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第七百六十一話 神様が降りてくる瞬間 [怪奇譚]

 よく言うじゃないか、芸術家だとか演劇の俳優なんかのインタビューとかで。「芸術の神様が降りてくる」って。そうそう落語家やお笑い芸人も言うね。彼らの場合は「笑いの神様が降りてくる」って。俺、あれって本当だと思うんだ。才能に満ち溢れた芸術家でさえ、だぜ。努力? そんなもの意味がないんだよ。国際大会のアスリートが、一生懸命頑張りましたけど、ダメでしたとか、国際コンクールに出たアーティストが、精一杯やりましたけど、無理でしたって。そういうのは、その、神様が降りてこなかったからなんだな。努力だけではダメなんだよ。逆に言えば、努力なんてしなくても、神様さえ降りてきてくれればなんとかなるってことなんだよ。
「またそれ? あんたは額に汗するのが嫌だから、そんなヘコ理屈をこね回すのよ」
 そばで聞いていたカミさんが言った。またって……またって、それ……。大事なことだから何度も言うんじゃないかよ。
「あなたはね、そうやって賢こぶっているけど、バカじゃない? 自分に才能がないことをそうやって正当化してるだけ。ロクに努力もせずに、”神様が降りてくる、神よー! 降りてきてぇ~!”そんなこと言っている暇があったら仕事を探しに行けば?」
 なんだよそれ。仕事は探してるじゃねーかよ。探し当てても相手が雇ってくれないんだからよ、仕方がねーから小説家にでもなって稼ごうと努力しているのに、なんだよ、その言い方は。
「何よ。あんたみたいなアホが小説家になんてなれるわけないでしょ? それにあの頭がおかしい人が書いたような作文はなんなの? あんなものが売れると思う?」
 売れる? 売れるって? 俺はそんなことのために書いてない。文学賞を取って、その結果として売れるカッもしれないけれど。芸術家の志は金じゃないぜ。
「ああら。あんた芸術家なんだ。ゲージツ家! へっ。ゲージツじゃなくて、下の術、下術じゃないの? ばーか」
 おいっ! お前!
「お前、何よ。私の稼ぎで食ってるくせに。そういうの、ヒモって言うのよ。ゲージツだの神様だの言ってる暇があったら、一円でもいいから稼いできたらどうなの。しっかりしろや」
 カミさんはそう言うとベッドの中に潜り込んでしまった。しばらくすると寝息が聞こえた。カミさんの寝息を聞きながら、カミさんの言葉を反芻していた。毎日のように言われる。まるで言葉の暴力だ。お金。生活。稼げ。ろくでなし。ヒモ。ぐうたら。能なし。食わせてやってる。居候。バカ。アホ。頭がおかしい。たしかにカミさんが言ってることは正しいのかもしれないが……繰り返しているうちに、だんだん腹が立ってくる。毎度のことだ。なんでそこまで。女のあいつにそこまで言われなくちゃいけないんだ? 言ってるじゃないか。俺の才能だとか努力とか、そんなんじゃないって。神様が降りて来さえすれば……そうすれば……。
 やがて神様が降りてきた。俺は寝息をかいているあいつのそばに近寄り、黙って両腕を伸ばす。そうだ。そうすればいい。神様が囁く。俺の両腕は静かにカミさんの首を包み込んで力を込めて締め上げていった。
                                了
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第七百五十一話 バレンタインの恐怖 [怪奇譚]

 今日はセント・バレンタインデー。先週末には百貨店に行ってみたが、催事

フロアには特設売り場が繰り広げられていて、チョコレートを選ぶ女性たちで

ごった返していた。いったい誰にチョコレートをあげるのだろう。そんなものを

あげてほんとうに嬉しいのだろうか。

 あたしはこの日が大嫌い。何故かって? チョコレートがもらえないから?

バカね、あたしは女子だから貰う方ではないの、あげる方。なのに、誰もあげ

る男がいないから。寂しい。寂しいというか、もはやこれは恐怖。みんなが楽

しそうにしている日に、チョコをあげる殿方が誰ひとりいないという恐怖。わか

る? クリスマスを一緒に祝う恋人がいない恐怖のその次に、このバレンタイ

ンという日が憎らしい。腹立たしい。

 それでも昔はね、あのチョコレート売り場に群がる女子たちの中にいた。あれ

でもない、これでもないと迷いに迷ったあげく、選び抜いたチョコレートをひとつ

買い、ついでに気になったチョコを自分用にもひとつ。そういえばパパにもあげ

よう、会社の上司にもあげようと、義理チョコも買っていた。結局一万円近くが

チョコレート代になって、意気揚々と家に持ち帰り、さっそくパパに「一日早い

けど」と渡す。パパは、俺はこういう甘いのは苦手なんだけどなとか言いなが

ら一応嬉しそうにひきつりながら受け取った。

 翌日には少しドキドキしながら持って出かけた。周りを見渡すと、若い女子た

ちは早速義理チョコを配って歩いている。男子社員は義理チョコとわかりながら

もまんざらではない顔、あるいはほんとうに嬉しそうな顔で受け取る姿、姿。あ

たしもこのタイミングにと思い、ガサゴソと紙袋の中から小さなチョコの箱をいく

つか取り出して、向かいに座っている若い男子社員にそっと差し出す。すると、

彼は驚いた表情をしたまま固まってしまった。え? なんで? もう一度目の

前に差し出すと、「あの、ボ、ボクは遠慮しておきます」どういうこと? あたし

のチョコが受け取れないの? 受け取れないらしい。ちっ。そんならあげない!

