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第九百八十七話 お留守番 [文学譚]

 わたしは畳の上に寝転がって、声に耳を傾けていた。赤い服を着た女の子がおばあちゃんの家を訪ねていく物語。赤い色も服の形も女の子の顔もなんども見ている絵本が教えてくれているのだけれども、音だけ聞いているとまた違う印象が浮かんでくるのがおもしろい。わたしは想像力を膨らませながら過ごすこの時間がたいそう気に入って、毎日のように音を聴きながら絵本を眺めていた。

 いつもあんまり夢中になるので、お母さんが台所から呼びかけても気がつかない。お母さんはいつもわたしがステレオの前でおとなしくしている間に台所の片づけや部屋の掃除を済ませてしまう。家の中の用事が済んだら、お買い物に出かけることもあって、一緒に行く? とわたしに声をかけるのだけれども、その日のわたしは声をかけられたことにまったく気がつかないほ絵本と朗読に夢中だった。

 物語が終わってしまうと、いきなり部屋の中が静まり返る。柱時計にぶら下がった振り子の音だけが響いていて、この世の中には柱時計しかないんではないかと思った。台所に耳を澄ませても、物音ひとつしない。わたしはのろのろと半身だけを起こして、いざりのように腕だけでずるずると襖のあたりまで移動する。首だけを廊下につきだす格好で、お母さんと読んでみるけど、返事はない。もう一度呼ぶ。屋根の上を烏が鳴きながら飛んでいく。

 お母さん、お母さ~ん。

 何度も読んでいるうちに捨てられてしまった気がしてきて、涙があふれてくる。

 お母さ~ん。お母さ~ん。

 ついにわたしは立ち上がってお母さんがいるはずの場所に向かった。台所はきれいに片づけられていてどこかのショールームみたいだ。コンロの上に置かれた鍋にはきちんと蓋がしてあって湯気もたっていない。お母さんがとんとんと音を立てるまな板だって洗い場の隅に立てかけられていて、布巾が被せられている。食卓の上もきれいに片付いてなにもなく、それがいっそう寂寥感を煽る。両親の寝室の襖を開けてみると、人影一つなく、座布団の上にお母さんの抜け殻が畳んで置いている。お父さんと兄ちゃんがなぜいないのか知っているけれども、お母さんがいないのはなぜなのかわからなかった。やっぱり捨てられてしまったのではないか。まるでこの世に生き残った最後の一人になってしまったような気持ちに襲われる。ほんとうはお母さんがなぜいないのかわかっているのに、なぜか涙が次々にあふれてきて、お母さんを呼ぶ。涙が声を押し出し、泣き声がまた涙をあふれさせる。

 元の部屋に泣きながら戻って身体を横たえると、いつの間にか眠ってしまった。眠かったわけではないが、泣き疲れてしまったのだ。数秒か数分か数時間かわからないけれど、目を覚ますとやはり家の中は静かだった。わたしは再び家中を見て回ったけど、誰もいなかった。床の上にあったはずの絵本は消えていて、畳はフローリングに変わっている。コンポが置いてあるチェストのところに写真立てがいくつかあって、お線香立てがある。フレームの中の父も母もいい顔で微笑んでいる。お母さん。わたしは小さく呼んでみる。そしてもう一度。

 お母さん! 

 名を呼んだだけでなぜかわからないけど再び涙が涌いてくる。お母さんと涙はセットみたいになっている。あのとき、いつかお母さんが死んでしまったらどうしようと、胸が痛くなった。死ぬということがどういうことさえまだわかっていなかったのに、もう二度と会えないことなのだとわかっていた。わたしは何十年先の今日のことを予感していたのかもしれない。

                                                                                                                                              了


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第九百八十六話 ソルトアンドシュガー [文学譚]

「まさか、そんな」

 右手に円柱形の容器を持ったまま、しばらく呆然と考えていた。いままで一度もこんなことはなかった。この白い大理石のテーブルを買ったときも、数多い選択肢の中から迷わずこのテーブルを選んだ。人は選択肢が増えれば増えるほど迷いが生じて誤った選択をしてしまうものだ。だが私は間違わなかった。ダイニングの床面積をきちんと把握していて、こげ茶のフローリングとの配色も視野に入れ、寸法通りのものを選び抜いた。もちろん四つの椅子も同じように正確に選び抜いた。十年使い込んだいまでもあのときの選択に狂いはなかったと満足しているくらいだ。このマグカップもそう。似たようなものが多い中で、フランス雑貨ブランドのシンプルなものを選んだ。これか大理石のテーブル天板にほどよくマッチして朝の珈琲をいっそう美味しくしてくれるのだ。

 こうしてあらゆるジャンルにおいて正しいチョイスをしてきた私が、こんな間違いを犯すなんて、信じられない。

「いや、まだ間違いと決まったわけではないか」

 ひとりごちながら、容器を大理石の上に戻す。そうだ、間違いだったかどうかなんて、まだわかっちゃいないんだ。しかし、それがわかるまでにそう時間はかからないだろう。いっそう、このまま間違いだったかどうかうやむやにしておきたい気持ちが芽生える。どうしようか。なかったことにしてしまうか? そんなことをしてどうなる。私はマグカップに手をかける。大きくアールのついたカップの持ち手が指に意外なほどの冷たさを伝える。一瞬指を引っ込めてしまうが、思い直してもう一度指を伸ばす。

