していたのかもしれない。

                                                                                                                                              了


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第九百八十六話 ソルトアンドシュガー [文学譚]

「まさか、そんな」

 右手に円柱形の容器を持ったまま、しばらく呆然と考えていた。いままで一度もこんなことはなかった。この白い大理石のテーブルを買ったときも、数多い選択肢の中から迷わずこのテーブルを選んだ。人は選択肢が増えれば増えるほど迷いが生じて誤った選択をしてしまうものだ。だが私は間違わなかった。ダイニングの床面積をきちんと把握していて、こげ茶のフローリングとの配色も視野に入れ、寸法通りのものを選び抜いた。もちろん四つの椅子も同じように正確に選び抜いた。十年使い込んだいまでもあのときの選択に狂いはなかったと満足しているくらいだ。このマグカップもそう。似たようなものが多い中で、フランス雑貨ブランドのシンプルなものを選んだ。これか大理石のテーブル天板にほどよくマッチして朝の珈琲をいっそう美味しくしてくれるのだ。

 こうしてあらゆるジャンルにおいて正しいチョイスをしてきた私が、こんな間違いを犯すなんて、信じられない。

「いや、まだ間違いと決まったわけではないか」

 ひとりごちながら、容器を大理石の上に戻す。そうだ、間違いだったかどうかなんて、まだわかっちゃいないんだ。しかし、それがわかるまでにそう時間はかからないだろう。いっそう、このまま間違いだったかどうかうやむやにしておきたい気持ちが芽生える。どうしようか。なかったことにしてしまうか? そんなことをしてどうなる。私はマグカップに手をかける。大きくアールのついたカップの持ち手が指に意外なほどの冷たさを伝える。一瞬指を引っ込めてしまうが、思い直してもう一度指を伸ばす。

 カップを持ち上げ、ゆっくりと口元に運びながらもまだまよっている。もし、間違っていたらどうしたらいいのだ。やり直すのか? それともこのまま最後までやり過ごすのか。もしかするとやり直したくてもできないことも想定しておく必要があるかもしれない。私はカップを口元に持ち上げたまま、静かに深呼吸をした。

芳ばしい珈琲の香りが鼻腔に漂う。美味そうだ。豆はキリマンジャロがいいとか、ガテマラだとか、他人はいろいろと講釈を垂れるが、私はあの店でブレンドされたものが世界一美味いと思う。酸味もなく、苦味も少なく、薄めに淹れたときにちょうどいい。昔はブラックで飲んだのに、最近になって甘味を求めるようになった。疲れているからかもしれない。あるいは、糖尿気味なのかもしれない。いずれにしても子供の頃そうだったように、スプーンに二杯の砂糖を入れて飲む習慣がついてしまった。

 いつまでも思案していてもはじまらない。わたしはついに心を決めた。はっきりさせるのだ。結果はどうあれ、曖昧なまま放置するなんて大人の男がするものではない。思い切ることが大事なのだ。私はカップに口をつけ、濃厚に見える液体を流し込む。その刹那、視線がテーブルの上に落ちる。二つの同じ容器にはよく似た白い粉末がたっぷり入っている。いったい誰がこのようなことをしたのだろうか。同じ容器に似た粉を入れておくなんて。もちろんそれは妻の仕業に決まっている。私でなければ妻しかこの家にはいないのだから。美しい容器だからこそ、二つ同じように扱いたかったのだろう、そうに違いない。熱い液体が口の中に入り、私の舌を濡らす。しばしの間をおいて、舌が悲鳴を上げる。

 しょ、しょっぱい。

 結果がわかった。やはり、間違いだった。私は珈琲に塩を入れてしまっていたのだ。

                                              了


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第九百八十五話 お・も・て・な・し条例 [可笑譚]

