第七十五話 芸。 [日常譚]
「はい、尚ちゃん、いい顔してぇ〜」
人間でも赤ん坊は、まるでサーカスの動物みたいに”芸”を仕込まれる。笑うこととか、
いい顔すること、立って歩くこととか。もし、その頃を記憶している人がいたとした
ら、大人はなんて馬鹿なことをさせるんだろうと思ったことだろう。実際には覚えて
なんていないのは、赤ん坊というのはおそらくまだ意識が朦朧としていて、ぼぉーっ
と生きている生き物だからだと思う。
「はいー、右手、左手。おおーできたできた。かちこいねー。じゃぁ、今度はぁ、
待て!よしよし。次は、たっちできるかなー・・・」
私は、その人が言う通りに動く。右手と言えば右手を出し、左手と言えば左手を差し
出す。だっておいしいものをもらえるんだもの。そのおいしいものを目の前において
”待て”だなんて、残酷なことをされるけど、それも待ちさえすれば、すぐに食べさせ
てもらえる。立てと言われるのも無理があるんだけれども、一瞬ならできる。ああー
その手に持ってるおいしいものを早くくれー!
こういうことをする度に、はて?どこかで経験したような…デジャブ?と思うんだ
けれど、なんせ頭がぼぉーっとしてて、なんだかよく思い出せない。なぜこんなこと
をしているのか、よく考えられない。なぁーんか、大昔、赤ん坊だった頃に同じよう
なことをさせられてたような気もするけれど。ま、いいか。おいしいものを食べさせ
てもらえるのなら。
ウチの愛犬ボスは、時々、人間くさい表情をする。まるで前世では人間だったので
はないか?そう思わずにはいられないこともあるよ。ほらほら、また首を傾げて。何
かを考えているみたい。面白いよね、犬って。
了
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