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第百二十一話 記憶のトラップ。 [妖精譚]

 目を覚ますと俺は女になっていた。

「ここはどこなんだ?俺はいったいどうなってしまったんだ?」

白い壁、白いカーテン、そして俺はベッドの上に横たわっていた。どうやら病室らし

い。それにしてもこの豊満な胸。くびれた腰、むっちりしたヒップ。そして・・・こ

れは俺の好みの女性のボディだ。俺が抱きたい女に俺自身がなってしまってどうする?

うーんとうなっていると看護士が入ってきて目覚めている私を見て慌てて医師を呼び

に行った。

「ようやく目を覚ましましたね。あなたは2週間、昏睡状態だったのですよ。」

俺と同じくらいの年恰好と思われる黒縁眼鏡の医師が言った。

「気分はどうですか?」

「はぁ。よく分かりません。」

「自分の名前を言えますか?」

「はい。くろさわ・・・黒沢俊樹です。」

「ほぅ。それは間違いないのかな?男性名のようだが。」

「はい。間違いありません。先生、俺・・・私はどうなってしまったんですか?」

「うむ。交通事故に遭って、ここに運び込まれたんだ。頭を強く打ったらしく、硬膜

下出血、つまり頭蓋骨のすぐ下のところが出血しており非常に危険だったが、幸い早

く処置ができたから助かったんだよ。それに奇跡的にも身体の他の部分は無傷だった。」

「それで・・・私は頭が変になっているのですか?」

「いや。硬膜下出血の処置のために、側頭部に小さな穴を開けたが、その傷ももうほ

とんど癒えているし、脳波も異常ない。念のためにもう一度MRを取ってみますか?」

「いえ。異常ないのですね。でも、私は・・・なぜ女性になってしまってるのでしょ

う?」

「・・・あなたは、自分が男性だと思っているのですね?所持品の中に免許証があっ

たので見させてもらったが・・・あなたの名前は黒沢俊子、間違いなく女性ですよ。」

 俺はわからなくなってしまった。なぜ、こんなことになってしまったのか。俺は間

違いなく男だったはずだ。もしかして、何かの間違いで性転換手術でもうけてしまっ

たのだろうか?その記憶が事故で失われてしまったのではないだろうか?よく、頭を

強く打って記憶喪失になる話があるではないか。医師にもそのような質問をしてみた

が、手術の痕跡などなく、また記憶については、事故前後の事が混乱してしまうこと

はよくあることだが、記憶喪失というほどの強い症状は見られないということだった。

 それからまもなく俺は退院した。俺の両親は既に他界しており、今は姉とふたりで

暮らしている。姉は何度も見舞いに来てくれていたが、混乱している俺の話を聞いて

ひどく心配していた。マンションに戻った俺は、自分の部屋を見て驚愕した。まるっ

きり女の部屋ではないか。衣類や持ち物、すべて女性のものばかりだ。これはいった

い・・・?

「姉さん、これはいったい?俺の部屋に何をした?」

「何をって・・・何もしていないわ。ここがあなたのお部屋よ。あなたはずーっとこ

こで生活してきたのよ。そりゃぁ、少しは男勝りなところは昔っからあったけど、あ

なたと私は正真正銘の、この世でたったふたりきりの姉妹なのよ!」

 俺は少しづつ思い出しかけていた。姉とふたりで遊んだ子供時分のこと。姉と出か

けた京都旅行の事。幼くしてなくした父親に強く憧れていたこと。母が他界して姉妹

で号泣したときのこと。だが、その思い出の中の俺は、男だったのか女だったのかわ

からない。

 事故に遭った時に着ていたジャケットを探ると、ポケットから診察券が出てきた。

”埼京医科大学ー黒沢俊子”。そうだ、俺はこの病院から帰る途中だった。誰にも話し

たことはないのだが、子供のときから一人悩み続けていたことがあったのだ。それは

姉にも話していない。俺は女性として生まれてきたが、心は男性だとずーっと思い続

けてきた。父をなくしてから、その思いはさらに強まった。大人になったある日、イ

ンターネットサイトでこの病院のことを知り、密かに通院を続けていた。当時、Gender

Clinicを設置している病院はここだけだったのだ。そう、俺は、最近マスコミなんか

で話題になっているGender Identity Disorder=性同一性障害だった。精神病では

ないが、性別に違和感を持って生まれてくる人間が、三万人に一人いるという。そし

てその治療法というものは特になく、精神を改造することはできないので、通常ここ

ろの性に身体の性を合わせるという治療、つまり肉体形成が行なわれるそうだ。だが、

俺はそれを拒否した。健康な体にメスを入れるということがどうしてもできなかった

のだ。そこで、近年実験段階に入っているという”精神コントロール療法”の話を小耳

に挟んで、それを医師に依頼したのだ。

 「精神コントロール療法・・・確かにあるにはあるが、それは人格をも変えてしま

う恐れがあり、おすすめ出来ない。いわゆる洗脳と同じだからね。」

最初は縦に首を振らなかった医師だったが、繰り返しお願いをする俺の様子を見て、

望みを受け入れてくれたのだ。そして三ヶ月にわたる継続治療が行なわれ、ようやく

最終段階の治療も終ったその日に俺は事故に遭った。

 たぶん、俺はすっかり女性の心を持った普通の女性として病院を後にしたはずだ。

ところが乗車したタクシーが事故に遭い、強く頭を打った俺は硬膜下出血を起こし、

血腫によって圧迫された脳の記憶と意識をつかさどる部位に何かが起きたのだ。それ

は機能的な障害ではないから、脳波にも現れない。だが、”精神コントロール療法”で

抑制されたばかりの俺の脳神経組織は混乱をきたし、誤った神経リソースの組み換え

がなされて、俺の過去の記憶まで塗り替えられてしまったのだ。

 以前にも増して心の男性性が強まってしまった俺。身体は女性のままなのに心は今

まで以上に男!もはや誰にもこれを正すことはできないだろう。記憶喪失患者が次第

に記憶を取り戻すように、事故直前の治療によって女に戻れたあの心が再び俺に戻っ

てくることはあるのだろうか。

200701上海 027'.JPG            了

 

 

 


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