 二千十三年九月八日、二千二十年の東京オリンピック開催が決定した。日本へのオリンピック招致 を実現したのは招致委員会全員の努力の賜物なのだが、中でもIOCを中心とした海外の委員たちの心に響くプレゼンテーションに成功したと評価されたのがフ ランス語を見事に操って語った滝川クリスタルで、そのキーワードとなったのが「おもてなし」という言葉だったことは記憶に新しい。

  東京開催が決定した後、政府は開催に向けて様々な施策を考案し、オリンピックの成功に向けた事業に取り組んだ。その中でも後に賛否わかれることになる「お もてなし条例」が施行された。これは海外から訪れる観光客を最大限のホスピタリティで迎えようというものでそれ自体は悪くないのだが、そのキーワードにあ のプレゼンテーションの言葉が用いられたことが国内に大いなる混乱をもたらした。

 人々はすべからくあの日の滝川クリステルのポーズを真似ておもてなしを語り、おもてなしを実践した。

「ご注文はお決まりですか?」

「この力うどんをお願いします」

 あるうどん屋での会話である。

「ああ、すみません。どういうわけか今日はそのメニューが大人気でして、肝心の具材が切れてしまいまして……」

「え? 具材が売り切れ?」

「はぁ、そうなんです。つまり、お・も・ち・な・し。お餅なし」

 店主は客に向かって両手を合わせた。

 隣の喫茶店では、若いカップルがもめていた。

「ねぇ、私のこと邪魔だって思ってるでしょう?」

「そ、そんなことないよ。なに言ってるんだ」

「うそ。最近とても冷たい態度はおかしいわ。私がいなくなればいいと思ってるでしょ!」

「ばかな! 俺がそんなこと思うわけがない」

「いいや、思ってる!」

 男は顔の前で左手でなにかをつまむようなポーズで言って、両手を合わせた。

「お・も・て・な・い。思てない」

 女の田舎では母親が胡瓜を漬けていたのだが、いつもの桶に糠と胡瓜を入れたものの、重しにしている石が見当たらない。

「ねぇ、あんたぁ。いつもの石、知らない?」

「石ってなんだよ」

「ほら、漬け物石よう」

「知らんなぁ。わし、そんなもの触ったことないぞ」

「おかしいわねえ、ないのよ。何か変わりになるものないかしら?」

 夫はしばらく考えてから、顔の前に左手を突き出して言った。

「お・も・し・な・し。重しなし」

 大阪の寄席では若手の漫才を見ていた常連客があくびをしながら左手を顔の前に持っていって言った。

「お・も・ろ・な・い。オモロない」

  こんな具合に、日本中がどんどん滝川ポーズに毒されていって、元来あるべきホスピタリティの精神はどこへやら、人々はおもしろがって、いかに「お・も・ て・な・し」をもじった言葉を編み出すかに血道を上げるようになってしまったのだ。本来のおもてなし施策はすっかり裏の施策に陥ってしまった。

 世の中の情勢を知った首相はこんなことではいけないと、急遽記者会見を開いた。この以上な事態を収拾するために、国民になにをどう語ればいいのか迷いに迷った首相は、テレビカメラの前でひと呼吸おいてから口を開いた。

「国民のみなさん。おもてなし条例が間違った方向に傾いてしまっています。こんなことではオリンピックに向けたこの条例が無意味なものになってしまうと危惧しています。いまのままでは、このおもてなし条例は……」

 首相は左手を顔の前に突き出して言った。

「お・も・て・な・し。表なし」

 首相は両手を合わせて頭を下げるのだった。

                              了


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第九百八十四話 笑うねずみ [文学譚]

 広い構内の一画に長い年月を経験してきたコンクリートの建物があり、その中に教授の研究室があった。さほど広くはない部屋だが、いまやノーベル賞に最も近いと噂される村下教授による一連の研究や実験がここで行われてきた。教授が携わっているのは分子生物学という分野で、わかりやすくいうと生命現象を分子で解読しようというものだ。最近流行りのヒトゲノムという遺伝子工学もこの分野に関連する。

