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第八十話 お葬式。 [妖精譚]

 「この度は、誠にご愁傷様でした。突然のことで、何を言えばよろしいやら・・・」

続々と訪れる弔問客の声をBGMに、宗助はじーっと身体をこわばらせたまま、住職

の読経が始まるのを待っている。葬儀というのは不思議な儀式だと宗助は思う。本人

の家族や兄弟、友人、近所の親しい者が弔うために集まってくるのはわかるが、本人

とは面識もない者、たとえば兄弟の会社の人だとか、子供の友人だとか、ひどいとき

には知り合いの知り合いみたいな人まで集まってくる。親戚にしたって、普段は疎遠

になっているのに、ここぞとばかりにみんなが集まってくるのも面白い。死んだ本人

としては、誰も来てくれない葬儀よりは、いろんな人がたくさん詰め掛けてくれた方

が、死に甲斐があるというものだが、それにしても死んだ本人はもう存在しないのだ

から、誰が来てくれたのか誰が来なかったのかなんてわからないわけで。

 落語かなんか面白話で、自分の葬儀に誰が来てくれるのかを確かめるために、死ん

だことにして棺おけの中から葬式を覗いているっていうバカな話があったが、生きて

いればこそ、自分の付き合いの幅や、自分の人望が同だったのかを知る目安として、

弔問客の顔を見たいものだ。だが、自分は死んでいるのだ。結局、葬式という儀式は、

本人を弔うということ以上に、残された者にとって大いに意味があるものなのだろう。

 宗助は、そんなことを考えながらじーっと待っていると、いよいよ葬儀屋のアナウ

ンスと共に住職が入場して来て読経が始まった。今まで待っている間だけでも長いの

に、これから数十分、坊主の読経を黙って聞いていなければならない。最近の葬式で

は、椅子に座って参列するというスタイルも増えたが、普通は日本間に座布団が敷き

詰められていて、そこに正座して参列する。普段から正座に慣れているような人は数

少なく、たいていは長時間の正座に足を痺れさせてしまう。そしてお焼香のために立

ち上がったときに痺れた足がよろめいて倒れてしまうという笑い話はよくある話だ。

さらに言えば、こんなときに限って咳やくしゃみが出そうになるものだ。おなかが緩

かったりすると、屁が出そうになることもある。みんな静まり返って坊主のお経を聞

いているときに、妙な音なんぞ体内から出た日には、恥ずかしさはとどまることをし

らないだろう。

 宗助も、そろそろじっとしているのが辛くなってきた。もっとも宗助は正座をして

いるのではなく、足を伸ばして楽な姿勢をしているのだが、それでもじーっとしてい

るのは辛い。なんとなく鼻のあたりもむずむずしてきて、くしゃみが出そうでもある。

ガマンすればするほど、じっとしていられなくなるし、くしゃみも出そうになる。く

しゃみの勢いでおならまで出るかもしれないという按配だ。困った。どうしようか。

今、ヘンな音でも出そうものなら、参列者一同、ひっくり返ってしまうだろうなぁ。

早く終わらないかなぁ、オレの葬式。

 宗助は町の山岳同好会に入っていて、それほど高くはない近隣の山を上っている最

中に足を滑らせて落ちた。打ち所が悪かったのか、そのまま意識不明になって病院に

担ぎ込まれたが、間もなく息がなくなったのだ。まだ三十歳半ばの若さだった。家族

はもとより、同好会仲間も友人もみんな嘆きながら2日後に葬儀を執り行ったのだが、

そこで奇跡が起きた。宗助は葬儀が始まった直後、息を吹き返したのだ。そんなバカ

な、ありえないと人はいうだろうが、実際に死後2日後に生き返ったのだから仕方が

ない。すでに棺桶に収められ、最初はどうなっているのかと宗助は思ったが、じーっ

と様子を伺っているうちに、どうやら自分の葬式が執り行われている最中なのだと悟

った。普通ならそこで、ガバッっと棺おけの蓋を突っぱねて飛び起きるものなのだろ

うが、元来辛抱強くまた気の小さい宗助だったので、ここで出て行くわけにはいかな

い。そんなことをすればみんなを驚かせるし、何より、自分のことを心配して駆けつ

けてくれた人々に申し訳ない、そう思ってじーっと棺おけの中で横たわったままガマ

ンしていたのだ。なんとも間の抜けた行動だとは思うが。

 やがて坊主の読経も終わり、人々の焼香も一通り終った。いよいよ葬儀も終盤にな

って、最後のお別れ、そして斎場へ向かうわけだが、ここで宗助は困った。いったい

どのタイミングで生きていることを示せばいいのか。斎場へ行ってしまうと、焼かれ

てしまう。生きたまま焼かれるなんて!今まで平常心を保っていた宗助だったが、急

に怖くなった。そうだ、最後のお別れの時に、棺桶の蓋が開かれる。そのときに息を

吹き返したということにしよう。そうだ、それがいい。そうすれば、みんなショック

が少なくむしろ感動的に生き返った俺を迎えてくれることだろう。

 葬儀屋のアナウンスが言った。

「それでは、棺桶の蓋に釘打ちの儀式で最後のお別れに替えさせて頂きます。」

なんということだ。普通、最後のお別れって棺桶の中に花をほうり込む儀式のはずな

のに、この葬儀屋は釘打ちをその儀式にかえるなんて!棺が中央に運ばれ、静まり返

った会場に釘打ちの音が響きわたった。

                      了


タグ:葬式 読経 参列
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感想 1

Coo

理屈っぽい無理矢理な話ではなく、もっと身近なことを書きたいと思ったら、なぜだかお葬式というモチーフが出て来てしまって、結果、こんな無理矢理なお話になってしまった。
by Coo (2011-04-17 23:12) 

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