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第七百六十三話 嘘つき [文学譚]

 ほんとうに嘘付きだわ。由布子は思った。小さな嘘なら眼を瞑ってきたけれども、このところ、嘘はどんどん大きく激しくなっているような気がする。最初の頃はどこかの島に旅行に行った時に見た幽霊の話だとか、ライブハウスで学生時代の後輩に会ったとか、どっちでもいいような話だった。ところが最近では雪山で親友を死なせたとか、不倫相手が実は既に死んでいたとか、終いには人間そっくりのロボットに恋をしただの、ゾンビみたいな人と戦った経験があるだとか、ほとんど妄想みたいな嘘をつくようになった。もしかして、何か悪い病気にでも罹ったのかもしれない。最近よく聞く若年性アルツハイマーみたいな。そうだとしたら、早く病院に連れていかねば。
 そのとき、ドアが開いて夫が帰ってきた。また何か買ってきている。両手にガサガサと音がするスーパーのビニル袋を下げているのだ。
「今日は美味いものを作ってやる」
 機嫌よく話しかけてくる夫に私は愛想笑いで返した。またそうやって何かを誤魔化そうとする。今日は一体、何をしてきたのだろう。繁華街の怪し気な店で遊んできた? それとも私のあずかり知らないどこぞの女といい思いをしてきた? 夫が機嫌よく帰ってきて、私に何か美味いものをという時は、たいてい新しい嘘を私に聞かせようという魂胆のある時なのだ。それがわかっているから私は心から歓迎できないのだ。その新たな嘘に対して、どうしろというのだ。黙って話を聞いて、それからよかったねと言えばいいのか? あるいはさっき気がついた事を口に出せばいいのか? あなた、脳がおかしくなっているのではないかと。だけどたぶん、私はいつものように、黙って頷くしかできないんだろうなぁ。
 夫が作った夕食は、珍しく中華料理だった。鱶鰭スープ、青梗菜炒め、八宝菜、酢豚、天津飯。どれも美味しく、いつの間にこんな技を手に入れたのだろうかと思った。そして食べ終わった頃、案の定、夫は鞄の中から紙束を取り出して言った。
「新作だよ。読んでみて」
 やはり夫の嘘が綴られた分厚いプリントだ。なんでまた自分の嘘をこんな風に文章にして私に読ませるのだろう。思いついた嘘など、紙に書かなくても、たまになら聞いてあげるのに。表紙にはタイトルまで書いてある。
「問題、ありますか?」
 問題ありますか、だって? なんてタイトル。問題大ありだわ。私たちにとって。あなたは現実の問題を素人もしないで、そういう嘘話の中で、虚構の中で問題を探しているの?
「読んだらまた、少しでいいから感想聞かせてくれるかな?」
 夫はニコニコしながら言う。私は夫のにやけた顔を見ながら、どうしてやろうと思うのだが、どうしようもなく、黙って頷く。いったい、いつまでこんなことを続けるのだろうと思いながら。夫は食べ終わった食器を引いていく。それから細長いテーブルをどかす。私はそのまま後ろに倒れて枕に頭を沈める。手には夫に渡された白い紙束。夫は私が横たわるベッドの周囲を整え、静かに布団をかけてくれる。嘘さえつかなければ、とても優しい、いい夫なのに。私は横になったまま表紙をめくって、二枚目を読みはじめる。夫が嘘を書き綴った分厚い紙の最初の頁を。こうしてまた私は夫の嘘に毒されていく。ベッドの中に埋もれたままで。そうして人生が過ぎていくのだ。
                                   了
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