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第九百四十話 自らに鋏を [文学譚]

 花梨がいなくなって二週間が過ぎようとしている。失踪に気がついたとき、彼女が行きそうな場所は何度も探した。だが、予想できる行き先はさほど多くはないのだ。彼女の行動範囲が狭いからか、あるいは私は彼女のことをあまり知っていないのかもしれない。とにかく考えられるところはすべて探したし、彼女のことを知っている知り合いには電話をかけて訊ねまわった。だが、誰一人として見かけた者は見つからなかった。

私は花梨になにかしただろうか。彼女が嫌がることを言っただろうか。なにも思い当たらない。それどころか私は毎日彼女の満足を満たすためになんだってしてきたはずた。それなのに私を捨てていなくなってしまうなんて。日を追うごとに心のどこかに空いた穴が大きく広がっていく。そしてそれはもはや耐えられないほどの大きさに到達してしまっている。

 しかし実はこれほどの空虚感に襲われることははじめてではない。心の耐性が弱いのだろう、私はしばしば耐えきれなくなった気持ちを鎮めるためにある儀式めいたことをする。こんなことで気持ちを鎮めることを覚えたのは中学校で長らく虐めの渦中にあった頃だ。親にも教師にも相談することができず、私は自分の身体の一部に刃物をあてがうことで気持ちを紛らわせることに成功したのだ。その後も受験に失敗したとき、就職し損ねたとき、女に振られたとき、ようやく手にした仕事で大きなミスをしてしまったとき、数えあげれはきりがないほど、精神がやられてしまったときに私はいつもこの方法で自らをなだめ、空虚感を高揚させることにむしろ快感を覚えるようになった。

 自傷癖。専門家はそんな名前で呼ぶのだろうか。この癖について医師に相談したことがないので、正しい名称まではわからないが、確かにそのようなことではないかと思う。

道具はいろいろあるのだが、私は鋏を使う。鋏ではそんなことうまくできないだろうと思われそうだか、慣れればそうでもない、私の場合はむしろこの方がうまくやり遂げられる。両手、両足全部を一気にやってしまうのがむしろ気持ちいい。その順番はどうでもいいのだが、右手に鋏を持ってがやりやすい左手からやってしまうのが常だ。切れ味のいい鋏じゃないと大変なことになったしまう。一度切れない鋏を使ってしまったときには思い通りに切れない上に、切り口があまりにも汚くなって往生した。それ以来、決して切れない鋏は使わないようにしている。

 右手でしっかりと鋏をつかみ、左手のそこにあてがう。静かに鋏を握ると、ぶちんと音がして身体の一部が離れ落ちる。もう一度、もう一度。左手の次には鋏を持ち替えて右手を。そして両足を。すべての爪が短くなったのを確認してようやく私は安心する。

 丁度そのとき、花梨が戻ったようだ。どこでなにをしてたんだ、馬鹿野郎。私が言うと、花梨は答えるでもなく声をだした。みゃおぅ。

                    了


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