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第六十五話 家族。 [妖精譚]

 ひとりの人間の中に何人かの人格が現れる、多重人格という不思議なお話を聞いたこ

とがある。聞いたことがあるというよりは、そのような人物が登場するサスペンス映画

や小説を見かける、といった方が正しいのかな。富美子はこういう不思議なお話にとて

も興味を引かれるのだ。自分の周りにはこんな話は見たことも聞いたこともないので、

作り話なのかなと思っていたが、最近読んだ脳科学者のエッセイを読むと、本当にあり

そうな気がしてきた。脳科学者は、多重人格のことを書いてた訳ではなくって、人間の

脳は複雑で、たとえば右脳と左脳を結ぶ”脳梁”というものが切断されてしまうと、右脳

と左脳は、別々の意識を持つようになる、というようなことを書いていた。さらに、こ

の意識というものは、脳のいろいろな部位で思考されているので、いわば頭の中に複数

の自分がいるという考え方もできるとまで言っているのだ。これを読んだ富美子は、即

座に多重人格を連想した。

 なぜ自分がこんなことに深く興味をもっているのかはわからないけど、高校生の富美

子は、将来は脳科学者か精神科医になりたいなと思う。でも、どっちも難しそう。どち

らかといえば文系よりの成績の富美子には高いハードルだ。

 こういう不思議なことに興味をもっている富美子に、兄の孝太郎はやや馬鹿にした口

調で言う。バッカ。あれは小説や映画の中での話さ。そんな人間が本当にいたらややこ

しくって仕方ないだろう?フーミは小説の読み過ぎだよ。そんなことより目の前のこと

をちゃんとやっとかないと、試験に落っこちちゃうぞ。こんな風にいう兄はまだましな

方で、父親の隆介はもっとひどい。そんなたわけたことばかり言っとるから、いつまで

も成績が悪いんだ。ああいうのはな、漫画だ、マンガ。お前が大好きな漫画も息抜きに

はええが、読みすぎるとお前みたいな妄想馬鹿になってしまう。いい加減にしとけ。最

近はちっとは勉強しとるのかと思ったら、そういうことか、情けない。本当にワシはも

う知らんぞ!ほんとうに!…お父さんったら馬鹿バカって、そんなに怒鳴るようなこと

じゃないわ!…ワシがいつ怒鳴った!だいたいお前はそうやって親の言うことをちゃん

と機構としないから…

 こんなときにいつも助け舟を出してくれるのは母の満子だ。まあまあお父さん。富美

子も別にそんなことばかり考えてるわけじゃなかろうに。むしろ学者や医者になりたい

って言ってるんだから偉いじゃないですか。そんなお父さんみたいに頭ごなしに言わな

くても…。富美子もね、お父さんに口答えするものじゃないのよ。さ、そんなことより

ご飯にしましょ!今日はみんなが大好きなカレーだからね!母は、みんながカレー好き

だからと言ってよくカレーを作るが、本当は料理のレパートリーが少ないからなんだ。

母の得意料理はカレーと肉じゃがと、あとは煮魚くらい。おばあちゃんはお料理が上手

だったらしく、手が出せなかったっていうか、手を出さなかったんだって。だって自分

が作る下手なものより、おいしいご飯が食べたいもの。だからその腕前を受け継がない

まま、おばあちゃんが作ったお料理を食べ続けてたんだって。

 我が家の夕食はだいたいこんな感じ。兄は優秀だったから、出来の悪さが目立ちゃっ

う私が標的になってひとモメ。その後は、誰ひとり文句の一つも言わずにカレーか肉じ

ゃがか煮魚を取り囲む。結局は仲のいい家族なんだよね。最近ではこんなに仲のいい家

族も少ないんじゃないかなぁなんて。うふふ、私は幸せなのかもね。


 今年53歳になった隆介はニマニマ笑いながらカレーライスをひとりでほおばっている。

かつては厳格な両親と一戸建てに住んでいたが、十数年前にふた親ともなくしてからは

今の4畳半一間のアパートに移った。その部屋は男の一人暮らしにしては華やかな感じで、

まるで妻や娘や若い青年が一緒にすんでいるような佇まいだ。娘が着そうな衣類がハンガ

ーに掛かっていたりするからそう感じるのか。自衛隊員だったが、海外での紛争援助に借

り出されたときに事故に合って頭を強打してから少し体調が悪くなった。帰国後もしばら

くは自衛隊員として働いていたが、紛争の凄惨さと事故の後遺症を理由に早期退職して、

今は退職金で細々と暮らしている。一見穏やかそうな男だが、ひとりでぶつぶつ言いなが

ら泣いたり怒ったりするその姿を他人が見たら、相当気持ち悪いことだろう。その姿はま

るで一人芝居をしているようなのだから。

                      了


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