第八百二十五話 ベランダの宇宙人 [文学譚]
このところようやく暖かくなってきたし、天気もいいからと、ベランダの窓を開けたのは先週の日曜日のことだった。見ると想像通りすっかり汚れていて、わけのわからないゴミや埃が室外機の上に積もって、排水口もほとんど見えなくなっていた。
私は前回もそうしたように、作業着に着替え、箒やちりとり、ゴミ袋、水バケツ、雑巾など一式を抱えてベランダに降り立ち、まずは箒で大きなゴミを集めだした。
「ふぇー汚いなぁ」
掃除が苦手な私はゾッとしながらはじめたが、いったんはじめると集中するのが私の癖だ。ところが箒を使ってまもなく、室外機の奥の隅っこに箒の先を伸ばしたとき、なんだかぞっとしない感触が箒の柄から伝わってきた。
ぐにゅ。
かさかさっというゴミとは明らかに違う。
ぐにゅにゅ。
しかも少し動いた。なんだこれは? 思わずぎゃぁ!と大声を上げてしまった。なんなのだ、これは? 近づいてよく見ると、薄汚れたゴミの中に、なにか生き物が潜んでいる。ゴミとほとんど変わらないような色彩のそれは、眼を見開いて、うみゅ! と言ったような気がした。
「宇宙人だ」
私はとっさにそう思った。聞いたことがある。ベランダに出現する宇宙人の話を。
「ちょっとぉ!」
私は部屋の中に声をかけて、家人に手袋と小さな箱を用意してもらった。
隅にいたそれを持ち上げてみると、二体いた。雄と雌だろうか。とにかく、宇宙人の赤ん坊だ。人間とは似ても似つかない姿。しかし、赤ん坊だけあって、恐ろ しくはなくむしろ愛くるしい。黒目がちな真ん丸な目で私を見上げている。宇宙人の赤ん坊を箱に入れて、逃げないように蓋をした。一通り掃除を済ませてか ら、どうするか考えようと思ったのだ。
箱に入れられたそれは静かにしていた。頭、身体、両手、両足、身体を構成するものは人類と同じだが、その配置された場所や形が微妙に違う。小さな頭に丸い 目がふたつ、鼻は見えにくく、口はとんがっている。両手は羽のようなもので覆われ、反対に足はむき出しだ。よく見るとちょうど鳥類に似ているように思え た。
どうしたものかと家人と話し合いながらネットで検索してみると、意外とヒットする記事がいくつかあった。「ベランダの宇宙人」「宇宙人駆除の方法」「宇宙 人の赤ん坊で困った」などなど。宇宙人といえども生き物だ。駆除だなんて、殺してしまうのはどうかと思う。いろいろ調べて考えた挙句、元の場所に戻すこと にした。まさか私たちがこの宇宙人を育てるわけにもいかないからだ。
箱の中でふたつの目が訴えかけてくる。
返して。ママのところに返して。
赤ん坊だからまだ言葉が喋れないのだ。もっとも仮に喋れたとしても、私たちに宇宙人の言葉はわからなかっただろうが。目で訴えていると思ったのは、もしか したらテレパシーだったのかもしれない。とにかく私たちは理解した。この子たちは、ベランダの元の場所にいるべきだと。おそらくあの場所なら親たちのいる 宇宙船からの信号を傍受できるのだろう。どういう信号波なのかはわからないが、携帯電話だって場所によっては入らなかったりするくらいだから、もしも場所 を移してしまって交信ができなくて、親から見放されたりなどしたら、私たちはこの赤ん坊の責任を取らなければならない。
箱の中にタオルを詰めて、暖かくしてから、二体の宇宙人をそっと元の場所に置いた。果たして人間に見つかった後も、親たちは交信してくるのだろうか。もし かしたら危険を感じて放置してしまうかもしれない。そういう不安はあったが、いまさらどうすることもできない。とにかくきれいになったベランダに箱ごと宇 宙人の赤ん坊を置いて、ベランダのカーテンを締め切った。私たちに監視されていると、なにか不都合が起きるかもしれないからだ。
最初の二、三日は気になってときどきそぉっと覗いていたが、赤ん坊たちは無事に生きているようだ。箱の周りに宇宙食の残りカスや排泄された粘液状のものが散乱しはじめていたからだ。それはまた掃除すればいいだろう。とにかく、赤ん坊たちを連れ帰ってもらわねば。
一週間が過ぎ、二週間程が過ぎたある夜。北側のベランダに気配を感じて私たちはそっとカーテンの隙間から外を覗いてみた。ぱぁっと明るい光が放たれて目の前が真っ白になったかと思うと、色とり取りの光はぎゅいんと遠ざかって小さくなっていった。宇宙人の親がきたらしい。
翌朝、もう一度ベランダを覗いてみると、何者かがいた痕跡だけを残して、箱の中はきれいさっぱり何もいなくなっていた。もちろん、宇宙人からの恩返しも何もないだろうとわかるほどあっさりした消え方だった。
了
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