 カップを持ち上げ、ゆっくりと口元に運びながらもまだまよっている。もし、間違っていたらどうしたらいいのだ。やり直すのか? それともこのまま最後までやり過ごすのか。もしかするとやり直したくてもできないことも想定しておく必要があるかもしれない。私はカップを口元に持ち上げたまま、静かに深呼吸をした。

芳ばしい珈琲の香りが鼻腔に漂う。美味そうだ。豆はキリマンジャロがいいとか、ガテマラだとか、他人はいろいろと講釈を垂れるが、私はあの店でブレンドされたものが世界一美味いと思う。酸味もなく、苦味も少なく、薄めに淹れたときにちょうどいい。昔はブラックで飲んだのに、最近になって甘味を求めるようになった。疲れているからかもしれない。あるいは、糖尿気味なのかもしれない。いずれにしても子供の頃そうだったように、スプーンに二杯の砂糖を入れて飲む習慣がついてしまった。

 いつまでも思案していてもはじまらない。わたしはついに心を決めた。はっきりさせるのだ。結果はどうあれ、曖昧なまま放置するなんて大人の男がするものではない。思い切ることが大事なのだ。私はカップに口をつけ、濃厚に見える液体を流し込む。その刹那、視線がテーブルの上に落ちる。二つの同じ容器にはよく似た白い粉末がたっぷり入っている。いったい誰がこのようなことをしたのだろうか。同じ容器に似た粉を入れておくなんて。もちろんそれは妻の仕業に決まっている。私でなければ妻しかこの家にはいないのだから。美しい容器だからこそ、二つ同じように扱いたかったのだろう、そうに違いない。熱い液体が口の中に入り、私の舌を濡らす。しばしの間をおいて、舌が悲鳴を上げる。

 しょ、しょっぱい。

 結果がわかった。やはり、間違いだった。私は珈琲に塩を入れてしまっていたのだ。

                                              了


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第九百八十四話 笑うねずみ [文学譚]

 広い構内の一画に長い年月を経験してきたコンクリートの建物があり、その中に教授の研究室があった。さほど広くはない部屋だが、いまやノーベル賞に最も近いと噂される村下教授による一連の研究や実験がここで行われてきた。教授が携わっているのは分子生物学という分野で、わかりやすくいうと生命現象を分子で解読しようというものだ。最近流行りのヒトゲノムという遺伝子工学もこの分野に関連する。

 教授はいま研究室の片隅で熱心に実験を遂行している。

 こちょこちょ、こちこちょ。

「教授、どうですか? 今日も笑ってます?」

 この数年教授のアシスタントを務めている院生の葉子が尋ねた。

「ああ、もちろんだ。これで笑わないはずがない」

 ほんとうかなぁ、葉子は首を傾げながら教授の背中を見る。自分自身はあまりにも敏感で他人にちょっと触れられただけでくすぐったくて仕方がない。脇をくすぐられたりすると死んでしまうくらいに笑いを引きつらせてしまう。だが、動物が笑うなんて聞いたこともなかった。愛犬家の間では、うちの子が笑った! などという親バカな話はよく聞くが、ユーチューブにアップされた動画などを見ると、確かに笑っているような顔ではあるが、ほんとうに犬が笑っているのかどうかは怪しいものだと思う。飼い主自身の主観が入って、愛犬が泣いたり笑ったりしているように信じ込むのだ。猫なんて最初から口角が上がっているのだから、常に笑っているように見える。だが、はたして犬や猫にも人間と同じような感情があるのだろうかと思う。野生の動物が持っているのと同じ本能でもって、身を守るための敵意だとか、種を保存するための母性や保護依頼心のようなものはあるに違いないが、それらは人間の感情に似た部分もあるけれどもまったく同じではないような気がする。ましてこの小さな二十日鼠が泣いたり笑ったりするとはとても信じられないのだが、教授はそんなことはないと完全否定する。

「ほぉら、笑ってる笑ってる」

 覗き込むと教授は鳥の羽根みたいなもので台座に固定されているねずみの脇腹あたりをこそばしていて、ねずみはなにをするともがいている。その顔に笑いの表情があるのかどうかわからないが、頭に刺した電極から電線が伸びて横に置いてある脳波測定機を見ると、確かに針が大きく動いている。快楽中枢に差し込まれた電極に流れる体内電流の値を測定しているわけだが、反応しているということは羽根刺激によって脳が反応し、快楽を感じている方向に電気を発生させているということを示している。これが、教授がいうねずみの笑いなのである。

 現代人はよく病気になる。胃潰瘍、癌、神経病、心臓病……そしてその多くがストレスに因るものだと診断される。精神を蝕む強いストレスが肉体にまで影響を及ぼすということは広く知られている。ここでいうストレスとは負の要因だ。ここで教授が考えたのは負のストレスというものが肉体をマイナス方向に持っていくのなら、正のストレスは肉体をプラスの方向に持っていくのではないか。正のストレスとは負ではないということだ。それがたとえば笑いというものなのだ。

 教授は人間を被験者にした実験も行った。糖尿病患者を集めて、吉本興業の芸人のお笑いを見せたところ、その前後において血糖値に変化があった。笑った後には血糖値が下がったというのだ。もっとも血糖値を下げる芸人とそうでもない芸人がいることも確かなのだが。つまり面白くない芸は役に立たなかったということだ。

