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第六百五話 ダーウィン [妖精譚]

 夏のはじめにペットショップに並んでいた小さな熱帯魚に興味を持って飼い

はじめた。それはコップくらいの狭い容器の中で、静かに赤い体躯を浮遊させ

ていて、不思議な美しさだなと思ったのだ。魚はベタという種類で、同じ水槽に

雄同士を入れると闘いはじめるそうだ。だから飼育は一匹でなければならない。

空気ポンプも不要で、わざわざ大きな水槽を用意しなくてもよいという手軽さが

気に入った。

 小さな容器のまま持ち帰ったベタを、家に会った少し大きめのガラス壜に移し

替え、ダーウィンという名前をつけた。神秘な雰囲気に進化していくイメージを

抱いたからだ。ベタは日中ほとんど動くことがなく、静かに水の真ん中を漂って

いる。もう一匹飼って、闘魚と呼ばれる彼らの習性を見物してみたい欲求にか

られたが、どちらかが死んでしまうのは辛いなと思い直してやめた。

 ベタは暑さには強いが、水温が下がるとすぐに死んでしまうらしい。夏の終わ

りになって、そろそろ何かヒーターを手当した方がいいかなと考えはじめたとき、

ダーウィンに異変が起きた。尾びれの一部が溶けはじめていたのだ。なんだこ

れは? と思っていると、二日後には背びれも溶け出した。友人にその話をす

ると、それはきっと尾腐れ病だと教えてくれた。金魚を飼ったことのあるその友

人は、魚の病気について一通りは知っているらしかった。

 尾腐れ病にいいという緑色の薬を購入して帰った日、ダーウィンの様子を見

ると、ますます元気がなさそうで、よくよく観察すると、胸びれも変化しているこ

とに気がついた。胸びれもやはり溶けているのだが、尾びれや背びれと違うの

は、溶けて無くなっていっているのではなく、溶けたひれの骨だけがしっかりと

残され、まるで足か何かのように見えた。私は、壜の中の水を静かに減らし、

壜の真ん中あたりに小さな島を作ってみた。ちょうど亀を飼うときのように。

 翌朝、ダーウィンの様子を見て驚いた。赤い小さな魚は、なんと壜の真ん中

に生まれた小さな島にしがみつくようにして頭を半分水上に出しているのだ。

何だこれは? オタマジャクシが蛙になるように、魚から蜥蜴へと進化してい

く生物の進化図を見ているようだ。

 陸に上がれるようになったダーウィンは俄かに元気になって、壜を覗きこむ

私の顔を見返している。これは、進化なのか? もしかして突然変異というも

のなのか? 私はドキドキしながらインターネットで進化や突然変異について

検索してみた。

 進化というものは通常、環境変化に併せて、何世代もかけて少しずつ遺伝子

情報を変化させていくものだが、突然変異は個体レベルで起きるようだ。また、

突然変異はDNAの変化によって起きるものだが、近年、DNAの変化はウイル

スによって引き起こされる可能性が提唱されているという。

 キリンの首は何故長いのか。これはダーウィンの進化論を悩ませてきたテー

マだという。何故なら、首が短いキリンの化石は残されているが、首が長いキリ

ンと首の短いキリンの中間的なキリンが存在しないからだ。ダーウィン的進化

論であれば、キリンの首は長い世代を経て徐々に伸びていくはずだから、この

中間的キリンがいるはずだということになるのだそうだ。そこで、ウイルスによる

突然変異説ならば、この謎にも答えることができるのだという。

 うちのダーウィンも、何らかのウイルスが彼の遺伝子に入り込んで、このような

変化をもたらしたのだろうか。今やダーウィンは、尾びれも背びれも消えてなくなり、

まるでしっぽのない蜥蜴のような姿で前足後ろ足と化したひれで、小島の上を歩き、

次には水中を泳ぐ、見たことのない生物になっていた。ときどき、私の方を見ては

何かを言いたそうにしている。私が彼の頭を撫でてやると、子犬のように嬉しそう

にするので、思わず手の上に乗せてダーウィンと名前を呼んでみる。何故こうなっ

たのか、何故ウイルスが発生したのか、そんなことはわからない。わからないが、

起きていることは事実だ。

 カウンターテーブルの片隅に、水槽だけではなくダーウィンが自由に出入りでき

る小さな小屋を作ってやった頃、私は顎の左右に痒みを感じはじめた。なんだろう

と思っているうちに瘡蓋ができ、洗面所の鏡を覗き込んで調べてみると、ちょうど

私の顎のエラのあたりに、本当の鰓ができていることがわかった。驚きはしなかっ

た。ダーウィンの姿を考えると、驚くべきことはなにもない。おそらく、ダーウィンの

ウイルスが、私の遺伝子にも影響したのだろう。

 私は今、日々変化しているように思う。まだまだ見た目に何が起きているのかは

出現していないが、鰓だけではとどまらないと思う。身体のあちこちが痒く感じるか

らだ。今、世界レベルで起きている異常気象や環境変化に対応するために、新しく

生まれたウイルスが、人類を新たな環境に適応できるように進化させようとしてい

るのかもしれない。

                               了


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