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第五百五十一話 愚かもの [文学譚]

 まだ明け切らぬ早朝、学校の校庭で一発の小さな花火が上げられ、本日の決

行を知らせる。やがてリュックを背負った子供たちがぞろぞろと校庭に集まり、

時間になるまで自分のクラスの列に並んで前後ろの級友たちと喋ったり笑ったり

中には興奮し過ぎて暴れ始める子供もいた。みんなにこやかな表情でバスに乗り

込む時間を待っているのだが、その中に一人にこりともせずにむっつりと過ごす

子供がいた。

 何がいったい楽しいのやら。たかが遠足じゃないの。ただ行ってうろついて、

弁当を食べて帰ってくるだけ。学校の催しだからぼくは行くけれど、みんなだっ

てそうでしょう? 何がおもしろくてそんなに楽しそうな顔をしていられるの。

教師がまじめくさった顔で団体行動の心構えを話し、子供たちは上の空で教師の

話を聞く。点呼が行われて人数確認されてからいよいよバスに乗り込んで、目的

地に向かって走り出す。そのバスの中もまた騒がしく、それぞれのリュックの中

に入れられたお菓子や弁当の匂いとともに愚かな子供たちの声で充満する。遠足

に限ったことではない。運動会にしろ学芸会にしろ、いや待って、毎値にの 授業

が始まるまえだってそう。夕べみたテレビ番組のことや、学校の噂話、教師たちの

癖や、親子げんかしたこと、今度遊びに行きたい遊園地の話。どうしてみんな、そ

んなつまらないことを喋り、笑い、はしゃげるのだろう。馬鹿みたいに。

 浩一は昔からこういう冷めた感情を持つ人間だった。まだ心のさだまっていない

子供時分からこういうことだったのだから、大人になってからも同様だ。遠足や修

学旅行こそないにしても、たわいもない噂話や雑談に喜ぶ職場の同僚の姿は、いか

にも愚かしく見えてしまうのだ。ねえ、昨日の連続ドラマ見た?あれ、いますっご

い人気らしいわよ。ねえねえ、課長ってさ、不倫してるって噂だけど、知ってる?

ところでさ、ほら見てその人。またデスクで居眠りしてる。毎晩家でなにしてるの

かねぇ? あ、今度できたショッピングセンター、もう行った? 行ってみたいの

よねぇ。バスを待つ間に繰り広げられる小学生の会話と何も変わらない。生まれて

から死ぬまで、結局人はこんなつまらないことにまみれて生きていくしかないのだ

ろうか。浩一は定年間近な歳まで生きてなお、あの遠足の朝に感じていたのと同じ

ように周囲の人間が皆愚かな存在に見えて仕方がない。

 職場での浩一のデスクは、広いオフィスの隅に置かれている。ここは定年間近な

者ばかりが寄せられている雑用部署だ。さほど仕事があるわけでもなく、日長一日

惚けたような任務を請け負う。社内の設備に関することや、環境衛生の管理、古い

伝票やデータの整理。どれもこれも重要とは思えない事柄ばかり。こんな仕事は誰

にだってできる。別に俺である必要もないがなぁ。浩一は昨日回ってきた書類に目

を通してから押印して、いつものボックスに放り込む。ボックスは二つあって、そ

れぞれにネームがつけられている。ひとつには”重要事項”、もうひとつには”どうで

もいい事項”。浩一が書類を入れたのは、もちろん後者だ。後者のボックスはすでに

書類で満杯だ。浩一にとって、社内に重要なことなどひとつもないのだった。

                         了



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