 この実験結果に気を良くした教授はより制度の高い値を得るために、動物実験を行っているのだ。ねずみが笑っているのかどうなのか、いまだに葉子にはわからないのだが、測定機は日夜確かな数字を叩き出している。近い将来、処方薬局で「笑い」という薬が出される日は近いのかもしれない。その日を夢見て、教授は今日もねずみの脇腹をくすぐっているのだ。

                                              了

                                          参考:村上和雄ドキュメント SWITCH


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第九百八十三話 狂気の狭間で [文学譚]

 岩崎敦夫はウルトラ世代だ。小学四年生のときにテレビで放映されたウルトラマンに度肝を抜かれ、学校では毎日シュワッチを連呼して過ごした。それ以来毎年ヒーローが進化していくウルトラシリーズを見て大人になった。当時はまだビニル製のフィギュアなどなかったが、敦夫のお年玉はほとんどジェットビートルやウルトラホークなどの高価なプラモデルに変わった。

 高校生活ではさすがにシュワッチとは言わなかったが、同級生たちはみんなウルトラマンに魅せられて育っているので、はじめて出会った友人とも同じ話題で盛り上がることができるのがうれしかった。

 ところが大学生になって間もなくさらに衝撃的な出会いがあった。映画スターウォーズとの出会いである。ジョージ・ルーカスがどうとか、ジェダイがどうしたとか、スカイウォーカーがなんだとかいうことも心を捉えたが、なんといってももっとも敦夫の心を支配したのはダース・ベイダー卿だった。エピソード4~5まで、ダークサイドを牛耳る銀河帝国皇帝パルパティーンの部下でありながら、事実上はすべてにおいて悪の権化のようにふるまうベイダー卿になぜ惹かれるのかわからなかったが、エピソード6になってようやくベイダー卿がルークの父であることが分かると、自分の心を捉えたわけがわかったような気がした。ほんとうの悪ではなかったのだと理解したのだ。

 さらに二十年をおいて、今度はエピソード1が上映され、すでに四十を越えていた敦夫もまた学生時代のように胸を膨らませて映画館に出かけた。あらかじめ内容の一部を把握していたものの、アナキン少年というダース・ベイダーの子供時代が描かれている本作は、ほぼ全編子供の映画のようで、ベイダー卿が出て来ないのが不満だった。やがてエピソード2を経て1から6年待ってようやく3が上映され、アナキンがいかにしてベイダー卿になったのかが明らかになると、敦夫は涙を流して画面を見続けた。

 敦夫は十八歳ではじめてダース・ベイダーを目にしてから、ずっとベイダーフリークだ。あのヘルメットはもちろん、大小さまざまなフィギュアを買いそろえ、全身コスチュームも数体持っている。なにか催しがあるたびにベイダー卿のコスプレで場を賑やかしてきた。それほどまでにベイダー卿にとらわれている敦夫は、実は実生活の中でも人知れずベイダー卿に捉えられ続けてきた。

 フォースの力を信じ、常に自らの力を磨き続けた。就職試験や会社に入ってからのプレゼンテーション、昇進試験など、なにかと戦わねばならないときには必ずフォースの力を利用して勝ち抜いてきた。気に入らない上司や同僚のほとんどがどこかへ鎖線されていったのもすべて敦夫のフォース力のなせる技だ、と信じて疑わない。もちろん、そのようなことを誰かに言ったりはしない。職場に仲間であるジェダイの戦士が現れたなら別だが、一般人にフォースの話をしても頭がおかしいと思われるだけだからだ。もちろん鞄の中には特注した本物に限りなく近いライトセーバーを常に忍ばせているが、現実社会ではこれを使わねばならないチャンスはいまだあったことがない。

 こうして徐々に力を蓄え、社内の地位も確保してきた敦夫は、五十歳になったときにはトップではないものの、部署長にまでのし上がっていた。これは、皇帝が上にいるベイダー卿と、まぁ同じような立ち位置であるから、敦夫は大いに満足していた。

 ところが好調上向きだった日本経済が下火になり、リーマンショック以来各社ともに大きな経営方針の転換が求められたとき、敦夫は上層部から移動を命じられ、部下の中でも最も優秀だとされている地江という男が自分のポストを引き継ぐことを告げられたときに、ついに敦夫の中のなにかに火がついた。

 役員室から戻る廊下を歩きながら、これは反乱だ。きっとあいつが仕掛けたに違いない。まてよ? 地江とは……やつの名前はひろし……大と書く……地江大、ジエヒロシ、ジェダイとも読める。なぜ気がつかなかった。奴はジェダイの戦士だ。

 デスクに戻ると敦夫は鞄の中からライトセーバーを取り出し、背広の袖口に隠し持った。地江のデスクは目の前だ。奴はこちらに背中を向けて座っている。敦夫は立ち上がって叫んだ。

「地江……いや、ルーク! おまえはわしの息子なのだぞ!」

                                                                                                                            了


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第九百八十二話 小説書きの第一歩 [文学譚]

 扉が開くといきなり往来の騒音に襲われた。それほど密閉性が高いのか、建物の中にいるとあまりに静かで外の様子など皆目わからない。耳栓をして潜っていた水中から浮上するといきなり水面の風の音に襲われる、そんな感じだ。騒音のほとんどは車の走行音で右からやってくる乗用車が比較的静かに走り去ったかと思うとすぐに左からトラックが走ってきてそれはものすごいエンジン音を放って逃げていく。無菌室から解放されたばかりの小動物のように両手で耳をふさぎたくなる。それに大型トラックは音ばかりでなくどどどどと足もとまで揺らしながら走るのだから恐怖さえ覚えてしまう。その後通り過ぎていく小型車などは可愛いカモシカかなにかに思えてしまうほどだった。

