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第八十八話 忘却の向こう側。 [空想譚]

 近頃、物忘れが多くって困る。さっきも、お散歩に出る時にポケットに入れたはず

の鍵がない。マンションのエントランス前で、おかしいなぁおかしいなぁ確かに持っ

て出たはずなのに、と体中のポケットを探したがない。あきらめて呼び鈴を鳴らして

室内にいる彼に開けてもらった。部屋に入ってからポシェットをぶちまけると、鍵は

そこに入っていた。先日も、コンタクトを外しに洗面所に行ったのだが、洗面所に立

ったときに、何をしにここに来たのかわからなくなってしまっていた。そこでいった

んリビングに戻ってよく考えてようやくコンタクトだって思い出したんだ。

 「危険、危険。」

俊子はそうつぶやく。年のせいかな?なんておもうけど、実はこんな物忘れは若いう

ちからあったと思う。だいたい記憶力が悪いのだ。英単語や化学記号の覚えも悪かっ

たし、日々の予定もちゃんと手帳に書いておかないと忘れてしまう。まぁ、それは誰

しもそうだとは思うけど。

「近頃さぁ、物忘れがひどくってちょっと心配してるんだけど。」

「ははは、そんなの俺だってよくあるさ。でも、できるだけ思い出す努力をしなきゃ

ね、脳が衰えて来てるんだったら、毎回鍛えないと。頭の体操でもする?」

平祐はおもしろがってそう言う。確かにそうね、鍛えなきゃ、と俊子もそう思いなが

ら、夕食の下ごしらえをし終わった。今日は水餃子を買って来たので、ほうれん草を

中華味で炒めたものとサラダの付け合わせくらいでいいから楽だわ。ご飯の炊きあが

りに合わせて、水餃子をスープに放り込み、フライパンに火をつけた。

 「おお、いいニオイ。にんにく炒めだね!」

とっくにテーブルについてビールを傾けながらサラダをぱくついている平祐の前に並

べたお皿に炒め物を盛り、お鍋を真ん中に置いてから俊子も椅子に座った。

「ねぇ、平祐、今日はご飯食べたら早めにお家に帰るわね。」

「ん?お家ってどこの?何言ってるの?」

「何って私のお家よぅ。しばらく帰ってないからちょっと気になることがあって。」

「おいおい、冗談は止めてよ。ここが僕らの家じゃない。」

「平祐こそ、冗談…。私には実家があるのよ。」

「本当に怒るよ、もう君の実家はないじゃないか。」

「嫌だ、平祐ったら。冗談もほどほどにして。母が待ってるわ。」

「気持ち悪いこというなよ、お義母さんは二年前に亡くなったじゃないか。」

「ええっ!何言ってるの?あたし、あたし…。」

 確かに。俊子はおぼろげに思い出した。そうだった。母は二年前にこの世を去った。

葬儀の後、実家は処分してしまったのだった。私どうしちゃったのかしら?本当に頭

がへんになっちゃったの?いろんなことが思い出されて、急に涙がこぼれてきて洗面

所に駆けていった。

「おいおい、大丈夫か?」

心配した平祐が来てくれた。鏡を覗き込んだ俊子はあっと驚く。何これ?あたしの顔

…目の周りのファンデーションがはげ落ちて、その下から青白い皮膚が見えている。

なんて顔色が悪いのかしら…それだけじゃない。涙が青い。どういうこと?何か悪い

病気にでもなってるの、私?俊子の顔を心配そうに覗き込む平祐の顔も、よく見れば

不健康に青白く、青い血管が浮き出ている。

「平ちゃん、私…どうかしちゃったのかなぁ?」

「うーん、国とは環境が違うから、気圧や酸素濃度の違いから、そういう記憶障害に

なるって話は聞いている。でも、いままでそんなことはなかったのになぁ。やっぱ、

年かもしれないね。」

 俊子は徐々に思い出している。遠い故郷からやって来たことを。遥か彼方に輝くア

ンドロメダ第47惑星の、本当の家のことを。

                    了


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