あたしは気を取り直して少し離れた席に座っている上司の傍に行って、黙って

チョコを差し出す。すると彼もまた顔を引きつらせながら「わ、私は受け取るわ

けにはいかない」でもさ、机の上には他の女子からもらったチョコが積まれて

いるじゃないの。なんで? どうして? その後も用意したチョコを次々に持っ

て社内を歩いたが、誰ひとりとしてあたしからチョコレートを受け取ろうとはし

なかった。あたっしは情けなくなって、別フロアにいる彼氏のところに大きな

紙袋を持って行く。ほんとうは夜、食事に誘って渡そうと思っていたのだけれ

ども、あまりにもみんなの態度が悪くて、むしゃくしゃしていたあたしは、どう

してもいますぐに誰かに受け取ってもらいたかったので、お付き合い中の彼

にいま渡すことにしたのだ。

「え? 僕に? こんな大きいものを?」

 度肝を抜かれたような彼の額につーっと汗が落ちていくのが見える。

「まさか、これは……この大きさは……ほ、ホンメイ……?」

 うんうんとうなづくあたし。彼はそのまま白目を向いてがくりと膝をついて

その場に崩れ落ちてしまった。あたしはしかたなく、床の上にへたり込んで

いる彼の背中に紙袋を乗せて自席に戻った。

 いったいどうしたことなんだろう。あたしは思い出していた。そういえば一

年前も同じようなことがあったような。あの時の彼は……今のかれじゃない。

あのとき付き合っていた彼は、バレンタインの翌日、会社を辞めてしまったん

だっけ。なんでだか。それからもう会うことはおろか、連絡も取れなくなった。

だって会社にいないから、内縁番号が使えないんだもの。今の彼は、去年

配った義理チョコ……去年も誰ひとり受け取ってくれなかった中で、唯一受け

取ってくれたやさしい人だった。あたしの義理チョコを受け取った彼は、周りの

男性からなんかわいわい言われてたなぁ。あたしは誰も受け取ってくれなかっ

た大量の義理チョコを、自分で消化したものだから、また一回り太ってしまった。

 あれから毎年同じことを繰り返し、その度に本命チョコをあげた彼が去ってい

った。何が悪かったのかわからないまま。そしてついに、誰ひとりあたしからチョ

コを受け取る人もいなくなってしまった。さすがにチョコ好きのあたしとはいえ、な

んだか虚しくなって義理チョコさえ買わなくなったのは何年前だったかなぁ。そし

ていまやあたしには本命彼氏もいない。あーあ、寂しいなぁ。やっぱり、チョコを

配らないとダメかなぁ。あたしは今日、何年かぶりに義理チョコと本命チョコを会

社に持ってきてる。義理チョコ……会社の中ではもう配りにくい。誰も受け取ら

ないのは目に見えてるし。あ、そうだ。隣のビルの会社に行って配ろうか。それ

に、本命チョコは……いままで考えもしなかったけど……社長にあげよう。そう

だ、社長を本命彼氏にすれば、部下たちもあたしの義理チョコを欲しがるかも。

そうしよう。そう思いついたあたしはさっそく大きな紙袋をぶら下げて社長室に

向かう。自分のいい思いつきに知らず笑い声が漏れる。

 ぐえっへっへ。ぐえっへっへ。しゃちょーを彼氏に、ぐういっひっひ。

                                    了


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第六百六十六話 666は…… [怪奇譚]

 いつかこの日が来ると恐れていた。数字を入れている以上、いつか訪れてし

まうのは必至であるとはわかっていたのに。

 ついこの間は十一月十一日ということで、ポッキーの日やら、もやしの日や

ら、洋数字にかこつけた賑わいがあったようだが、そういうのなら可愛いもの

だ。だが、この三つの数字は、そんなに可愛いものではない。

 666といえばすぐに「獣の数字」という連想をする人は、いまでは随分多

いと聞く。あの恐怖映画オーメンのおかげだ。オーメンでは、身体のどこかに

666という数字が痣のように刻まれた子供がいるという設定で、獣の数字が

刻まれたダミアンが悪魔の申し子であるとわかる。だが、もともとこの三つの

数字は、 新約聖書の「ヨハネの黙示録」の「第13章第18節」に記されていて、

曰く「思慮のある者は獣の数字を解くがよい。それは人間の名を指す数字であ

る。その数字とは666である」となっている。そして、恐ろしい事に、現実

に彼のアドルフ・ヒトラーも、暴君ネロも、その名前を解釈していくと、この

悪魔の数字を含んでいるのだという。つまり、人間の中にこそ、恐ろしきもの

が潜んでいるということなのだろう。

 さて、私はというと、もしやこの悪魔の数字が身体のどこかに刻み込まれて

いるのではないだろうかと恐れた。だが、体中どこを探しても、そんな数字は

見当たらない。頭を五分刈りにしてまで探索したが、ついぞ悪魔の数字は発見

できなかった。そのために油断してしまったのかも知れない。まさかいま、こ

の期におよびこんな恐ろしいことが起きようとは。

 私は十二分に考えた、考え尽くした挙げ句、ようやく決心をして最後の手を

打った。まさか、この手が思いがけない悪魔を呼び出すことになろうとは思い

もしなかったからだ。私の手からそれが離れたその直後、誰かが叫んだ。

「ローン! 大三元、四暗刻単騎、どらどら!」

 あちゃぁ!

