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第四百三十話 愛する彫像。 [恋愛譚]

 建物の入口周りには、偶然なのか意図的なのか、がらーんとして何もない。

立派な建物のエントランスらしい広々とした空間だけに、何もない、誰もいない

となると、ひと際寂しく感じられる。声を上げると自分の声だけがわぁんと響い

て一層他には誰もいないんだという思いを募らせる。

 僕がこのビルに足を運ぶのは、僕にとってとても大事なものがあるからだ。

それはビルの三階にある。ここはオフィスビルなのだが、三階には医療者が

数件入っている。内科、歯科、眼科、形成外科。僕が行くのは歯科だ。歯科

の扉を開くと受付があり、この受付窓口の向こうに置かれている美しい彫像

に会いに来るのが僕の日課なのだ。

 彫像はほっそり小柄な身体が歯科らしい白衣で包まれている。最も目を惹

くのは限りなく八頭身に近いのではないかと思える小ぶりな頭部だ。もちろん

僕もこの頭というか顔を見に来るのだ。日本人にしてはいささか深い彫りの顔

立ちで、中東辺りとのハーフではないかと思わせるが、そうではないらしい。生

粋の日本人だ。この美しい顔立ちに浮かぶ軽い微笑みが一層美しさを引き立

たせている。彫像といえどもまるで生きているような愛らしい姿・・・いや、実際

に生きているのだ。この堅い表面の下には明らかに暖かい血が流れているは

ずだ。

 そう、彫像はこの人だけではない。世界中あらゆるところに存在している。この

歯科だって室内に入ればいくつもの彫像があるはずだ。僕には用事がないので

中には入ったことはないが。僕が会いたいのは、この美しい彫像だけだ。かつて

僕の恋人だった彫像。

 どうして僕の恋人が彫像になってしまったのか。それはよくわからない。ひとつ

言えるのは、彫像となったのは彼女だけではないということ。いや、僕以外、世界

中のすべての人間が彫像になってしまったらしいということ。それに、この世界に

は夜がなくなってしまったらしいことだ。

 ある朝、突然目の前の光が爆発した。爆発したのかどうかは分からないが、そう

いう表現がふさわしい。光が何千倍もの明るさになって、眼がくらんだ。気がついた

とき、僕は目がつぶれてしまったのかと思った。が、しばらくすると普段と変わらぬ

世界に戻っていることに気がついた。ただ動くものは何もなく、物音ひとつしない。

自転車に乗った人はそのままの形で固まっている。歩いている人も片足を上げた

ままだったりする。不思議なことに、空を飛ぶ鳥も器用に空中に浮いたまま動か

ないのだ。僕には何が起きたのかさっぱり分からないが、とにかく僕以外のすべ

てが彫像のように動かなくなってしまったということだけなのだ。

 心配になった僕は携帯電話をかけようとしたが、電話はまったく薬に立たなか

った。恋人の事がとても心配になって彼女が勤めている歯科病院に足を運んで

見たのが、この彫像行脚の第一回目だった。彼女はいつもと変わらぬ美しさで

微笑み、ただ彫像のように動かなかった。死んだのか?いやどう見ても死んで

いるようには思えない。何らかの理由で固形化してしまっただけで、必ずいつか

は元通りに動き始めるはずだ。そう自分に言い聞かせながら、僕は親がいるは

ずの家に向かった。結果を言えば、両親も兄弟も、それぞれあの時間に居るべ

き場所で彫像になっていた。それから何日過ぎても同じ場所で同じ形で立ち続

けている。

 あの日以来、まだ一度も夜が来ないので、正確な事は分からないが、概ね一

年くらいが過ぎたのではないかと思えるのだが、最近、ある恐ろしい事を考え始

めた。あの日、僕以外のすべてが固まってしまった。少なくとも僕にはそう見えた。

だが、もしかすると、世界が変化したのではなく、僕だけが変わってしまったので

はないだろうか。

 つまり、周りが固まったのではなく、周りが固まったように感じられるほど僕の

動きが速くなったのではないかと。あるいは、時間が停まってしまっているので

はないかと。あの光が爆発したのは、僕だけに起きたことで、僕の周りの時間が

停まってしまったのだとすれば、皆が固まっているのも、鳥が宙に浮いたままな

のも、夜が来ないのも理屈が合う。だが、何故そうなったのかはどう考えても分

からない。いつか元通りに戻ることを信じることしか、僕には出来ない。

 そしてこの先二年経とうが十年経とうが、いつまでも美しいままでいる恋人の

ところへ足を運ぶ。今の僕にはそれしか出来る事がない。

                                 了



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