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第九百二十六話 恐怖の正体 [怪奇譚]

 会社帰りに飲みが入ってつい遅くなり、最終電車に飛び乗る。同じような酔客がたくさん乗っているのだが、駅に到着する度にひとりふたりと数を減らしていく。やがて終着に近い駅で降りると、もうあたりはしんとして、走りゆく最終電車の後姿ももの寂しく感じてしまう。改札を出ると同時に駅の灯も落とされますます深夜の空気が濃度を上げる。もう酔いも冷めてきているはずなのだが、足元はまだおぼつかず、ふらつきながらゆっくりと歩いていく。家のあるのは、駅前の繁華街からは遠ざかる方向。もはやタクシーもなく、仕方なく十数分の道のりをひとり歩く。国道を越え、道幅の狭い住宅街に入っていくと、さすがに人影ひとつなく、見慣れた風景が暗闇を背景にゴーストタウンのように不気味さを浮かべている。さらに狭い道へと入っていったときに、背後になにかを感じる。酔いでぼんやりした脳裏にさえ冷たいものが流れて思わず立ち止まる。不気味だ。恐る恐る振り返るが、誰もいない。気のせいか。大人げなくも恐くなって早足になったそのとき、前方の家の影でなにかが動いた。どきっ。心臓が一瞬止まる。なんだ? 影が見えた家の壁を遠巻きにしながら近づいていく。またちらっと動く。人か? 駆け出したくなるほどに恐怖は募るのに、こういうときには見かけたものの正体を知りたいと思う。恐いもの見たさというやつだ。後で見なけりゃよかった、見ずに走って逃げればよかった、そう思うかどうかすら考えない。とにかく目に入ったものの正体を見極めたいという気持ちになるものだ。じわじわとにじりよるように、その家の角の向こうを見ながら近づいていく。また黒いなにかが動く。思い切って向こう側に飛び出して角の向こう側に目をやる。

 たいていなんでもない正体にがっかりさせられる。今回は、家の軒下に黒いごみ袋が引っかかっていて、それが風に揺れてちらちらしているだけだった。なぁんだ、やっぱり。そんなことだろうと思った。

 映画や小説のように、恐ろしいものが身近に潜んでいるなどということは、現実には滅多にない。滅多にどころかまったくないと断言してもいい。それなのにときとして恐怖を感じるのは脳内の作用だ。正体のわからないものに対して勝手に妄想して恐怖を募らせるのが人間だ。吸血鬼や人造人間、狼男、未知の宇宙生物、火星人の襲来、遥か異次元からの来訪者、地中から甦ったゾンビ、海底人間、空飛ぶ人食い怪獣……そんなものが実在するはずもなく、それなのに勝手に妄想して恐ろしがる。反対に恐ろしがるためにそういう未知の怪物が登場する物語がつくられ、人々はその虚像を知りたがるのだ。

 正体のわからないものに恐怖を感じる。それは真実だ。現にいまの私にも恐怖を感じるものがとても身近に存在する。そいつがいつ、どこで生まれたのかを知っている。どんな境遇で育ってきたのかも。そいつのことを誰よりも知っているはずなのに、いまだにわからないことだらけだ。そいつの遺伝子はどこから来たのか。なんのためにここにいるのか。ここでなにをしようとしているのか。そいつの正体が遥か宇宙からやってきた生物の末裔でないとなぜ言える? そう考えるとますます不気味に思えてくるではないか。なによりも誰よりも正体不明なそいつ、それが自分自身だというのが一層恐ろしい。

                                          了


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