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第八百四十八話 買い物嫌い [文学譚]

「マサコさん、今日はお買い物に行くんですよ」

 老人というにはまだ若い五十代の真子を、みんなおばあちゃんでもおばちゃんでもなくマサコさんと呼ぶ。話しかけているのは毎日真子に付き切り世話をしている歳若い葉子さんだ。葉子さんはとても優しく親切な娘で、いつからか忘れてしまったけれども、ほんとうに親身になって真子の世話をしてくれるのだ。ご飯の準備からトイレへの誘導まで、近ごろ富に体力の衰えを感じはじめている真子にとって、実にありがたい存在なのだ。

 微にいり細にいりという言葉がそおまま当てはまる葉子なのだけれども、ときどきうざく思えることがある。たとえばそれがいまだ。散歩に連れ出そうとしたり、買い物に誘ってきたり、何かと外に連れ出そうとするのだ。葉子に言わせると、家の中にこもってばかりだと身体に悪い、たまには外に出かけて陽の光にあたったり、なにかと刺激のある街に出てみたりした方がいいというのだが、真子は家の中が好きなのだ。若い頃からあまり出歩くのは好きではなかった。近所を散歩するくらいならまだいい。遠くまで足を運ぶのが嫌だ。昔は買い物は好きだったけれども、いまは何も欲しいものなどないし、とても買い物をする気分にはなれない。何もかもが面倒くさいのだ。歩くのも、電車に乗るのも、買い物のためにうろうろするのも。それなのに、月に一度くらいは買い物に行こうと葉子が誘ってくる。真子が買うものなんかないと渋ると、じゃぁわたしに付き合ってというのだ。今回も一週間ほど前から、お願いするから付き合ってと言っていたのだ。

「わかったわかった」

 真子はそう言ってようやく重い腰を持ち上げた。お化粧なんて最近はほとんどしない。面倒くさいから。でも葉子に言われるままに日焼け止めクリームを顔に塗って、眉毛と唇だけは軽く描いて出かけることにした。

 都心の繁華街は人でいっぱいだった。何もより好んでこんな人の多い日曜日に買い物になど行かなくてもいいのにと思うが、仕事を持っている葉子さんは日曜日しか自由な時間がないのだ。真子の人ごみ嫌いを知っているから、できる限り裏通りを歩いたのに、それでも要所要所では混雑に出くわす。ようやく目当ての店に入ったふたりは、葉子のペースで色とりどりに陳列されている洋服を見て回った。この店はウニクロと言って若い世帯が顧客の中心だが、流行服が安く手に入るので、老若男女が利用しているそうだ。

 真子は若い頃から衣装持ちで、欲しい服はたいてい既に持っているから、いまさら欲しい服などないのだが、ずらり並んだカラーバリエーションや、気持ちの良さそうな素材感を目にすると、つい手が伸びて触れてみたくなる。葉子は目当てのパンツやシャツがあるようで、次々と手にとって身体に充ててみたり、その姿を鏡に移してみたりして服選びをしている。「これ、似合う?」ときどき真子に尋ねたりもする。

 嬉々として品物を選んでいる葉子を見ていると、まったくその気がなかった真子もなんとなく葉子と同じものの色違いを自分にも充ててみるのだった。

 一時間も店内をうろうろしていると、いつの間にか買い物カゴの中には何点もの品物が放り込まれていて、いくら安いといっても結構な金額になりそうな気配。「もう、ぜんぶ見た?」という葉子の言葉をきっかけに、ふたりしてレジに並ぶ。てきぱきと仕事をこなす店員は真子のカゴから商品を紙袋に移し、購入金額を告げた。

「一万五千円になります」

 お金はある。だって普段何も使うことがないのだもの。蓄えはそれなりにあるし、失業保険というものがいまのところは毎月入ってくるから。しかし、もともと買い物意欲がなかったのに、こうして店に来てみるとなんとなく手が伸びて欲しくなってしまうのが不思議だ。お金を払うとなんだか満たされた気持ちにもなった。

「わぁ、マサコさん、いっぱい買ったね。やっぱり買い物すると楽しいでしょ?」

「うーん、そうねえ。でもまたいらないものばかり買ってしまったような」

「大丈夫よ、ここの品物は普段着るものばかりだから。買っててよかったと思うわよ」

 真子の頭の中では、新しくこんなに買ったものをどこに仕舞えばいいのかなということが心配になりはじめていた。

「また、来月あたりにもお買い物に来ましょうね」

 葉子は屈託なく笑いながらそう言うのだが、真子はもう当分買い物はしなくていいと思っている。人は多いし、疲れるし、お金は使うし、買い物なんて嫌い。真子はそう思いながら手にぶら下げた大きな紙袋の中を覗き込んでいる自分がちょっとウキウキしていることにも気がついていた。

                                   了


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