 やがて耳が慣れてしまうともう車の走行音などはさして気にもならなくなって、それまで気がつかなかった小さな音が耳に入る。雀の親子が鳴きながら飛び去っていくのを見つけて見上げると、そこには気持のいいほどの青空が広がっていて今日はこんなにいい天気だったんだとはじめて気がつく。出かけるときには雨が降るかどうかだけを気にし過ぎていて、ここまで青空かどうかなんて考えもしなかった。しかし好天であることに気づいてみると、なんだか今日一日が決して悪い日ではないような予感がしてきて心が軽くなる。どこからか吹いてくる微風は心地よく、あれほど暑かった夏の記憶が嘘だったのではないかと思い、またこれからはどんどん気温が下がっていくことなど想像もできないくらいにちょうどいい肌感覚に思わず微笑みがこぼれてしまった。

 扉を出たところの歩道は三十センチ四方のタイル状のコンクリートが連続して貼り付けられているのだが、子供のころにはこういう格子状の足元を見つけると一枚ずつ踏みながら、あるいは一枚飛ばし、二枚飛ばしという具合に、場合によってはケンパという遊びを取り入れながら歩いたものだが、そういう記憶が甦る。まさか大人になったいまはそのようなことはしないにしても、時々は心の中で一枚飛ばし二枚飛ばしを気にしながら歩いてしまうのは、足もとのパターンというものがそれほど人の行為に影響するということなのだろうか。わたしは目の前のどのタイルに向けて第一歩を踏み出そうかと迷っている。どのタイルも同じに違いないのだが、もしかしたら右のタイルから歩きはじめた場合と左のタイルから歩きはじめた場合とでは、一日の運勢が変わってしまうかもしれないと子供じみた迷信のような思いが急に湧き出てきたからだ。馬鹿みたいだな、自分でもそう思うのだが、心というものは複雑だ。右足から始めるか、左足からはじめるか、そんなことさえ気にする人が世の中にはいるくらいだから、たまたまある朝の第一歩をそのように迷ったとしても誰に文句を言われる筋合いのものではない。

 しばらく迷った挙句、わたしは左側のタイルの上に右足を乗せるということからはじめることを決めた。そんなに大げさに考える必要などないにも関わらず、いったんそう決めたらとてつもなく大事なことのように思えてしまうのだ。わたしは息を整え、軽く一呼吸した上で右足を持ちあげようとして、右の股関節あたりに違和感を覚える。つっ。そういえば半年ばかり前から股関節のあたりがきしきしと痛むのだ。ひどくはないが、ちょっとした動きでぴくっとすることがある。人にいうと、歳だとか運動不足だとかもっともらしいことを言う。昨夜も風呂桶の中で思い出して股関節あたりを動かしながらマッサージしたのだが、そのくらいではとても改善されないようだ。持ち上げかけた右足をそのまま慣性で地面から遠ざけ、一枚目のタイル目がけて下ろそうとしたその時、タイルの上に小さな黒い点を見つけた。なんだ? 黒い点は案外早い速度で動いている。なんだ、蟻じゃない。こんな無機質なコンクリートの上にも蟻がいるということ自体が不思議な気がしたが、わたしが決めたばかりのタイルの上を、この蟻もまた選んで歩いているというのがいっそう不思議な感覚をもたらした。

 このまま足を下ろしては踏み潰してしまう。そう思えたから足の動きをいったん止めようとするのだが、動き出した物はそう簡単には止められない。だがいささか緩慢になった動きのおかげで、右足が空中にある間に黒い点は次のタイルに移動した。

 ようやく一枚目のタイルの上に右足を収めながらわたしは思った。玄関扉が開いてからどの位の時間が過ぎたのだろう。車の音を聞き、雀の親子を眺め、子供自分の思い出に浸っていたその時間はすごく長いような気もするし、一瞬であったような気もする。時間というものはこれもまた不思議なものだ。ねずみ時間と象時間なんていう書物もあるほどで、そんな知識を持たずとも、子供のときに遊んでいた時間と大人になってから働いている時間の長さには大きな隔たりがあるように感じているのはわたしばかりではないはずだ。一日とはあんなに長かったのに、いまはウルトラマンのように時間は飛び去って年老いていく……いやいや、また思考に浸ってしまうところだった。

 そういえば先はまだ長い。わたしは玄関からまだ一歩しか進んでいないのだ。

                                                     了


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第九百八十一話 朗々回顧 [文学譚]

 光沢のある石塀をやり過ごすと間もなく木目の分厚い扉が閉じている。その前に立つと扉は自然に左右に開いた。中にはもう一枚同じような分厚い扉があって、こちらは自動では開かない。鞄の中の小分け袋から鍵を取り出し扉の手前にある石台に彫りこまれている鍵穴に差し込むとようやく扉が開いた。中はまだ自分の家ではなくピロティと呼ばれるちょっとした広間がある。床は人工大理石が敷き詰められ幾何学模様に象嵌処理されたエンブレムが描かれている。壁際にいくつも並んでいる銀色の小箱のひとつがわたしの持ち分なの、その蓋を開けて何か入っていないか調べる。いつものようにつまらない広告散らしといったものが数枚入っている。ゴミにしかならないこのようなものを一体誰が入れていくのだろうかと思うが、捨てておくわけにもいかず、とりあえずそれを取り出す。

