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第九十七話 どうぞどうぞ。 [日常譚]

 柿木鈴子は私鉄で通勤している。乗車時間は概ね三十分。それほど人口過密地域

ではないのだが、それでも朝夕の通勤時間帯は結構混雑して、滅多に座席に座れる

ことはない。まだ三十半ばとはいえ、朝は座って少しは眠りたいし、帰りだって疲

れて座りたいこともある。だが、よほどタイミングのいいときでないと座席を確保

することなんてできないのだ。帰りは始発駅なので、次の電車に並んで乗れば、た

いてい座ることができる。だが、この沿線は、老齢者も多く、座ったら座ったで、

席の前に年寄りがいたりすると、結局座席を譲るはめになる。鈴子は真面目な性質

なので、自分より年上の人間には席を譲らなければならないと思う。だけど、疲れ

ているときなどは、できればスルーしたいとも思うのだった。あるとき、始発電車

に並んで首尾よく席を確保したと思ったら、運悪く老婦人が自分の前に立ってしま

った。疲れているのになーと内心思いながらも声をかけた。

「あのー、よろしければ、どうぞ。」

「え?何?ワタシ?失礼ね、私はまだ若いのよ!」

なんだか叱られてしまった。老婦人に見えたが、よく見ると、鈴子より少し」上く

らいの女性だったようだ。何しろ、着ている服が地味で時代遅れで、如何にも人生

に疲れ果てているように見えたのだもの。こんなこともあるから、席を譲るのって

なんだか緊張する。タイミングが難しい。声をかけようかどうしようかと迷ってい

るうちに、賢そうな女子学生に先を越されたり、時には老人から「席を譲りなさい」

なんて指名を受けることもあるのだ。だから、混雑しそうなときには、周囲に老人

がいるときには座らない方が賢明だ。

反対にこんなこともあった。

「どうぞ、おかけください。たいへんでしょ?」

「え?あ、はぁ。ありがとうございます。」

私は半信半疑で席を譲ってもらったが、譲ってくれた女性は、鈴子とそれほど変わ

らない年恰好なのだ。なんで?よくよく考えれば、失礼しちゃうお話しなんだが、

そのころの鈴子はいささか太り気味で、とりわけお腹のあたりが大きかった。その

上、その日はマタニティーに見えなくもないようなざっくりしたワンピースだった

ので、どうやら妊婦と間違われたみたい。あつかましく生きるつもりなら、これ幸

いとそれからも妊婦の振りをして席を確保して通勤することも可能だったろうが、

さすがにそれはやめておいた。

鈴子が住む町は、比較的高級住宅街で、子供たちもいい私立学校に通っていたりし

て躾が行き届いている。とてもいい子達が多い。普通は子供は電車に乗るとぎゃあ

ぎゃあ騒いでやかましいのだが、その子たちはきちんと静かに乗車する。行き交う

 人々には「おはようございます」なんて知らない人にでもちゃんと挨拶するような

 子供たちだ。その子たちが通う私立小学校が沿線にあって、鈴子が早めの電車に乗

 るときには一緒になる。その朝も、眠い眼をこすりながら、昨日の疲れが取れてい

 ないなぁなんて思いながらいつもよりひとつ早い電車に乗り込んだ。その時間帯は

 結構込んでいて、当然座れたりはしない。しかし、しばらくするとずーっと前の駅

 から座っていた小学生たち三人がお互いにごにょごにょ話していると思ったら急に

 立ち上がって言った。

 「おждさん、どうぞ、座ってください。」

「え?あ。ありがとう。」

 そもそも子供は元気なんだから座るな!と思っている鈴子だったから、素直に子供

 たちの好意を受け止めたが、その“おждさん”というのがなんて言ったのか気に

 なったが、まぁいいか。それにしても、また妊婦と思われるには今の鈴子は痩せて

 いるし、ワンピースでもない。いったいどういうわけで譲ってくれたのだろう?小

 学生くらいから見れば、三十代のおばさんでも、相当な年寄りに見えるのかもしれ

 ないな。それとも、疲れ果てた自分はおばあさんに見えたのだろうか? 

                         了


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