                         了


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第六百四十六話 ボディ・ダブル [怪奇譚]

「ああーしまった、またやってしまった」

 新しく買ってきた本を書棚に収めようとして、思わず叫んでしまった。好き

な作家の小説なのだが、前から読もう読もうと思っていたのについ読みそびれ

てしまってたタイトルの本を、ようやく手に入れたのだが、書棚の中に、既に

同じものが一冊入入っていたのだ。そういえば、以前買ったような気がする。

私の悪い癖で、手に入れてしまうとそれだけで安心して読むのを後まわしにし

てしまうのだ。その結果、ついに読むのを忘れてしまう。同じようにして、ダ

ブってしまった本が何冊かある。

 本だけではない。CDも、DVDも、まったく同じようにしてダブらせてしまっ

たものがいくつかある。阿呆か。私はその度に思うのだが、買ったそのときに

ちゃんと読んだり観たりしないからいけないのだ。だが、そうでないものもあ

る。映画などは、一度映画館で観ていて、気に入ったものをDVDで購入したり

するものだから、手に入れたDVDは観ないままおいてある。すると、一年ほど

過ぎてから、同じタイトルが廉価版になっていたり、再編集盤として出ていた

りすると、ああ、これ気に入ったやつだと思ってまた買ってしまう。CDの場合

は、たいていはハードディスクに取り込んでいたりするので、滅多にダブらせな

いはずだが、以前アナログレコードで持ってたアルバムを、デジタル版で新たに

買ったつもりが、既に買っていたということがままあるのだ。

 ほんとうに物覚えが悪いというか、頭が悪いというか。購入したその日に気

がつけば返品も可能だろうけれど、だいたい気がつくのは一週間ほど過ぎてか

らだ。だから、気が向けば誰かにあげてしまったりするのだ。

 こういうことは若い頃からあった。だが、最近は他のものでも同じようなこ

とが起きていることに気がついた。冷蔵庫の野菜室が空っぽになってたよね、

と思ってキャベツをひと玉買って帰ると、野菜室にはすでに大きなキャベツが

入っていたり、そうだ、大根を切らしてたと思って一本買って帰ると、やはり

一本すでに冷蔵庫に横たわっている。ほんとうに馬鹿か? 肉とかだと、冷凍

庫に入れて保存できるのだが、生野菜はそういうわけにもいかず、ダブったも

のを中心に調理して一生懸命に食べる。キャベツだと、スープにしたり、お好

み焼きにしたり、ロールキャベツにして冷凍させといたり。

 こないだは逆のことが起きた。大根がダブったので、ブリ大根を作った。素

材はたっぷりあるわけだから、一人暮らしではあるが、まぁ多めに作っとけば

明日が楽だと思って作り置きする。翌日、今日はブリ大根があったからそれを

夕食にビールでも飲もうと楽しみにしていたのだが、帰って鍋のふたをあける

と、中が空っぽなのだ。ええ? どういうこと? たしか昨日半分食べて、残

りの半分は今日食べようと思ったはずなのだが。

 私は急に不安になった。まさか、なんか若年性なんとかっていう病に冒され

てしまったのだろうか。自分の名前、生年月日、住所、勤務先、それぞれ口に

出して言ってみる。何一つ問題はない。今朝食べたものは? 昨日の昼は? 