 ピロティの奥にはまた扉があってその横にある釦を押しこむと口を開けた。中は小部屋になっていて、一歩入ると自動的に扉が閉まる。内側にはいくつもの釦が並んでいて、わたしの部屋がある階数の数字を押す。部屋は重力に逆らって上昇しはじめ、数秒後に再び扉を開く。吐き出されたわたしはようやく自室の前にたどりつき、先ほどの鍵を鍵穴に差し込んで室内に入る。

 部屋はしんとして空気がひんやりしている。

「ただいま」

 声をかけるが返事がない。

「母上、眠っているの?」

 開けはなれたままの寝室を覗き込むとやはり母はベッドの上にいた。わたしの気配を感じ取ったのか横たわって目を閉じたまま言った。

「あら、早かったのね」

「あらあら、こんな時間に眠っていたんじゃ、夜になってまた眠れないとかおっしゃるんじゃぁないですの?」

 母はようやく瞼を開いて少し顔を起こすようにしてわたしを見た。

「まぁ、そうだったわね。わたしったらさっきまでテレビジョンを見ていたのですけれど、なんだか肩が冷えてきてねえ、ちょっとお布団にもぐりこんでしまったの。そうしたら眠ってしまったみたいね」

 今日に限ったことではない。母はたいてい眠っている。ご飯を食べてしばらくテレビジョンを見るのだが、そうしているうちにうつらうつらと眠気に誘われるようだ。中年を過ぎると次第に睡眠時間が少なくなっていくものだが、さらに歳をとると、赤子のように眠ってばかりになるのだろうか。昼間さんざん眠っているものだから、夜になると逆に眼が冴えてしまって眠れない、睡眠薬がほしいと騒ぐのである。明りを消した深夜に一人目覚めているというのは誰だって寂寥を感じるものだと思うが、年寄りにとっては寂しいというよりは恐怖でさえあるようで、眠れない眠れないと文句ばかり言う。それなら昼間起きていたらいいのにと思うのだが、そうはさせてもらえないのが老人の身体というものなのだろう。

「沙代子さん、今日の夕食はなにになさるの?」

「まぁお母様、よほどお腹がすいてらっしゃるのね。今夜は秋刀魚を焼こうと思っていますの」

「おや、秋刀魚かえ。それは美味しそうだこと。そう言えばもうそんな季節になったのですわね」

「では、お着替えをして準備に取り掛かりますから、お母様はゆっくりされてから食堂にお越しなさいませね」

 こんな悠長なやり取りができるのも、ふたりきりだからだ。子供や他の家族など大勢いるような家庭では作るお料理の料を考えてみても、一息ついている暇さえないだろう。長らく独身の一人暮らしを通してきたわたしだったが、父親が亡くなった後もずっと一人で住んでいた母が脳梗塞で倒れたのを機会に引き取ることにしたのだ。お嬢様育ちの母は大きな一軒家にこだわったのだが、なんとか説得して売り払い、都心にある近代的な作りの集合住宅と呼ばれるわたしの住まいに連れ帰ったのだ。母娘ふたりの暮らしはつましくも和やかなものではあるが、ひとつ困ってしまうのは、罹病以来、母の記憶が過去に置き去りにされてしまい、どういうわけだか明治時代のような言葉に変わってしまっていることだ。母は明治生まれでも大正生まれでもないのだが、文学少女だったおかげで昔の言葉が数多く蓄えられており、脳梗塞をきっかけにそういう回顧的な言葉が言語中枢を支配してしまったらしいのだ。ノート型パソコンのことを不思議玉手箱と呼び、テレビのことは最近ようやくテレビジョンと呼ぶようになったが、ちょっと前まではからくり紙芝居と呼んでいた。母の理性に調子を合わせているうちにわたしの言葉まで母に毒されてしまい、下手をすれば家以外でも古めかしい言葉が出てきそうになる。

 幸いまだ惚けてまではいず、介護が必要とまではなっていないが、その一歩手前のところで濁点が外れた「回顧」という生活を続けているのが現状である。

                                                 了


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第九百八十話 おしゃべりな男 [文学譚]

〜昨日のドラマなんかで盛り上がるってるようだけど、俺はそんなもの見ないね。「メメント」と「時計仕掛けのオレンジ」の二本も映画見てたね。すごいだろ。

〜書類選考通った。これで二社目。どっちも次は一次面接。一次は大丈夫、自身があるもん。


〜クリストファー・ノーランの演出もハードだが、ガイ・ピアースは相変わらずなかなかシブい。この人がドラッグ・クィーンも演じたなんて、信じられんな。

〜やりぃ。応募作品が一次通過だって! 一次通ったのは初めてじゃないけど、次の知らせが楽しみだわー絶対二次もいけそうな気がするわ。

〜自画自賛な呟きって……どうよ。ま、呟きだから勝手だけどねー。


〜キューブリックはやはり天才だな。四十年以上も前の映画とは思えんな。ナッドサッド言葉というのも当時は新しかったんだろうな。

〜情報としてはいいんだろうけど、おめえの知ったかな感想などいらねえっちゅうの。


〜うーん。気になるなぁ。早く結果がほしいーっ。こんなの生殺しだわ。応募も会社もって、欲張りすぎ?

