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第四百二十六話 モンスター。 [可笑譚]

 一式平太はかつて頭がよく、温厚で性格もよい模範的な人間だった。かつて

いうのは、子供の頃から中年期に至るまでのことだ。何一つ不自由のない幼

少時代を過し、その頃は両親からの寵愛を受けて、町内の評判もきわめて高

く、学校でも優秀な生徒として人気を集めていた。

 もちろん、青年期にありがちな些細な挫折や屈折はあったものの、それらが非

行に走る原因とはならなかった。だが、そうした心の捻じれは、本当は誰にも分

からない、本人すら自覚しない心の底に澱のように沈殿していたのだろう。

 一式平太は二十代後半になって、手痛い失恋を経験する。愛し合っていると

信じていた女性に心変わりを告げられたのだ。世間としてはいかにもよくある

恋愛の結末ではあるが、一式平太本人にとっては初めてのことで、彼はそれ

を”裏切り”と呼んでいた。確かに、信じていた相手の心変りは裏切りには違い

ないが、人の心は移ろうものだ。決して彼女は他の男を好きになったわけでは

なく、単純に一人になって新しい事に挑戦したいと思ったのだ。その決心を遂

行するためには、一式平太との付き合いが結婚直前になっていただけに、重

になってしまったのだ。彼女はその後翻訳家になるためにロンドンに渡り、

一式平太の前から姿を消した。

 この頃から一式平太は人を信じなくなった。最愛の人間、親の次に信頼して

いた人間から裏切られると、人はそうなるものだ。公務員としての仕事でもプ

ライベートでも、一式平太は誰ひとり信頼しようとせず、だから心を許せる人

間も決して作ろうはしなかったのだ。

 人間にとってこの”精神的引きこもり”は人格に大きな影響を及ぼす。人間は

もともと群れで生きる動物だ。つまり家族や仲間と生活を共にしてこそ、明るい

未来が形成されるのだ。だが一式平太はそんなことは考えなかった。あれほど

明るく、頭脳明晰で、人のよかった一式平太の表情は、四十歳に達した時には、

堅く暗い表情に変化していた。

 こういう類の人間は、何もかもを裏読みする。他人から受けた厚情も、上司

の命令も、同僚からの誘いも、すべてに何か理由があるはずだと思い、その

理由とは必ず自分が利用されるのではないか、そして裏切られるのではない

かという恐れと直結していた。

 こうして一式平太は人生を歩き、世間を渡ってきただけに、仕事の実力はあ

る。何もかも一人でこなし、係長になり部下が付けられたりもしたが、大事な

ことは全部自分で解決した。だから部下からは恐れられもし、尊敬さえされた

が、一方ではとても難しい先輩だとも思われていた。心を開かないのだから

当然そのような評価になるのだろう。仕事はできたのだから、一式平太は

れなりに昇進を続け、課長職になった。だが、その後がいけない。

 自分の力だけを頼りに世間を渡ってきた実績は、一式平太を過剰な自信家

も育て上げていた。その自信は、当然自分は上に立つものだという思い込

につながる。だが、組織というものは実力で上に上がるものではない。人間

同士の信頼関係やゴマすり、上司から気に入られるかどうか、そんな極めて

動物的な関わりの中で形成されているのが現在の組織だ。

 平太が勤める自治体のトップが選挙によって変わり、新たな組織変革が行わ

れたとき、平太は新たなボスを信仰した。ついて行きたいと考えた。だが、新た

なボスは、次ぐ次と若い職員を重要ポストにおき、一式平太たちキャリア族は逆

に別部署へと配置変換されてしまったのだ。こうした話は世間にはまったくよくあ

る話で、なんの悲劇にもならない筈なのだが、一式平太にとっては初めての大

きな挫折だった。一式平太の中の何かが壊れた。人格がおかしくなった。トップ

と役所を逆恨みした。この町に住む住民にさえ嫉妬した。

 温厚で人がよかった正義感に満ちた男だった筈の一式平太は、十年という

年を経て、その最後にやってきた挫折感によって、執着と嫉妬と羨望の悪魔

と化した。他人のすべてが羨ましく思え、それを妬み、妬みを感じる相手の弱

みを見つけて何とか引きずりおろしてやりたいという思いが次から次へと湧

き起こり、持ち前の執着心でそれを実行していったのだ。

 こうして一式平太はダークサイドに落ちた。役所や町内の、自分を侮る人

を制裁する復讐の鬼と化した。一式平太は自らの呼び名も変えた。一式、

なわち1ダース、1ダース平太・・・1ダースベイダ―と。コーホ―・・・。

                                    了



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