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第九百五十五話 常識の絆 [可笑譚]

 涼太は自宅に帰ると靴を脱ぐのと同時に上着を脱ぎ、他の衣服も次々と脱ぎ棄ててリビングに向かった。かつては家に帰ってすぐに服を脱いだりなどしなかったのだが、あるときからそういう習慣で暮らすようになった。

 家ごとにあるいは個人個人に習慣というものがあって、そうすることが当たり前だと思っているのだが、その習慣を他人がみれば驚いてしまうという話はままあることだ。たとえば卵焼きはソースをかけて食べるとか、ご飯にマヨネーズをかけるとか、カレーの肉は豚肉に決まっているとか、うなずく人もいれば首を横に振る人もいる。食べ物だけでもたくさんあるが、そのほかどんなことでも、ある人にっての常識は別の人にとっては非常識であったりするものだ。

 地域や家庭や、異なる環境で生まれ育った男女が一緒に暮らしはじめると、こうした習慣や常識の違いが顕わになる。トイレを出たら必ず手を洗う人とそうでもない人、使ったバスタオルは一回で洗濯する人しない人、家の中では裸足がいいかスリッパが必要か、穴のあいた靴下を履き続けるか捨てるか、歯を洗うのは食事前か後かあるいは洗わないか……数え上げたらきりがない。

 新婚夫婦がもめたりするのはこんな違いによることが多い。なんで味噌汁が白みそなんだ? 脱いだ下着は洗濯機に入れてよ。なんで朝飯を米にしないんだ。トイレは扉を閉めてしてください。ペーパーなくなったら補充しといてよ。便座は必ず上げてね……またしてもきりがない。夫婦の間のこうした常識の違いはお互いに歩み寄るほかはないのだが、もしかしてどちらもが頑として譲らなかったりするとたいへんなことになりかねない。

 うちの場合がそうだった。籍を入れた嫁は裸族だった。家の中ではずーっと裸だ。冬でもパンツ一枚はかない。「だってその方が気持ちいいし、健康的なのよ」そうは言うが、そんな習慣のない僕は受け入れられなかった。ほかにもある。家庭内でおはようとかおかえりとかの挨拶をしない。声をかけられても返事をしない。風呂は夜沸かして朝入る。空腹になるまで食事をしない、つまり嫁の腹が減るまで僕も食べられない。トイレで出た成果の報告を必ずする。人前では絶対に放屁をしない、してはいけない。こうしたことはどれもこれも僕には受け入れられないことだった。だからしょっちゅう言い争いになるし、どちらかの機嫌が悪くなる。最初は文句を言ったり、それはおかしいと指摘をしていた僕だったが、そのうち面倒になり言わなくなった。僕が我慢をするようになったのだ。

 だが、長らく身についた常識に反することを我慢し続けているうちに、胃に穴が空きはじめた。痛っ! 痛たた。医者に行くと初期の胃潰瘍だった。ストレス性だろうと言われた。そりゃぁそうさ、この非常識な生活がストレスにならないわけがない。嫁に言おうと思ったが止めた。どうせ言ってもその程度のことで改まるわけがない。なんか別の原因よと言うに決まってる。しかし、このままでは……。

 ある朝僕は気がついた。そうか、いつまでも非常識だと思っている僕がいけない。僕の習慣が常識で、あいつのは非常識だと思っていたが、それは思い込みだ。なんだってどっちが正しいなんてことはないのだ。ただ単に僕のが正しいと思い込んでいただけだ。僕は開眼したのだ。悟りの境地に入ると、後は簡単だった。どんなことでも受け入れられるようになった。いまここで、この家で起きていることをすべて常識として受け入れるといいのだ。

 そう悟って実行しはじめてから、嘘のように胃が治っていった。いらいらしていた頭の中もすっきりした。そんなわけでいまの僕は裸族だ。フルちんだ。挨拶もしないし返事もしない。風呂は夜沸かして朝入る。食事は自分が空腹になってから食べる。うんちの報告は必ずするし屁はしない。ほかにもある。借りた金は返さない。割り勘はしない、相手に払わせる。絶対に謝らない。決して相手に迎合しない。腹が立ったら実力行使をする……(以下省略)。

 あなたが常識と思っていること、それはほんとうに常識なんですか? もしかしたら非常識ですよ。

                                                了


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