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第六百十五話 アイデアが浮かぶ瞬間 [脳内譚]

 夢見杉菜は作家になりたいと夢見ているアマチュア小説家だ。とはいうもの

の四十を過ぎるいままで何か創作めいたことをしたのかというと、まったく何も

しなかった。仕事や家事、子育てで、何かを書くというような余裕がなかったと

自分に言い訳をするのだが、ほんとうはそんなもの理由になんかならないこと

は知っている。本当に書きたい気持ちがありさえすれば、どんな障害があろう

と書くのが作家というものだと思うからだ。だが、いまは違う。思い入れるのが

遅すぎかもしれないが、いまはなんとしてでも何かをひとつだけでも書き上げ

てみたいと思っているのだ。だが、何を書けばいいのか、どう書けばいいのか、

机の前に座ってパソコンのワープロソフトを立ち上げるたびに困ってしまう。こ

うして未だにパソコン画面は真っ白なままなのだ。

 それでも杉菜は日夜考えている。何かいいネタはないだろうか、何か素晴ら

しい創作アイデアが芽生えないだろうか。はっと思いついては、書き出そうとす

るが、一行目から書き出せずに苦悩する。こんなことでは何も書けない、そう

思ってその思いつきを断念して、もっといいアイデアを考えはじめる。

 アイデアというものは、夜、ベッドの中で思いつくことが多い。だが、それを枕

元に置いた紙にメモをしておくと、翌朝起きてからがっかりさせられる。何が、

どこがいいアイデアだと思って書いたのだろうと思うような落書きばかりだから

だ。”死んだ父親が海坊主””星空から落ちてきたのは自分””彼と彼女の不毛

な関係”などなど、何が何やら訳がわからない。

 有名なクリエイターが何かで書いていた。いいアイデアというものは、紙にな

んて書かなくても、翌朝になってもなお頭の中に残っているものだと。それを聞

いた杉菜は共感した。本当にそのとおり。紙にメモして置いた落書きなんて、と

んでもないわ。私も頭の中に刻み込まれるようなアイデアを考えるようにしよう。

 それからは枕元に紙を置くことを止めた。だが、そうすると今度は、朝起きても

何も残っていないのだ。夕べは確かにすごい思いつきだと思った。これなら翌朝

になっても忘れない、そのくらいのアイデアだ。また、そのようなアイデアが浮か

んだときには、眠りにつく前に何度も何度も頭の中で反芻して、忘れまいと脳に

刻み付ける。それなのに、翌朝になったらきれいに忘れ去っている。ああ、もっ

たいないことをした。せっかくいいアイデアを思いついたのに。こう思ってしまう

のだが、いやいや、翌朝忘れてしまうアイデアなど、メモしていたとしてもろくで

もないものだったに違いない。だが、何かいいことを考えついたのだという思い

ばかりが頭の中に残っていて残念でしかたがないのだ。

 夕べ思いついたのはなんだったっけ。何かすごいアイデアだったんだけどなぁ。

一日中そんなことを考えて過ごす。そして夜になってベッドに入る。不思議なこと

に、しばらくすると思い出すのだ。そうだ、夕べ思いついたのはこれだ! そして

今度こそは忘れまいと、再び何度も何度も反芻して脳に刻み込ませる。眠りに

就いて翌朝。目覚めたときには、再び何を思いついたのか、きれいさっぱり忘れ

てしまっている。ああ、やはり朝まで覚えていられないような、ロクでもないアイ

デアだったんだなぁ。そう諦めるが、またしてもいい考えだったはずだ。それも

夜には思い出せたではないか。そうした残念だった気持ちだけが尾を引いた一

日を過ごす。夜、ベッドの中で、また思い出す。ああ、これこれ! 私が思いつ

いたすごいアイデアはこれだった! 反芻しながら眠って、また翌朝・・・・・・。

 もう何回こんなことを繰り返していることやら。今日も、夕べは思い出したあの

アイデアを残念に想い続けて過ごしている。きっと今夜、ベッドの中で再び思い

出すに違いない。今夜こそ、枕元にメモを置くか? いやいや、それはやめてお

こう。本当にいいアイデアなら、翌朝になっても覚えているはずだから。

                                了



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