 教授はいま研究室の片隅で熱心に実験を遂行している。

 こちょこちょ、こちこちょ。

「教授、どうですか? 今日も笑ってます?」

 この数年教授のアシスタントを務めている院生の葉子が尋ねた。

「ああ、もちろんだ。これで笑わないはずがない」

 ほんとうかなぁ、葉子は首を傾げながら教授の背中を見る。自分自身はあまりにも敏感で他人にちょっと触れられただけでくすぐったくて仕方がない。脇をくすぐられたりすると死んでしまうくらいに笑いを引きつらせてしまう。だが、動物が笑うなんて聞いたこともなかった。愛犬家の間では、うちの子が笑った! などという親バカな話はよく聞くが、ユーチューブにアップされた動画などを見ると、確かに笑っているような顔ではあるが、ほんとうに犬が笑っているのかどうかは怪しいものだと思う。飼い主自身の主観が入って、愛犬が泣いたり笑ったりしているように信じ込むのだ。猫なんて最初から口角が上がっているのだから、常に笑っているように見える。だが、はたして犬や猫にも人間と同じような感情があるのだろうかと思う。野生の動物が持っているのと同じ本能でもって、身を守るための敵意だとか、種を保存するための母性や保護依頼心のようなものはあるに違いないが、それらは人間の感情に似た部分もあるけれどもまったく同じではないような気がする。ましてこの小さな二十日鼠が泣いたり笑ったりするとはとても信じられないのだが、教授はそんなことはないと完全否定する。

「ほぉら、笑ってる笑ってる」

 覗き込むと教授は鳥の羽根みたいなもので台座に固定されているねずみの脇腹あたりをこそばしていて、ねずみはなにをするともがいている。その顔に笑いの表情があるのかどうかわからないが、頭に刺した電極から電線が伸びて横に置いてある脳波測定機を見ると、確かに針が大きく動いている。快楽中枢に差し込まれた電極に流れる体内電流の値を測定しているわけだが、反応しているということは羽根刺激によって脳が反応し、快楽を感じている方向に電気を発生させているということを示している。これが、教授がいうねずみの笑いなのである。

 現代人はよく病気になる。胃潰瘍、癌、神経病、心臓病……そしてその多くがストレスに因るものだと診断される。精神を蝕む強いストレスが肉体にまで影響を及ぼすということは広く知られている。ここでいうストレスとは負の要因だ。ここで教授が考えたのは負のストレスというものが肉体をマイナス方向に持っていくのなら、正のストレスは肉体をプラスの方向に持っていくのではないか。正のストレスとは負ではないということだ。それがたとえば笑いというものなのだ。

 教授は人間を被験者にした実験も行った。糖尿病患者を集めて、吉本興業の芸人のお笑いを見せたところ、その前後において血糖値に変化があった。笑った後には血糖値が下がったというのだ。もっとも血糖値を下げる芸人とそうでもない芸人がいることも確かなのだが。つまり面白くない芸は役に立たなかったということだ。

 この実験結果に気を良くした教授はより制度の高い値を得るために、動物実験を行っているのだ。ねずみが笑っているのかどうなのか、いまだに葉子にはわからないのだが、測定機は日夜確かな数字を叩き出している。近い将来、処方薬局で「笑い」という薬が出される日は近いのかもしれない。その日を夢見て、教授は今日もねずみの脇腹をくすぐっているのだ。

                                              了

                                          参考:村上和雄ドキュメント SWITCH


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第九百八十三話 狂気の狭間で [文学譚]

 岩崎敦夫はウルトラ世代だ。小学四年生のときにテレビで放映されたウルトラマンに度肝を抜かれ、学校では毎日シュワッチを連呼して過ごした。それ以来毎年ヒーローが進化していくウルトラシリーズを見て大人になった。当時はまだビニル製のフィギュアなどなかったが、敦夫のお年玉はほとんどジェットビートルやウルトラホークなどの高価なプラモデルに変わった。

