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第七百五十六話 かくことがない [文学譚]

  毎日文章を書いていると、遂にネタ切れ感を感じて筆(実際にはキーボードだが)が止まってしまうことがある。パソコンを開いたままうーんうーんと考えてい ても何も出てこないものだから、席を離れて部屋の中をぶらぶらあるいてみたり、トイレに行ってみたりして、頭の中を切り替える。するとあるとき、ぽっと頭 の中にひらめく瞬間がある。あ、これなら何か書ける! そう思って慌ててパソコンの前に戻るのだが、運悪くそのタイミングで電話がかかってきたり、誰かに 声をかけられたり、意識をそらされる何かが起きたりするものなのだ。だが、素晴らしいひらめきは、何が起きても頭の中に残っているはず、そう信じているの に、改めてキーボードに指を乗せてみると、先ほどひらめいたモノは、きれいさっぱりと消え去ってしまっているのだ。そしてまた、思考は暗闇の中に。
  こんなことを繰り返しているうちに、あることを思い出してしまった。小学一年生だった私の姿だ。小さな机が並ぶ教室の中で、全員が作文用紙を配られて一生 懸命に鉛筆を動かしている。私は真ん中より少し後ろの席で、鉛筆を持ったままじーっと白いままの作文用紙を見つめている。何を書けばいいのか。どう書けば いいのか。そもそも書くことなんかあるのか。たぶんそんなことをぐるぐると思っていたに違いない。先生が近づいてきて何かを言ったかもしれない。私は小学 一年生の授業時間といえば四十分くらいだったと思うが、そのほとんどを紙を見つめたまま過ごし、最後の数分間で、なんとかタイトルと数行の本文を書いたよ うな気がする。そのときのタイトルを鮮明に覚えているが、それは「かくことがない」だった。まだ漢字も知らないので、「書くこと」とは書けなかったはず だ。
  数日後、父兄懇談があったのだか、わざわざ呼び出されたのだか忘れたけれども、先生は私の母親に、その作文の授業のことを話した。そしてその日のうちに母 は私に日記帳となるノートを買い与え、それから毎日日記をつけるようになった。先生の提案で、私の作文能力を高めるために、日記をつけることになったの だ。その日記は毎日先生の手にわたり、先生はそれを添削して帰り際に返してくれる。二年生になっても担任は持ち上がりだったので、日記の添削は続いた。い ま考えると偉い先生だったなぁと思う。ただひとりの生徒のために、二年間も日記添削を続けたのだから。日記の習慣は三年生の担任にも引き継がれ、持ち上が りの四年生まで続いた。さすがに五年生の担任には引き継がれなかったが、それから私は少なくとも高校までは毎日日記を書き続け、大学に入る頃に、徐々に書 く事を忘れていった。その後も思い出したように日記を書き始めたが、大抵は一週間も続かなかった。
  ふっと思い出した日記にまつわる記憶と共に、あの担任の女教師の顔が瞼に浮かぶ。古川先生。まだ元気にされているのだろうか。あの頃、まだ二十代だったろ うか。だとすると、今頃は……。きっとまだご存命のはずだ。急に会いたくなってくる。だがきっと、私は会いにいくほどのパッションを発動させないだろう。 それが私なのだ。
  こんな昔話を思い出しながら、それでもなにもいい文章ネタが思いつかない。千一話物語はまだ四分の一が残されているというのに。もう枯れ果ててしまったの だろうか。こんなとき私はどん底まで落ちぶれたような気持ちになってしまう。人に乗せられやすい性分の私は、同時に自己嫌悪にも陥りやすい。もうだめだ。 もう無理だ。もうやめよう、こんな千一話物語なんて。こんなことも継続出来ないなんて、私は最低の人間だ。生きていく価値なんてないのではないか? いや 価値のない人間だ。もう嫌。もうダメ。首をくくろう……思考だけは極端に走っていく。それは中ば妄想。
  かくことがない? そんな馬鹿な。書くことなんて、いくらでもあるはず。それが分からないというのなら、もうこの世にお別れをしなきゃ。でも……そんな覚 悟があるの? 自分で自分に問いただす。覚悟なんて……なんで急にそんな。覚悟とか……ない……なぁ……。わたしはここで、はっとする。
  あの日の私は、今日のこのことを予測したのだろうか。今日の私があの日の事を思い出すことを知っていたのだろうか。悩みに悩んだ私が死を妄想し、そして死 ぬことに対して「覚悟とかない」ことに思いいたることを。あの日、私は「かくことがない」と書いたと記憶しているが、そんなことで母親が担任から呼び出さ れるだろうか。あの日私は「覚悟とかない」と書いたのではなかったか。そしてその後に死にまつわる数行を書いたから、担任は驚いて母を呼び出したのではな いだろうか。
 母が亡くなってしまったいま、もはやこのことを確認する手立てはない。古川先生を探し出す以外には。
                                   了
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