うんうん、ちゃんと覚えているぞ。大丈夫。物忘れなんかしていない。私は気

を取り直して、買ってきたビールひと缶を冷蔵庫に入れて、ひとまず風呂に入

ることにした。そろそろ肌寒くなってきたので、風呂で温まると気持ちがいい。

風呂で温まったあと、ぷしゅーっと缶ビールを開けるのがいい。アテは……まぁ、

適当に何かあったはず。ゆっくりと温まってから、身体を拭いて部屋着に着替え

て食卓に戻った。冷蔵庫、冷蔵庫。ビール、ビール! だが、さっき入れたはず

のビールがないのだ。おかしいなと探しまわったがない。ふとキッチン横のゴミ

箱が気になった。見ると、ゴミ箱の上にビールの空き缶がひとつ、へしゃげてお

いてある。私はいつも飲み終わった空き缶はぺしゃんこにしてゴミ箱の上に置く。

それが癖だ。今は飲んでもいない空き缶が同じようにして置いてある。

 ど、どういうこと? 私やはりおかしいの? 風呂場でカシャンと音がした。

だ、誰かいるの? おそるおそる風呂場に戻る。するとバスルームの電気が点い

ている。消したはずなのに。中で水を出す音がする。ポリカーボネイト製の半透

明になったドアの向こうに人影がする。誰なの? 誰かいるの? 私はバスルー

ムの扉を開く。誰もいない。だが気配だけが残っている。いったいこれは? 私

がキッチンに戻ろうとすると、キッチンから「誰?」という声がした。聞き覚え

のある声。そうだ、あれは私の声だ。いったい何が起きている? 廊下に出るの

が怖くなったが、そうも言ってられない。武器の代わりになるものを探すと、洗

面のところに箒があった。置いてある箒を持とうとして取り損ね、カタンと床に

倒してしまった。キッチンでまた声がする。

「だ、誰なの?」

 私は箒を手におそるおそるキッチンに向かう。しかし、そこには誰もいない。

今度は洗面のほうで、カタン! と何かが倒れる音がした。私は怖くなった。

「だ、誰なの?」

 もうひとりいる。私がもうひとりいるのだ。突然そう気がついた私は、もう、

家の中を移動する気になれなかった。同じものを買っていたのは、もうひとり

の私だったのだ。

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第六百四十五話 憑依菌 [怪奇譚]

 海から帰ってから、どうも調子が悪い。彼のサーフィン仲間たちと一緒に

出かけたのだが、私自身はサーフィンには興味がないので、みんながボード

にのって楽しんでいる間中、私はずーっと木陰で本を読んでいた。ふっと気

がつくと、周囲は薄暗くなっていて、みんなの姿も見えない。あれ? みん

な沖の方にでも行ってしまったのかなと思ってもう一度本に目を落とそうと

した瞬間、右手にある雑木林の当たりに気配を感じた。誰? そんなところ

に誰か隠れているの? そう思って林を凝視してみると、太い幹の木の向こ

うに白いものが見えた。ふわっと風になびくそれはワンピースだった。一緒

に来た仲間の中で女性は私だけだから、ワンピース姿は見知らぬ女性である

はずだった。私は少し身体を動かして幹の向こうにいる人物を確認しようと

するのとほとんど同時に、その人物もくるりと顔を動かして、私の方に視線

を向けた。十数メートルはある距離からだと、その表情まではよく見えない

のだが、それなのに私は背筋に冷たいものを感じた。表情はわからないのに

眼光の不気味さだけはわかった。あまりの寒気にぶるぶるっと実を振わせて

もう一度その姿を確認しようと林に目を向けたが、白いワンピースは消えて

しまって影も形もなくなっていた。一瞬気が遠くなったような気がしたの

だが、気がつけば周囲は昼間の明るさを取り戻しており、海辺ではしゃぐ男

たちの姿も戻っていた。

 いったいなんだったんのだろうと、後から彼に話してみたが、居眠りして

寝ぼけてたんだろうと言って掛け合ってくれなかった。

 家に帰ってしまってからは、そのことをすっかり忘れていた。だが、まも

なく微熱が出て身体が不調を訴えるようになった。鼻風邪でも引いたのだろ

うと気にもとめずにいたら熱は下がったようだ。だが、なんとなくふらふら

したり、腹具合が思わしくなかったり、なんとはなしに体調が悪い。一週間

様子をみていたが、どうにも改善されないので、三週間過ぎてようやくこれ

は一応医者に看てもらおうと決意したのだ。

「うーん、とりたてて身体に異常はないようですな。ふむ、だけど体調が優

れないか……血液検査の結果も正常ですし。まぁ、最近流行のあれ、ですな」

「先生……なんですか、最近流行のあれって?」

「うん、原因不明の症状を訴える人がときどきいらっしゃるんだが、なぁに、

心配ありゃぁせん、憑依菌ですわ」

「憑依菌?」

「そう、海だとか山だとか、そういうところでもらってくるんですなぁ」

「……確かに、夏過ぎに海へは行きました」

「そうじゃろう? そこでもらってきたんじゃぁないかな?」

「何をもらってきたんです?」

「その、菌をじゃな。憑依菌」

「それってなんなのですか?」

「じゃから、悪しき霊魂が持っている菌じゃよ。あんた、海で何かおかしな

ものを見なかったかね?」

 私は医師に、海で白いワンピースの女を見た話をした。

「で、そいつと目があったのではないのかね?」

「目……? ええ、確かにギラリと目が光るのを感じました」

「そうじゃろう、それじゃな。そのときにうつされたんだろうよ。ま、薬を出

しておくから、朝昼晩、一錠ずつ、一週間飲みなさい」

「え? お薬で……治るんですか?」

「当たり前じゃないか、さほど深刻な病原菌じゃないんだから、薬で叩くのが

一番早いじゃろうて。ま、人によっては自己免疫力で治してしまうがな」

「そ、そうなんですか……」

「ああ、あんまり人には言わん方がええで。憑依菌のことはな。敬遠されてしま

うで。うん、ワシは正直に言ってしまうんじゃが、たいていの医者は、風邪ひき

だとか、サルモネラ菌だとか、そういう菌の仕業ということにして、あまり憑依

菌の名前を患者さんに伝えたりはせんのでな」

「どうしてなんですか?」

「どうしてって、ほらな、そうやっていろいろ聞かれることになるじゃろう? 

