第百二十二話 他人の声。 [日常譚]
「君、面白い声をしているねぇ。声優をやってみる気はないかい?」
私はこの街の小さな劇団に所属している。団長の知り合いにラジオ局のディレクター
がいて、その人が年に一度の公演を見に来たときにそう誘われた。私は芝居でもラジ
オでも、とにかく演じる仕事をしていきたかったので、一も二もなくお受けしたのだ。
OLでお給料をいただきながら始めた素人芝居だったが、私は小器用で、さまざまな
役を演じることが出来ると自負している。しょうしょうToo Much・・・やり過ぎと
いわれることもあるけれども、自分では”七色の声”が自分の武器だと思っている。子
供の声、おばあさんの声、高い声、低い声、実に幅広い声色を使うことが出来るのだ。
そのうち、アニメのキャラ声なんかも見様見真似で出来るようになった。こうなると、
いったいどの声が本当の自分の声だったか、自分でもわからなくなってきている。だか
ら、ラジオ局のディレクターが、いったい私のどの声の部分を「面白い声」だと思った
のかも不明である。
ともかく、ラジオ局で初めて出した声は、ミニラジオドラマの意地悪な女中の役だ
った。とても裕福な家庭に雇われた女中が、その家の主がなくなったためにはじまっ
た財産分与騒ぎに巻き込まれて、意地悪ながら辛らつな態度で家人たちに臆さず意見
を言い、そのお陰で家人も親戚一同も一度はお金に眩んだ眼を覚ます、というストー
リー。脇役ながらとても重要な役どころだが、私にはぴったり嵌った。「お金がすべ
てじゃねえべ。」という女中の口癖が奮っていた。オンエアは一度だけだったが、放
送後、聴視者からの絶賛の電話が数本入ったと聞いている。
このラジオ出演のお陰で、今度は系列のテレビ局からオファーが来た。シリーズア
ニメ「マルマルマリリン」という番組に登場する準主役の声だ。キャラクターの名前
は”クルクルクルりん”。正義を愛するマリリンの片腕という役どころだ。
「えーい!こうなったら最終兵器だぁっ!えいっ!クルクルクルりん~!」こう叫
ぶと、ベルトに装着されたブーメランが飛び出して悪者をやっつけるのである。この
クルりんというキャラが、賢いのやらバカなのやら、実に面倒くさいキャラクターで。
一癖もふたクセもあるわけで、私にとってはやりがいに満ちていた。このキャラの声を
どんな風に作ろうかなぁと考えていろんな声をディレクターに聞かせたところ、ちょっ
とつぶれたような、しかし愛嬌のある声に決まった。ちょうど・・・そう、大昔のキャ
ラクターでねずみのトッポジージョって死ってるかなぁ?それかそう、志村ケンの「ウ
ェーッ!」っていう声、あんな感じ。この声を毎週30分ぶん、1年間続けた。
ところがある日、目覚めてみると、声が出ない。ん?昨夜飲み過ぎた?いやいやそん
なはずはない。うがいをしたりのど飴をなめたりしてみるが、やはり声が出ないのだ。
今日はクルりんの収録日なのに大変だ!そう思ってクルりんの声を出してみると、これ
がスーッと出た。それでわかったのだが、私の七色の声はクルりんの声を残してすべて
出なくなっていた。お陰で収録は問題なく終えることが出来たが、スタジオから出ても
クルりんの声のまま。
「お疲れ様でした~!」
「おいおい、美津子ちゃん、収録はもう終わったぜ。クルりんはもういいよ。」
「そう言われてもぉ~今日の私、この声しか出ないんですぅ~。」
ディレクターはじめ、そこにいた仕事仲間に事情を打ち明けたが、一応声は出ている
ので、みんな面白がるばかり。ただ一人マリリン役の小暮さんだけが心配して「病院
に行ってみたら?」と言ってくれた。
病院に行くと、医師は一通りの検査をした後、「う~ん、機能障害はありませんの
で、おそらくストレス性のものでしょう。しばらく様子をみましょう。」と言って、
トローチをくれただけだった。
それから五日間、私はクルりんの声だけで生活していたが、こういうものって、不
思議と慣れてくるものだ。何一つ不自由はしなかった。ただ、知人からは「どうした
の?その声は。」と言われ、初めて出会う人には、そういう声の人なんだと思われる
だけで。
六日目の朝、「ふわぁ~っ」とあくびをすると、クルりんじゃない声が出た。それ
で確かめてみると、七色の声が戻ってきていた。
「お帰り~私の声たち!」
とても嬉しくってそう叫んでみたのだが、その声はクルりんの声。私本来の地声では
なかった。というか、私の声ってどれだったっけ?出る声を片っ端から試してみたが、
どの声が本当の声だったか皆目わからなくなっていた。
過去の出演ビデオや録音を聞いてみても、それぞれの役になりきっている声なので、
どれもこれも私の地声ではない。たった五日間の間に、私はクルりんの声にすっかり
順応してしまっていたのだ。だから、知っている人がいたら教えて欲しい。私の本当
の声はどれなのか。
了
Facebook コメント
今回も楽しませてもらいました。
トッポジージョ、懐かしい。よく真似をしていました。
今調べたら、声を中村メイコがしていました。
by galapagos (2011-05-26 15:05)
galapagosさま、ありがとうございます。
トッポジージョなんて言ったら、お里がしれてしまいますね(^^;)
へー!メイコさんでしたっけ?なんか男の人だったような…
by momokumi (2011-05-27 03:11)