〜嫌われるtweetってあるよなぁーそうそ、自分大好きオーラ出しまくりってやつ。


〜メメントみたいな逆転構成は、小説でもあるが、映像だと想像力より先に視覚に入ってくる分だけ混乱しちゃうんだよな。うん、ああいうのは文字の方が適切だな。

〜いよいよ二次の結果が近い。ワクワクとドキドキが同時に来てる。助けてー

〜知らんがな、こいつ。悪い結果だったらどーすんの?


〜海外ドラマのタッチ、セカンドシーズンが始まるらしいが、あれは設定だけだな。いや、展開もうまくできてるが、どうもご都合主義が鼻につくな。見なくてもいいかな。

〜知らんがな。見たくないなら見るな。


〜そういや、あの女。その後の報告がないが。二次はどうなった? 面接は?

なんか気になってつい見てしまうんだけど、どうでもいい人の呟き。見たら見たでムカついてくるし。ぼくにはなにもつぶやきたいことなんてないし、自慢話もないし。愚痴をつぶやくなんてサイテーだし。だいたい、こんなどうでもいいことばっかしゃべるおとこって、つまらんな。あ、いや。男に限らんか。女だって。でも可愛い女の子なら愚痴でもなんでも聞いてやるがな。あいつらの呟きって、いちいちつっかかりたくなるのはなんでだ。そんなことしたら炎上しそうだな。あるいはブロックされる? アカウントいっぱい作って嫌がらせしたろうかな。いやいや、俺って暇人か? うーん、もう見に行くのやめた。そうきめた。


 どうなったかな、あいつら。ちょっとだけ見て……。

                                                                         了


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第九百七十八話 原始人 [文学譚]

 気がつくと草原の真ん中で眠っていた。背の高い樹木の森に囲まれたサッカー場くらいの草原だ。どこかから叫び声が聞こえてきたので驚いて起き上がると、森の中から巨大な猪が飛び出してきて、その後を数人の人間が追いかけているのだった。猪には槍が突き刺さっていて、間もなく力尽きて倒れた。嬌声を上げながら獲物を取り囲む人々の最後尾にいた一人がこちらに気がついて近づいてきた。どうしよう。逃げるべきなのか。迷ったが、体が竦んで動けない。男はどんどん近づいてくる。人間には違いないが、ホームレスにも似た姿をしている。衣服というよりは薄汚れた布切れか革のようなものを身体中に巻きつけているといった風情だ。いったいここはなんなのだ。あいつは何者なのだ。

 目の前まで来たそいつは私の周りを回りながら珍しそうに観察している。背丈は私とそう変わらない。ボサボサに伸びた髪、彫りの深い端正な顔立ち、布切れから出ている手足は筋肉質ではあるが思いのほか細く華奢に見える。そして膨らんだ胸。膨らんだ胸? そいつが口を開いた。

「あんた、何者?」

 女だった。

「う、あう」

「喋れないのか?」

 私はようやく言葉を発した。

「ここは……なんなんだ?」

 彼女に案内されて集落にいた。どうやらここは原始の村らしかった。見たところ歴史の最初の方に出てくる縄文時代よりも遡った文明に思えた。だが言葉はあった。彼らは私の衣服や腕時計、携帯電話やiPodが入ったばっぐを珍しそうに触りながら、こんなもの見たことがないと言った。だが一人だけ自分は見たことがあると言った。隣の村に私と同じような旅人が現れたことがあるというのだ。その旅人は未来という国からやって来て、突如消えてしまったそうだ。

 ここはどこなのだと聞くと、ここはここだと村人の一人が答えた。いまは何年なのだと聞くとなんだそれは、何年とはどういう意味かと逆に問われた。どうやら私どのようにしてかはわからないが、原始時代にタイムスリップしてしまったらしい。私は隣の村にいたという旅人の真似をして、未来からやって来たのだと言った。

 未来とはどういうことかと聞かれて、説明のしようもないので未来という国から来たのだと答えた。原始人は言葉を持たないと思っていたが、ここの人々は流暢に言葉を話した。森の果物や槍で突いた獲物をご馳走になり数日を暮らすうちに、原始人は現代人となんら変わらないことが分かった。会社も学校もないが、夫婦と子供がいて家族単位で生活し、村社会の中でコミュニケーションしながら共同生活を営んでいた。ときどきは獲物の分け方で意見の相違があるなどで小競り合いが起きたり、狩が下手だ、才能がないと落ち込んで鬱状態になる者がいたり、恋人が浮気したというちょっとした騒ぎが起きたり、家に忍び込んだといって捕まる者がいたり、まったく現代と同じようなことが起きていた。現代と違うのは、電気やガス、電話などのメカニックがないことだ。いわば文明に頼らずに生活しているネイチャービレッジといった感じだ。

 最初に出会った女はアリという名前で、私に興味を持ったようで、その後も私に付き添って何かと世話をしてくれていたのだが、そのうちに私も彼女の美しさに惹かれはじめた。原始人特有の体臭には少し閉口したのだが、それもそのうちに慣れてしまった。ここは楽園だ。iPodがなんだ、携帯なんていらない。自然の中で暮らすことがこんなに快適だったとは。毎日、全身で感じながら眠った。