面倒くさい。憑依菌なんてものは、ずーっと昔からあったんじゃが、非科学的な

イメージが強いから、医師の間でも評判が悪いんじゃ。まぁ、できるだけ安静に

して、あたたかくして、そうそう、薬を飲み忘れんようにな」

 一週間後、確かに症状は治った。いったいなんだったんだろう、憑依菌って。

あの女から、私は何をもらったと言うんだろう。もう一度あの医師に詳しいこと

を聞きたいと思って、病院に出向いたが、他院に移動したとのことで、会うこと

はできなかった。

                      了

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第六百十六話 愛の食虫花 [怪奇譚]

 朝の光に目覚めると、繁子はまだベッドの隣で軽い寝息を立てていた。雄一

はいつものように音を立てないように起き上がり、台所のコーヒーメーカーをセ

ットしてから身支度を整えた。自分一人なら牛乳とパンでいいのだが、あとから

起きだしたときに繁子が欲しがるだろうと思って、いつもコーヒーを用意するの

だ。二十分後、トーストをコーヒーで流し込んだ雄一が出かける時間になっても、

繁子はまだ起きだしてこなかった。

 新婚当初は共働きをしていて、夫婦ともに起きて朝食を摂ったものだが、繁子

が体調不良を理由に仕事を辞めて家で過ごすようになってからは、次第に遅く

起きるようになった。雄一も身体の弱い繁子を気遣って、何も言わなかった。家

計も、雄一ひとりの収入だけでもなんとかやっていけたし、また体調が戻ったら

働くなり、何かをするなり、繁子が思うようにすればいいと思っていた。れた

弱みで、八年間も一緒に過ごしてなお、繁子がそこにいてくれるだけでいい

考える、雄一はそういうタイプの夫だった。

「最近ね、なんだか家の中に小さな虫が多くなったと思わない?」

 夕食のときにそう訊ねられてはじめて雄一は、そういえばそうかもしれないと気

がついた。都心の新しいマンションの高層階で、入居当初は蚊も蝿も一匹だって

いなかったのだが、建物が古びていくからか、あるいは生活ゴミのせいなのか、

それはわからないが、いつの間にかベランダのゴミ箱や植木のあたりに、小さな

蝿や蟻が蠢いているのを見かけるようになったのだ。

 虫の存在を見つけると、繁子は殺虫スプレーや容器に入った殺虫剤を買ってき

て処理していたようだが、ある日雄一が帰宅すると、テーブルの上に奇妙な鉢植

えが置かれてあった。

「なんだい、この花は?」

「ああ、それね、虫を獲ってくれる植物よ」

「食虫植物か」

「なんだか殺虫剤を使うのって、人間の身体にもよk内ような気がして・・・・・・」

 食虫植物はひとつではなかった。テーブルの上にはムシトリスミレという植

物が、ベランダにはモウセンゴケ科のなんとかいう植物と、ハエトリソウの鉢

植えが置かれてあった。どこでどう調べてきたのか、我が家は急に珍しい植

物の展示室になったようだった。

 食虫植物というものの実物を見るのははじめてだった。図鑑で見たウツボ

カズラやモウセンゴケは、なんだかぬめぬめしていやらしい植物だという印象

がある。生きている虫をとり殺すというイメージのせいかもしれないし、また、

人間を溶かしてしまうという架空の植物が登場する物語のイメージがあるか

らかもしれない。いずれにしても、雄一にとって、食虫植物は気持ちの悪いも

のだった。だが、繁子が手に入れてきたものは、決してそうではなかった。む

しろ美しさを主張していたり、いまはまだ咲いていないが、可愛らしい花をつ

けるといった植物なのだった。

 一般的な花は、土の中にある栄養素を吸い上げて生育するのだが、虫は

その花粉を運ぶために美しい花に引き寄せられる。だが、考えてみれば、土

の中には虫たちの死骸から輩出された養分も含まれていて、植物たちはそう

いうものを吸い上げているのだ。食虫植物は、いってみれば一般的な虫との

関係をショートカットして、花粉を運ばせる代わりに、直接栄養分となってもら

うという形態をとっているだけで、自然生態の大きなサイクルの中ではなんら

おかしなものでもなんでもないのかもしれないな、雄一は考えた。美しい花の

姿や匂いに引き寄せられて、蜜をいただく代わりに花粉を運ぶ一生と、同じ

ように美しい花に引き寄せられて、甘い蜜に埋もれながら身を呈するという

生き方と、どちらも虫にとっては幸せを感じるものなのかもしれないな。

 雄一にとって繁子は、魅力に満ちた女性だ。友人からは、よくあんな美人を

と、結婚当初はよく冷やかされた。自分自身でもそう思う。彼女のためなら、な

んだってしてやれる、そう思っていたし、いまでもその気持ちは変わらない。冷

静に考えれば、なぜそんな風に思うのか、繁子のどこが好きなのか、正直言っ

て雄一にもわからない。だが、愛とはそんなものなのだろう。好きだから、好き

なのだ。愛しているから、愛があるのだ。繁子が好む生活をさせてやりたい。

好きなものを食べさせたい。欲しい服やバッグも、できる限りは買ってやりたい。

そのために自分は生きているんだ。そのために毎日働いているんだ。そう、こ

れこそが生きがいであり、生きている証なのだ。

 雄一は、そんなことを考えながら、まだ眠っている繁子の頬に軽いキスをして

から静かに玄関を出た。

                                 了

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第六百三話 憑依 [怪奇譚]

