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第百十八話 松崎町四丁目二番地。 [文学譚]

 新婚時分、私の両親は、父親が勤める会社の2階に住んでいた。そこで兄は育ち、

私もそこで生まれた。新しもの好きだった父は、いち早くテレビジョンを購入し、当

初は近所の人たちが物珍しがって毎晩見にやって来たそうだ。町のど真ん中で、すご

く便利な場所だったというが、私が生まれて間もなく、他の営業所転勤を命じられて

居を移したのだそうだ。

 そんなわけで、私自身は自分が生まれた家を知らない。成長した後も生まれた町の

名前は聞かされていたが、どこのどんな家だったのか、ついぞ聞かないまま両親は相

次いで亡くなってしまった。

 昔、「ROOTS」という、自分の先祖を探っていくという映画があったが、人はどこ

かのタイミングで自分の出生を知りたくなるらしい。

 私も、両親や祖父母のことはよく分かっていたが、生まれた家の事にまではさほど

興味もなかったのに、四十歳を過ぎる頃、生まれた町の近隣に住むようになったこと

をきっかけに、生家を見たくなってきていた。しかし既に両親は亡くなっているし、

兄だって幼少の頃のことだから場所まで知っているわけはない。天国の父母に聞く訳

にもいかず、どうしたものかと考えているうちに忘れ去っていた。それから十年あま

り過ぎてから、ふと気がついた。そうだ、母子手帳!母の遺品にあった母子手帳を探

し出すと、思った通り私が生まれた家の住所が記載されていた。

 松崎町四丁目二番地。 その住所を頼りに、携帯電話のナビ機能を見ながら探す。父

母が住んでいた頃とは、町の様子も随分変わっているのだろう。もし、ここに父母が

一緒にいたならば、「ああ、懐かしい!」「あらぁ、こんなに変わってしまって!」

そんな言葉を連発していたことだろう。

 昔はなかったであろう高速道路の高架。大きな通り。新しく建てられた住宅街。立

派なマンション。そんな風景の一画に、古びた煉瓦タイルの建物があった。その建物

は二階建てで、父母が住んでいたかもしれない様子をかもし出していたが、建物の古

さを考えると、その当時のものなのか、あるいはその後新たに立て替えられたものな

のかは、微妙な感じだった。

 1階は洋食屋になっており、デミグラスソースらしきいい香りを漂わせている。そ

の店に入ってみてもよかったのだが、なんだか気後れがして、遠巻きに建物を眺めて

いた。 すると、一瞬眩暈のような感覚に襲われてよろめいた。「あれ?地震かな?」

と思ったが、それはすぐに収まった。

  何だったのかな、と思いながら再びあの建物に目をやると、なんだか少し様子が

違う。煉瓦タイルがまだ新しいのだ。1階の洋食屋もなくなってどこかの会社の事

務所になっている。どうしたことかと回りに目をやると、高速道路も、マンション

も、何もかもがなくなっている。これは・・・?!

 建物の2階から降りてくる階段のところに人影が現れた。赤ん坊を背負い、小さな

子供の手を引いた若い女性だった。レトロなしかしお洒落なワンピースにオンブ紐で

赤ん坊を背中にくくりつけている。赤ん坊の顔は見えないが、女の人の顔には見覚え

があった。母だ。

 母は路面につながる階段を下りると、表に回って事務所のドアを開けて中を覗いた。

すると若い父親らしき男性が出てきた。あれは、父だ。

 父も母もいつか見たアルバムの中でカメラに向かって笑いかけていた人そのものだ

った。懐かしいような、しかし私はあったことのない若き日の父母。天国の父母がこ

れを見たらなんと言ったことだろうか。

 すべてはほんの十数秒間のことで、私は呆然と眺めていたのだが、「そんなバカな!

こんなことあるはずがない。」そう思った瞬間、再び眩暈に襲われてよろめいた。慌

ててあの建物に目をやると、既にそれは最初に見た通りの古い建物に戻っていた。

 幻だったのだろうか?それとも私が両親のアルバム写真を見た記憶から生み出した

妄想だったのだろうか?今となっては確かめようもないが、間違いなく、あの建物で

私は生まれたのだと確信した。

 あれからさらに十年ほどが過ぎたが、あれ以来あの場所は訪れていない。あの一瞬

の出来事を、大切な記憶として胸に留めておきたかったからだ。もう一度あの建物を

訪れてしまうと、あのとき私の目に映った光景が薄れてしまうような気がしたからだ。

 200701上海 109.jpg            了


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感想 4

(。・_・。)2k

良いですね
率直に そう感じました
人の記憶ってそんな風に思い出すこともあると
僕は思っていて 凄くリアルに感じました(^^)
by (。・_・。)2k (2011-05-23 16:13) 

momokumi

(。・_・。)2kさま、ありがとうございます。
褒められると嬉しい。。。
私も、今回のはよく書けたと思ってるのです〜。

by momokumi (2011-05-23 17:14) 

苦楽賢人

記憶なのか、幻想なのか、・・・どちらにしても、精神世界の産物ですね。
とても良い話ですね。

誰もが一度は体験してみたいと思うのではないでしょうか?
by 苦楽賢人 (2011-05-23 21:39) 

momokumi

苦楽賢人さま、コメントありがとうございます。
実際に自分のルーツを探しに行った経験をもとに書いてみました。
褒めていただくと励みになります。
by momokumi (2011-05-24 05:45) 

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