 目が覚めるとコンクリートの上にいた。なんだ?コンクリート? そんなもの初めて見た。誰かが叫んでいた。

「お前、そんなところでなにしてるだ?」

 周りを見ると鉄格子で囲まれている。真ん中にコンクリートの山があって、獣がうろうろしている。猿だ。ここは猿山だ。私は動物園の中の猿山で目覚めたらしい。衣服は原始人のように薄汚れ、私自身が猿のような姿でここに突如現れたようだ。戻ったのだ。私はアリの名を呼んでみたが、一匹の雌猿が近づいてくるばかりだった。

                                           了


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第九百七十七話 あな、おかし [文学譚]

 洗面所の鏡の前に立って歯ブラシを動かしながら顔を覗き込む。昨日の疲れが少し眼元に残っているほかは、なにもかわったところはなさそうだ。女性はどうかわからないが、男はふつうそれ以上に顔のチェックはしない。まして身体をチェックするなんてことはめったにない。だが、ときには自分の身体を隅々まで点検してみた方がいいようだ。

 それはほんとうに偶然発見した。というか隣で寝ていた妻が見つけた。

「あなた、これってなんだか穴みたい」

 妻は眠っている間に妻の身体の上に投げ出されていた私の腕を両手で抱えて顔を近づけていた。

「ほら、ここ。肘の後っ側」

 まだ眠たいよと言う頭を無理やり目覚めさせて腕を顔に近づける。が、自分の肘の後ろ側なんてよほど腕を捻じ曲げないと見えるものではない。かろうじて見えたのは黒い小さなほくろだった。

「なんだよ、ただのほくろじゃないか」

「ほうろ? 違うわよ、穴よ、穴」

「そんな穴だなんて」

 言いながら左手で触ってみると確かに微妙にへこんでいるような気もする。小さくて黒い点は、穴にも見えるし、ほくろにも見える。疣状になったほくろっていうのは聞いたことがあるけれども、へこんだほくろってあるのかな? 気にはなったが痛くもかゆくもないので、気にしないことにした。

「もう、ほっといてくれ。ただのほくろだよぅ」

 妻はちょっとだけ心配だったみたいだが、ベッドから離れるともう忘れてしまったようだ。それから何日か過ぎて私自身もそのことを忘れていたし、肘の裏のほくろが問題になるようなこともなかった。だがしばらくして今度は手の甲に黒く小さなほくろを見つけてしまった。手の甲にほくろがあるのは昔から気がついていたが、そのほくろが少しおかしいのではないかと思ったのは初めてだ。気にしなければなにも気にならない程度の小さなほくろだし、なんの害も及ぼしていないのだが、あのとき妻が見つけた肘裏のほくろの一件が微妙に影響を及ぼしているに違いない。

 手の甲のほくろは肘と違ってしっかり観察できる。ちょうど小指の付け根あたりの外側端っこにあるのだが、奇妙なことに両手の同じあたりに同じようなモノがあるのだ。じーっとみているとやっぱりただのほくろのようでもあるが、さらに見ていると穴のようにも見えてくる。試しにと思って妻楊枝での先を穴の中に差し込んでみようとしたが、妻楊枝は普通の肌にめり込む程度に穴をへこませるだけで、それ以上は入らなかった。つまり穴があいているわけではないということだ。しかし見れば見るほど穴があいているように見えてしまうのが奇妙だった。

 私はときどき奇妙な行動を取ることがある。なにも考えずに歩きまわっていたり、起きているのに夢遊病者のようにうろうろしたり、自分の意思とは無関係に冷蔵庫を開けてみたりする。これは癖のようなもので、私自身が気づいていなかったりもするのだが、妻に文句を言われることがある。もう、邪魔だからうろうろしないで。ぼんやりしてると怪我するわよ。なに考えてるんだか知らないけど、意味もなく冷蔵庫や戸棚を開けないでよ。何かいるものがあるの? そう言われてはじめてあれ、なにをしようとしてたんだっけなどと気がつくのだ。まぁしかしこのようなことは誰にだってあることだろう? 違うか?

 手の甲のほくろが気になりだしてから、ほかのところにも同じようなほくろがあることに気がついた。人間の皮膚にはいたるところにほくろやシミや痣のようなものがあったりするから、四十数年の人生の中でそんなことを気にしたことなどないのだが、肘裏や手の甲のほくろに気づいてからというもの、妙に神経過敏になってしまっているようだ。もしやと思ってもう片方の肘裏をチェックしてみたら、やはりそこにも同じようなほくろがあったのだ。私は風呂場の壁に張り付いている鏡の前に裸で立って、全身を探し回った。どこを探せばいいのかなんとなく見当をつけていた。両肩、両膝、足首と足先、尻の上、頭のてっぺん。頭は髪の毛があるので探し出せなかったが、少なくとも見当をつけたあたりには何かしら似たようなほくろというか穴を見つけた。そしていずれも見れば見るほど穴に見えてしまうほくろのようなもので、しかし妻楊枝の先は入らない。一体これはなんなのだろう。

