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第七十九話 願えば、叶う。 [妖精譚]

 世の中の成功者が語る処世術で、「願えば叶う」という文言がよく使われる。実際、

書店に並ぶ成功を導くハウトゥ本を見てご覧、そのようなことが必ず書かれている。

澤田晃もこの言葉を座右の銘にしている一人だ。最も澤田はもともと恵まれた環境に

生まれついているのだが。澤田は、地方の名士の家に生まれ、つまり生まれたときに

は既に財源豊かで、貧乏をしたことがない。そのためなのか、あるいは両親から受け

継いだ遺伝子のなせる業なのかは不明だが、五十五歳になる今日まで、挫折というも

のを経験したことがない。いや正確に言えば、本人は挫折だと考える過去はいくつか

あるが、そんなもの、世間の本当に辛い思いをしてきた者にいわせれば、何を甘いこ

とを言ってるんだ、というレベルの贅沢な経験に過ぎない。

 幼稚園から小中学校、高校、大学まで、名士の家柄が通うエスカレーター式の私学

に通ったから、受験の苦しみを知らない。その学校の中でも比較的真面目に勉強して

きたから、まずまずの成績で大学卒業までを過ごした。就職活動も行い、澤田の時代

は就職も売り手市場だったから、そこそこの商社に入社した。もっとも、仮に就職で

きなかったとしても、親の会社に入ることは簡単にできたのだが、できれば都会で生

活したいと考えて就職先を探したのだ。学生時代に望んだものは、たとえばバンドを

組んで音楽をやりたいだとか、バイクの免許を撮りたいだとか、彼女が欲しいだとか、

本当にささやかなものだったから、やすやすと実現できた。もちろん、親の金がモノ

をいうことがほとんどだったが、本人は自分の力で勝ち取ってきたと信じている。そ

ういう意味では、都会で就職したいという願いは、初めての大きな望みだったといえ

るし、ここでは本当に自分の力で実現したと誉めてやるべきだろう。

 順風万帆な人生を歩んできた、挫折を知らない若者は、社会に出ると意外に強い。

運悪く本当の挫折に出会って潰されてしまうケースもあろうけれど、挫折を知らない

人間は楽天家であり、常に「何とかなる」と信じているし、これまでの人生を振り返

って「これまで望んだものはすべて叶ってきた」と信じている。

 澤田はまったくその典型的な人物で、会社に入ってからもバリバリと働き、どんど

んと願ったポストを人より早く手にしてきた。真面目に働くから、上層部にも認めら

れ、社長や会長の評価もよく、自宅に招待されもした。そうすると、自然と社長の娘

たちとも知り合い、やがては結婚にまでこぎつけた。よくある戦略結婚とは違うと本

人は考えているが、実際のところ、トップの身内になることによって社内での待遇も

さらによくなったのは事実である。運の悪い人生をつかまされ続けた者から見れば、

羨ましくも妬ましい、本当に嫌なタイプの人物だともいえるかも知れない。

 五十五歳になった今、澤田は商社の取締役にまで上り詰めていた。企業のトップを

約束され、上流階級の妻と2人の子供たちに恵まれ、大きな邸宅と外車、財産を手に

できたのは、すべて澤田自身がそれを願い、叶うことを信じてつき進んできたからだ

と澤田は考えている。だが、すべての願いが満たされた今、澤田は何を間違ったか、

自分の人生に疑問を抱き始めるようになった。何一つない幸せな生活なのに何故?人

はそう思うだろうが、幸せすぎるからこそ、満たされ尽くしているからこそ、ほかに

何か望むべきものはなかったのだろうか?などと一層贅沢な妄想を描いてしまうのだ。

 澤田は思う。望むべきことは何もない。ないはずだ。なのに、この胸に湧いてくる

ものは何だ?何もかも投げうってでも、今とは全く違う自分になってみたい。違う人

生を経験してみたい。そんな思いが頭の中を渦巻く。そもそも思い込みが強く、願っ

たことをすべて実現してきた澤田は、一旦思い込んだら、その考えから離れることが

できない性格だ。商社の役員という退屈な人生。お嬢様の生活しか知らない妻や子供。

周りを見ると、もっと波乱万丈な人生を送ってきた音楽家や研究者、世界中を駆け巡

る冒険家やアーティスト。自分にはできなかった人生が五万とある。今の自分には何

一つ不自由ない暮らしだが、夢はなんだったろう?商社で出世することか?

 日々想いは募る。今の生活から脱出してみたいという想いは強まるばかり。これま

で澤田の願いは必ず叶ってきた。それが自身の力なのか、親の力なのか、はたまた運

命の力なのかは定かではないが。そして今、人生最後かもしれない願いに取り付かれ

ている。この願いをかなえるためには、会社を辞め、結婚生活を放棄すればよい、た

だそれだけのことなのだが。澤田にはそんな勇気はなかった。

 この贅沢な願いを抱え続けるようになって間もなく。海外で起きた不況の余波が日

本にもやってきて、同時に技術革新による価値観の崩壊が始まり、古い体質から抜け

出せないでいた澤田が努める商社は傾き始めた。時を同じくして、トップが病に倒れ、

世代交代の波に乗り損ねた澤田は、役員会議から弾き出されるようにして失脚。つい

に会社は吸収合併、過去の役員の責任が問われるという事態にまで発展した。

 澤田の最後の願いは今、叶おうとしている。

                    了


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