 高校生活ではさすがにシュワッチとは言わなかったが、同級生たちはみんなウルトラマンに魅せられて育っているので、はじめて出会った友人とも同じ話題で盛り上がることができるのがうれしかった。

 ところが大学生になって間もなくさらに衝撃的な出会いがあった。映画スターウォーズとの出会いである。ジョージ・ルーカスがどうとか、ジェダイがどうしたとか、スカイウォーカーがなんだとかいうことも心を捉えたが、なんといってももっとも敦夫の心を支配したのはダース・ベイダー卿だった。エピソード4~5まで、ダークサイドを牛耳る銀河帝国皇帝パルパティーンの部下でありながら、事実上はすべてにおいて悪の権化のようにふるまうベイダー卿になぜ惹かれるのかわからなかったが、エピソード6になってようやくベイダー卿がルークの父であることが分かると、自分の心を捉えたわけがわかったような気がした。ほんとうの悪ではなかったのだと理解したのだ。

 さらに二十年をおいて、今度はエピソード1が上映され、すでに四十を越えていた敦夫もまた学生時代のように胸を膨らませて映画館に出かけた。あらかじめ内容の一部を把握していたものの、アナキン少年というダース・ベイダーの子供時代が描かれている本作は、ほぼ全編子供の映画のようで、ベイダー卿が出て来ないのが不満だった。やがてエピソード2を経て1から6年待ってようやく3が上映され、アナキンがいかにしてベイダー卿になったのかが明らかになると、敦夫は涙を流して画面を見続けた。

 敦夫は十八歳ではじめてダース・ベイダーを目にしてから、ずっとベイダーフリークだ。あのヘルメットはもちろん、大小さまざまなフィギュアを買いそろえ、全身コスチュームも数体持っている。なにか催しがあるたびにベイダー卿のコスプレで場を賑やかしてきた。それほどまでにベイダー卿にとらわれている敦夫は、実は実生活の中でも人知れずベイダー卿に捉えられ続けてきた。

 フォースの力を信じ、常に自らの力を磨き続けた。就職試験や会社に入ってからのプレゼンテーション、昇進試験など、なにかと戦わねばならないときには必ずフォースの力を利用して勝ち抜いてきた。気に入らない上司や同僚のほとんどがどこかへ鎖線されていったのもすべて敦夫のフォース力のなせる技だ、と信じて疑わない。もちろん、そのようなことを誰かに言ったりはしない。職場に仲間であるジェダイの戦士が現れたなら別だが、一般人にフォースの話をしても頭がおかしいと思われるだけだからだ。もちろん鞄の中には特注した本物に限りなく近いライトセーバーを常に忍ばせているが、現実社会ではこれを使わねばならないチャンスはいまだあったことがない。

 こうして徐々に力を蓄え、社内の地位も確保してきた敦夫は、五十歳になったときにはトップではないものの、部署長にまでのし上がっていた。これは、皇帝が上にいるベイダー卿と、まぁ同じような立ち位置であるから、敦夫は大いに満足していた。

 ところが好調上向きだった日本経済が下火になり、リーマンショック以来各社ともに大きな経営方針の転換が求められたとき、敦夫は上層部から移動を命じられ、部下の中でも最も優秀だとされている地江という男が自分のポストを引き継ぐことを告げられたときに、ついに敦夫の中のなにかに火がついた。

 役員室から戻る廊下を歩きながら、これは反乱だ。きっとあいつが仕掛けたに違いない。まてよ? 地江とは……やつの名前はひろし……大と書く……地江大、ジエヒロシ、ジェダイとも読める。なぜ気がつかなかった。奴はジェダイの戦士だ。

 デスクに戻ると敦夫は鞄の中からライトセーバーを取り出し、背広の袖口に隠し持った。地江のデスクは目の前だ。奴はこちらに背中を向けて座っている。敦夫は立ち上がって叫んだ。

「地江……いや、ルーク! おまえはわしの息子なのだぞ!」

                                                                                                                            了


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