「おーい、ちょっときてくれないか」

 見てもらおうとキッチンにいた妻を呼びつけた。

「なにしてるのよ。お風呂に入ってると思ってたわ」

 事情を言って体中の穴を見せた。すると妻は笑いながら言った。

「あら、まるでマリオネットみたいね」

「マリオネット? なんだそりゃ」

「操り人形よ。ほら糸で吊って、天井から操る。その糸を結び付ける場所にあいている穴みたい」

 なるほど。ちょうど人形を意のままに動かすために必要な各関節あたりに糸を結び付ける穴があいているわけか。私は気持ち悪くなって、穴のあたりに糸が絡みついているのではないかと手で探ってみたが、むろんそんな糸が天井から垂れ下っているわけはなかった。

「あなたなんだか変よ。そんなの気にする必要ないよ」

 妻はキッチンに消え、私は無意識に身体にかけ湯をして浴槽の中に沈んだ。

                                             了


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第九百七十六話 川の流れのような [文学譚]

 バス停に向かっていつもの道を歩いていると川に出くわした。こんなところに川などあったかなと考えたが記憶にない。いつも歩いているよく知った道なのにこんなことってあるのだろうか。川が急にできるなんてことがあるのだろうか。川の幅は三十メートル以上もあって、降水量が多かったからできたようなものではない。しかも岸壁はちゃんとコンクリートで固められていて、その様子も昨日や今日できたような感じではない。しかし実際に川があるのだから記憶違いなのだろうと思うほかはない。そう思うとなんだかおかしくなった。「七度狐」という古典落語を思い出したのだ。

 七度狐は伊勢参りの旅人が道中で見つけた茶屋で盗んだ木の芽和えの鉢を道端に投げ捨てたところ、それが七本の尾を持った妖怪狐に当たってしまう。怒った狐はさまざまな方法で旅人を化かすというお話なのだが、その最初に出てくる化かし方が、いきなり目の前に大井川が現れるというものだった。旅人は川を渡ろうと裸になって川と思っているところに入っていくのだが、そこは田んぼの中。田の持ち主が稲を荒らされてはかなわないと、旅人を目覚めさせる……そんな話が延々続いていく。

 まさか狐か狸に化かされているわけでもあるまいし。しかしどうやってこの川を渡ろうか。バス停はこの先なのに。ふと見ると、いつの間にか隣に男が立っていた。黒い鞄を持ち会社員風の背広を着た初老の男で、同じように所在無げに川を眺めていた。同じ思いだろうと思って聞いてみた。

「こんなところに川なんてありましたっけ?」

 男は顔だけこっちに向けて私の顔や体を見てからようやく口を開いた。

「さぁ……私にもわかりませんなあ。昔からあったような、なかったような」

「あの、このあたりの方なんでしょう?」

「ええ、そうですけど、なにか?」

「だったらこんな大きな川が昔からあったかどうかなんて、なんでそんな言い方するんです?」

「あんただって同じじゃないんですか? あんたもこのあたりに住んでいるんでしょう」

 男が言うとおりだ。私もあったようななかったような、あいまいな感じなのだけれども、大の大人が二人ともそんな惚けたことを感じてていいのかと不安になったのだ。

「まぁ、しかしこうして実際に川があるんだから仕方ないじゃありませんか。ほら、向こうまで行けば橋が架かってますよ」

 男はそう言って橋のある方向に歩いて行った。私もこんなところで突っ立っているわけにもいかないので、男の後をついて行った。

 翌日も、その翌日も、川は存在していた。やっぱり何か勘違いしていたのだろう。川は前からあったのだ。だが、注意をして川の様子を観察してみると、川幅は毎日微妙に変化しているような気がするのだ。いきなり巨大になったり小川になったりするわけではない。気持狭くなったのではないか、広くなったような気がする、そんな程度だ。注意してなければ気がつかないだろう。橋を渡るために迂回しなければならないのが少し面倒だけれども、それ以外は取り立てて害になっているわけでもないので、私は平穏な日常を繰り返し続けた。川の向こうでは今日も原子力発電に反対する団体が街頭演説を行っている。私も橋を渡って彼らが配っているビラを手にすると、そうだなぁ、この問題も難しいなぁ。だけどやっぱり私も反対かな、などとそのときだけは心にとどめる。しかし、仕事を終えて家に帰ってしまうと、そんなことはすっかり忘れてしまっているのだ。

 家では妻が食事を並べて待っていた。

「遅かったわね」

 更年期が近いせいか、近頃の妻は機嫌が悪い。

「ああ、サービス残業だ」

「サービスって、そんなのしなくちゃいけないの?」

「しかたないな、仕事だから」

「ほらぁ、先月の電気代こんなに。なんでかしら」

「やっぱりエアコンだろ?」

「わたし、節電だと思ってずいぶん我慢したんだけど」

「俺だってそうさ。だいたい冷房は好かんからな」

「あら? じゃぁ私わたしが一人で冷房かけてたとでも?」

「……そんなことは言ってないよ」

「ふーん、そう」

 妻はまたもや不機嫌な顔になった。」

「あれじゃないの、原子力が止まってるからとか」

 もう妻は答えない。黙って箸を動かしはじめた。ちょっとした言い回しにすぐに反応してしまって、不愉快だと思ったらもうしばらくは治らない。こっちだって疲れているんだぞ。

 気がつくと、部屋の真ん中に川が流れていた。あれ? 家の中に川なんかあったけ? 部屋の中に川が流れているわけがない。眼の錯覚だろうと思って見直すが、やはり小さな川が部屋を横切っている。おかしいな、でも現にあるんだから仕方ないか。私はもうそれ以上川を見続けるのはやめて、夕食にとりかかった。

                                               了


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