 愛する息子は布団の上に横たわったまま既に息をしていない。妻があの子の

命を奪い取ったのだ。次に妻は目を覚ました私の上に乗りかかって、口内に何

かを注ぎこもうとするかのように鼻をつまんで口を開けさせようとした。私は一瞬

何をされているのかわからなかったが、寝ぼけた頭が覚醒してくると同時に、横

たわっている息子の姿を目にし、妻がしようとしていることを咄嗟に理解した。私

は怪しく光る妻の喉元を凝視しながら首に手をかけた。力では私の方が大きく上

回っている。抵抗してもがく妻に掴みかかって、体制を逆転させ、妻に馬乗りにな

ってその首に手をかけた。妻の首の辺りにとどまっていると思われる怪しい何か

を絞り出すために、首に手をかけて思いっきり締め上げた。暴れる妻は苦しそう

な声を何度もあげたが、喉に引っかかっているそれは出てこない。口の中に手を

突っ込もうとしたが、私の手が大きすぎて妻の口に入らない。今手を離すと、また

体制が逆転してしまうかもしれない。私はさらに力を込めて美しい妻の首を絞め

た。妻はぐぅと言ったきりぐったりとして動かなくなった。私は警戒した。妻の首の

辺りにいるはずの何者かが出てくるんじゃないかと思ったからだ。だが、妻の口

からは何も出てこず、しばらくしてから透明な液体状のものが流れ出た。その液

体が人間のものではないことはすぐにわかった。見ているうちに蒸発して影も形

もなくなってしまったからだ。妻の中にいた何者かは、妻の死と同時に死んでしま

ったのだ。

 なぜこんなことになったのかまったくわからない。ただ、異変らしきものはあった。

昨夜、食卓に置いてあった赤い怪しい光を帯びた不思議な物体だ。妻が言うには

息子が近所の公園で見つけたらしい。妻が息子を保育園に迎えに行った帰り道、

近所のマンション建設を控えて空き地になっている土地で赤い光を放っているの

を見つけた息子は、あっという間に走って行き、手に持てる大きさのその石を拾っ

て帰ったそうだ。妻は少し気味悪く思ったが、息子が拾ったそれをみると、石にして

みればなめらかで割合いきれいな物体に見えたので、子供が忘れていった玩具の

部品かなにかだろうと思って持たせたままにしておいたという。食卓の上にそれを

見つけた私も、息子の玩具だと思って気にも止めなかったのだが、怪しい光が不思

議に思えて妻に訊ねたのだった。

 朝、全てが終わってからひとり呆然として食卓に座って妻と息子の遺体を見つめ

ていた。腹が減った。冷蔵庫から牛乳と食パンを取り出して、何も考えずに口に入

れた。そのとき、夕べからあるあの赤い石が目に入った。石はもはや赤い光を帯び

ておらず、ただのカプセルになっていた。ちょうど空になったガチャ玉の殻のような

感じだった。昨夜はあれほど奇妙な存在感があったのに、いまはただそこにあるだ

けのゴミ同然の物体だった。私は悟った。この中にいた何かが妻に入り込み、妻の

身体を乗っ取ったのだと。もはや妻と共に死んでしまい、溶けて消えてしまった今と

なっては確かめようもないが、カプセルの中に何かがいたのに違いない。それは

宇宙から来た何者かなのか、あるいは地中から溢れ出た悪魔のような存在なのか。

いずれにしても、妻を操って子供の首を絞めたことには変わりはない。そしてその

次に私をも殺そうとしたのか、あるいは、私の体も乗っ取ろうとしたのか。

 証拠も何も残っていない。今、冷静に部屋の中を眺め、落ち着いて考えてみると、

妻と子供の遺体が示していることは、私が二人を殺したに違いないという状況だけ

だ。愛する妻と子供を私が殺した・・・・・・誰がみてもそう見える。もはや言い逃れは

できない。少なくとも、妻を殺したのは紛れもない私なのだから。

「妻が暴れるので殺した」

 私は誰にということもなく・・・・・・多分現場を発見するであろう警察に向けてそう

書いたメモを残し、家を出た。どうすればいい? どうする? 自分が犯人ではな

異ことは自分がいちばんよく知っている。自首することはできない。自首すれば、

事実しか私にはわからないから、狂人か嘘つき扱いされるしかないだろう。

 どうすればいいんだ。もう、逃げられない。逃げても仕方がない。愛する妻と息

子を失った今、私はもはや生きていく希望も気力もない。ただひたすら何も考え

ずに、私はハンドルを握って車を走らせることしかできないでいた。

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第五百九十八話 ピアス [怪奇譚]

