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第六百十二話 実験小説 [文学譚]

 実験小説 自室に閉じこもったまま、じーっと爪を眺めていた。爪を見ることに意味は

ない。何もしないでいるというのが難しかったので、なんとなく目の間に見え

ている自分の手を見つけ、そのままぼんやりと爪を眺めていた。

 小泉文子は最近になって小説を書くようになった。そんな心得があったわ

けではないが、三十五歳を過ぎたことをきっかけに、仕事以外に何か意味

のあることをしてみたいと思い、そういえば学生の頃には小説家を夢見て

いたことを思い出したのだ。きっかけはもうひとつあった。二年前の映画だ。

それはSF小説家眉村卓の自伝的物語で、文子はこの映画を見てはじめて

眉村卓という小説家が病気の妻のために毎日短編小説を一篇書いていた

ことを知った。毎日一篇書く、それは大変なことなのだろうが、なんだかでき

そうな気がした。眉村の物語は、妻が亡くなる日まで千七百七十八話が綴

られたのだが、ということはおおかた五年間続けられたわけだが、文子には

五年は長すぎるように思った。だからとりあえず二年ほどやってみようと決

意し、目標をアラビアンナイトにちなんで千一話まで続けることにしたのだ。

 眉村の物語にはもうひとつ制約が設けられていた。それは、決してエッセ

イにはしない、というものだ。毎日書くものは、エッセイではなく小説にする。

エッセイも小説も書いたことのない文子にとって、その違いは良くは分かっ

ていなかったが、とりあえず眉村のルールはそのまま真似ることにした。エ

ッセイとは随筆のこと? とにかく事実の記述ではなく、物語を考えればい

いのだろうと思っていた。

 実際、毎日千文字程度の短編、もしくは超短編を書き出した頃は、以外な

ほどにスラスラと書けた。百話、二百話くらいまでは、なんとなく続けていく

ことができたのだ。そして三百話を超える頃には欲が出て来て、もう少し長

いのを書いてみたいと思い、連続モノを挟んでみたり、ついには千一話と

は別に、百枚~二百枚くらいの中編小説を書いてみた。驚いたことに、こ

れも不思議なくらいに短期間で書き上げることができ、三ヶ月の間に六篇

の中編小説を書き上げることができたのだ。

 自分で書いたものというのは、小説家でもない限り、誰かの目にふれる

ことなど滅多にない。自分のためにかいているのだから、それでいいのだ

が、実際には、やはり誰かに読んで評価してもらいたいという気持ちにもな

るものだ。書きっぱなしではハリがないのだ。文子は家族や友人に頼んで

読んでもらったりもしたのだが、だいたいは面白いんじゃないとか、よかった

とかの反応しかなく、自分が書いているものがどうなのか、客観的に評価

する術にはならなかった。だから文子はとにかく自分で決めた千一話とい

う目標を達成することだけを考えるようにして続けた。

 ところが、ある日を境に、書けなくなってしまった。ある日というのは、短

とは別に書いた中編の六つ目を書き上げた後だ。書きたいことがないわけ

ではない。書く能力を失ったわけではない。何かが違うことに気がついたの

だ。その何かがどういうものなのかは、未だもって明確にはわからないのだ

が、どうも自分が書いているものは、エッセイなのではないか、あるいは観

念なのではないかと気がついたのだ。それでも面白ければいいのだが、つ

まらない。誰かに読んでもらって、そんな指摘を受けることができれば、何を

どうすればいいのかが見えてくるのだろうが、自分でも読み返すことをしない

文子は、書きながらすでに面白くないのではないかと思って書いているのだ。

 小説には、特にこうあらねばならないというきまりみたいなものはないと思う。

もちろん、作法としてはこうした方がよいという流儀のようなものは多々あるよ

うなのだが、書いている本人がこれは小説だと主張すれば、それは小説なの

ではないかと文子は思う。ただ、問題になるのは、読み手がそれを面白いと

思うか。読み手が小説として認めるかどうか。そこにはルールというものが生

まれることになる。次々と新たな物語が紡がれていくとか、読者を引き込んで

全く未知な疑似体験をさせるとか、そういうものが読物として好まれるものに

違いない。だとすると、文子が書いているものは、そういったものからはほど

遠いかもしれない。自分の頭の中に沈殿している考えをもとに、登場人物が

文子に代わって延々とその考えをつぶやいている。そんなスタイルの話が多

いと思う。読者を惹き付けるには、登場人物はいろいろ動き回るべきだ。考え

たり語ったりするだけでなく、登場人物が様々な体験を披露してこその物語、

それこそが読者に好まれる小説なのだ。

 文子はそこまで考えて思った。本当にそうなのかしら? 登場人物が動き

回る話? そう気づいてから、そのような物語を書こうと努力はしてみた。だ

が、そんな風には書けないのだ。もともと行動的ではない文子はあまり世間

を知らない。知らない世間のことは書けない。書けないような世間を舞台に

登場人物を動かすことなんて不可能だ。だったら、本当にそうか実験してみよ

う。登場人物が全く動かない物語を書いてみよう。いや、今までだってそうだっ

たかもしれない。だが、それは意識していなかった。今回は、登場人物は動か

ない。部屋から出ない。部屋の中で、立ちさえしない。何もしない。それで面白

い小説になるだろうか。書いてみるしかない。

 そして文子は部屋にじーっと座っているのだ。昼間、明るいリビングのソファの

上。秋らしい気候になったので、長袖のスゥエットという部屋着のまま。呆然と腰

を下ろしている。テレビはつけていない。音楽も流していない。ただここにいるだ

け。飼い猫が足元に擦り寄ってきて一声ミャアといってどこかへ消えていく。文子

は彼を目で追うだけで、追いかけない。ここを動いてはいけない、何もしない。

 五分もジィーっとしていると、なんだか辛くなってきて気持ちがざらついてきた。

まだ動いてはダメ? やることなく目の前に見えている自分の手を見る。その先

にある爪を見る。爪は少し伸びていて、最近手入れをしていないおかげで、少し

みすぼらしくなっている。これはいけないなぁ。磨かなきゃぁ。爪が伸びているだ

けで詩を書いて歌ってた人がいたなぁ。井上なんとかっているソングライター。

詩ならそれだけでも作品になるのだ。だが小説は・・・・・・。眺めている爪が、急

に伸びだしたらSF小説になるだろうし、突然爪が溶け出したりしたらホラー小説

にはなるのかもしれないが、実際にはそんな意外なことは起こらない。ただただ

みすぼらしい爪があるだけだ。左手で右手を包んでみる。ああ、いけないいけな

い。これだって何かをしていることになる。何もしない、動かない小説なんだった。

これでは面白い訳がない。面白い物語が紡がれるはずもない。そうわかっている

のになんで、こんなことを続けるのだ? こんな話を書く意味があるの? 

 そう考えたとき、ぷっつりという音さえせずに、何もかもがなくなった。文子の周り

は真っ白になった。文子の周りが真っ白になったのではなく、文子自身も消えてし

まったのだが、一瞬気がつかなかった。とにかく、諦めたのだ。どうやら、これを書

いている作者が、この不毛な試みを放棄してしまったようなのだ。

 小泉文子も、小泉文子が存在していた世界も、すべてが一瞬にして姿を消した。

                                  了



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