 ここ数年、ピアス人口はぐっと増えたように思う。その一方で未だに体に

穴をあけるなんてと怖がる人も多いのは事実だ。

 耳に穴をあけると、人生が変わってしまうというまことしやかな噂は、今で

もあるのだろうか。私自身もピアスをあけた当時、その噂を少しは気にした。

だが、好奇心が打ち勝って、両耳に穴をあけた。しばらくしてから友人に「人

生変わった?」と訊ねられ、別にと答える前に少し考えてみると、ピアスをあ

げることによって、私の人生は少しだけど、変わったような気がする。ピアス

をあけている人を羨望することも、色眼鏡でみることも、恐れることもなくな

ったし、いろんなことに少しだけ大胆になったような。だが、そのくらいの変

化は、ピアスをあけようがあけまいが、多かれ少なかれあるものだと思う。だ

からやはり、穴をあけたからといって、人生が変わるものではないと思う。
 ピアスにまつわる噂はほかにもある。耳にあけた穴から白い糸が出るという

話だ。その糸というのは、実は神経繊維で、糸を引っ張ってしまった人は、頭

が変になったとか、死んでしまったとか、話によって結果は違うようだ。


 そこまでの恐怖話ではないが、痛いピアスの話はほかにもある。これは実話

だ。仕事で出会った若いスタッフの話なのだが、彼女は片耳だけピアスをして

いて、ビアスのない方の耳は、少し欠けていた。その耳はどうしたのかと訊ね

ると、何年か前に、大きなリングのピアスをつけていたそうだが、それがどこ

かに引っかかってしまい、耳ごと千切れてしまったのだという。千切れてしま

った耳は、もう塞がらないそうだ。この話を聞いて、私は決してリングはつけ

ないようにしようと思った。


 だが、リングじゃなくても、ピアスというものは、髪に引っかかって絡んだ

り、帽子か何かに引っかかって取れてしまったり、いつのまにか外れてなくな

っていたりということがある。


 他の人がどうしているのかは知らないが、無精な私の場合、ビアスは四六時中

つけたままだ。入浴時も就寝時も、外さない。だから年にひとつやふたつはな

くしてしまう。厄介なのは、片耳ずつなくなってしまうということだ。両耳で

セットのピアスは、片方だけではバランスが悪い。片耳ずつ違うピアスをつけ

てもいいのだか、本人としては、それは許せないのだ。だから、残った方のピ

アスと似たようなモノを探して手に入れようと努力するのだ。

  実は今も、片方無くしたビアスと似たモノを探してアクセサリー店に入った

ところだ。数店物色して、ようやく似たようなモノを見つけたのだが。何かが

足りない。


「あのう、これって」

「いらっしゃいませ。こちらでございますか?」

「このビアスって、この金具の先はないんですか?」

「はぁ〜金具の先〜あの、金属アレルギーか何かで? 金具でしたら、取り替え

は可能ですよ」


「いえ、金具は、このままでいいんだけど……」

「この先といいますと?」

「私、ビアスを引っかけてなくしたんです。その時に、一緒に取れちゃったん

で、似たようなのを探してるんです」


「なるほど。見せてもらってもいいですか?」

「どうぞ」

「! お客様、これは・・・うちでは無理ですね」

「そ、そんな。ビアスは似てるのに」

「いえ、無理です」

 やはりそうなんだ。ピアスにも流行り廃りがあって、昔買ったのと同じよう

なのは、なかなかないんだけれど、その上、耳までついたのとなると〜。今回

私は、右耳につけたピアスを、耳ごと失ってしまったのだ。


                          了

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第五百九十七話 モーニングコール [怪奇譚]

 だらしないとか、癖が悪いとか、言わないで欲しい。小さいときから朝に弱

いんだ。夜ふかししてなくても、体調が悪くなくても、とにかく目覚めが悪い

だ。こういうものは普通、大人になれば治るものなのだろうが、ぼくの場合は

大人になってからでも誰かに起こしてもらわないと決まった時間に起きれな

いのだ。時には一旦は目覚めるのだが、寝ぼけたまま二度寝してしまう。二

度寝などしてしまった時には、そうでないときよりも事態は悪くなる。二回目

はより深く眠ってしまうからだ。大学を出て、会社に通うようになると、親元

を出て一人で暮らすようになった。これを機会に自力で起きることに決めた

のだが、毎朝遅刻続きで、ついに母親に電話をして、家にいた時と同じよう

に起こして欲しいと頼んだ。

「あんたは、ダメだねえ。本当に躾が悪かったのかしら? 小学校の頃は仕

方がないと思っていたけど、中学・高校に入ってからも毎朝起こさなくては

起きないんだもの。大学生になってからは毎朝起こすこともなくなったけれ

ど、あれは早朝の授業がなかったからなのねぇ、本当に困った子」

 困った困ったと言いながらも、母は毎朝決まった時間にきちんと電話をか

けて起こしてくれた。

「おはよう、早く起きて会社に行かなきゃあ!」

「・・・・・・うんわかった」

 毎朝、それだけの会話が交わされるだけの電話であったが、眠り惚けて

電話に出なかったりすることがあると、母親は心配して何度も何度もかけ

直してくれていた。だが、いい大人がいつまでもこんなことではいけないと

言い出し、もうモーニング・コールなんてしないほうがいいんじゃないの?

という話にもなった。ぼくは本当にそうだなぁと思い、でも不安なので、で

は、ぼくが電話に出ようが出るまいが、とにかく決まった時間に三回だけ

ベルを鳴らして欲しいと伝えた。

 それからは、朝七時になると、ぼくの部屋の電話は三回だけ鳴るように

なった。ぼくは受話器を上げることはなかったが、電話線の向こうで心配

そうに受話器を耳に当てている母の姿を思って自力で起きるようになった。

 こんな生活が十年も続いた頃、ぼくはまだ結婚もしていなかった。そして

実家では母親が病気になり、半年の闘病生活の末、天国に逝ってしまった。

残された父親と共に葬儀を行ったあと、ぼくは五日間の忌引き休暇の間実

家で後片付けをしていたが、週末には自分のアパートに戻った。月曜日か

ら出社しなければならないからだ。これからは本当に自力で起きて会社に

行かなければならないのだ。

 月曜日。ぼくは七時十分前に目を覚ました。母を失ってやっと、本当のひ

とり立ちができたのだ。目は覚ますが、相変わらず寝起きは悪く、ベッドの

中でうだうだしているぼく。だが、七時にはちゃんと起きて着替えなければ

ならない。壁にかかった時計の針が七時キッカリをしめしたとき、ルルル、

ルルル、ルルル。電話が三回だけ鳴って、切れた。

                                  了


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第五百九十五話 人面瘡 [怪奇譚]

 人面瘡ってしってるかい? 違う違う、人面犬とか人面魚とは違う。瘡って

いうのはね、デキもののことさ。瘤とか、カサっていう地域もあるね、とにかく

そういうの。身体の皮膚の上にぷくっとできるやつ。普通はね、瘡の中に溜

まっている膿を出したら治るっていうものなんだけどね、時々治らないのが

できちゃう。そのうちね、その瘡になんか模様みたいな皺みたいなのがある

なーって思っていたら、二~三日でその皺が顔みたいになってるのね。あら

らって言ってる間に、目ができ鼻ができ口ができ、しゃべりだすの。腹減った

とか、うるさいとかね。本当だよ。ほら、ちょっと見てみ、俺のここ。でこの真

ん中。ほらここ。小さいぷくってしたのがあるだろう? なんか目鼻みたいな

のがわからない? うーん、大分小さくはなってきたんだけどね。もうこれよ

り小さくならないみたいなんだ。

 最初はね、首の後ろにね、ぷくってなんかできたかなーって。首の後ろだ

から鏡でも見えないし、人からいわれてはじめて気がついたのね。ちっちゃ

なイボくらいだったのがだんだん大きくなってね、なんか後ろから声が聞こ

えるなーって。そう、自分では見えないから、瘡に目鼻ができてるなんて気

がつかなかった。口ができて言葉を話しだしてはじめておかしいなって気

がついたんだろうね。でもね、そのときにはもう、瘡はそうとう大きくなって

たよ。そうね、ピンポン玉くらいかな。そこまで大きくなっちゃうと、その先

は早いよ。すぐにテニスボールくらいになって、一晩で最初からあった頭

と同じくらいの大きさになった。

 こうなると、もうどっちが頭かわからないよ。まるで首から上のシャム双

生児みたい。本人は驚いてね、恥ずかしくって外にも出れない。だけど、

仕事とか買い物とか外に出ないわけにはいかない。だから後ろの瘡に

布をかけて隠して外に出るんだけど、布をかぶせられた瘡は黙っちゃ

いないわな。なんだこりゃぁ、暗いわ! 暑いわ! 鬱陶しいわ! ぎゃ

あぎゃあいうものだから、おちおち通りも歩けない。三日目にはもう、精

神的にまいってしまって床に就いてしまったね。人間弱っちまったらもう

いけないね。どんどん気弱になって、もうだめだとか、もう死んでしまう

とか。だけど瘡は元気で、腹が減った! 飯だ飯! 酒飲ませろ! っ

て喧しい。それでますます弱っていくと、人間どうなる? どんどん小さ

くなっていくよ。胸を張って堂々と生きていられる間は、人は大きくなれ

るし、人からも大きく見えるものなんだけど、自信をなくしたり、生きる気

力を失ってしまうと、どんどん萎びていくよ。だから弱ってしまった頭はど

んどん小さくしぼんでいって、身体は瘡に乗っ取られてしまった。

 え? なんだって? お前は山本じゃないのかって? おう、俺は山本

だ。ただ、元の山本の頭はな、ほれ、これ。デコのところにあるこのホクロ

みたいなの。な、目鼻みたいなのがあるだろ? いまは疲れて眠っちまっ

たみたいだけどね。もうこれ、うっとおしいからとってしまおうって思ってね。

俺、今から整形外科に行くところなの。なんでもこれくらいのイボやらホク

ロなら、レーザーでビッって焼き取ってくれるんだって。え? 前の顔より

男前だって? そうかい、それはどうも。じゃ、行ってくらぁ。

                            了

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