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第七百話 Xデー [文学譚]

 六十年前の今日、私は赤い服を着て白い髭を蓄えた爺さんから贈り物を受け
取った。誰だか知らない人なのに、どうしてか驚きもせずに笑っていたように思
う。爺さんのことよりも白い大きな袋から取り出された玩具の方に興味が引かれ
ていたからだ。興奮してすぐにその玩具で遊びたがった私を、母親がなだめて
かしつけた。それが最初の記憶となった。父親は、爺さんがいなくなってから
帰ってきた。
 それから毎年、この日が近づくと心がざわざわして、何か良い事が起こる、とい
うよりは欲しい玩具がもらえる日として心待ちにするようになるのだが、そのため
に白い髭の爺さんを待ち焦がれることはなかった。サンタクロースの存在は知っ
ていたが、あの爺さんがそうだとは思っていなかったのだ。それに実際、白ひげ
の爺さんが来ることはあの日以来なかった。贈り物だけは枕元に置かれるとい
形で引き継がれた。
 五十年前の今日、私は両親にほんとうはサンタクロースなんていないんでしょう
と訊ねた。母は困った顔をしていたが、父がその通りだと言った。なぜそう思うの
と聞かれて、学校の友達に教えられたことを告げると、父は残念だなと言った。
残念ってどういうこと? と聞き返すと、いや、もっと夢を楽しめばよかったのにと
いうような返事があったが、私にはあまり理解できなかった。そして翌年からは、
枕元に贈り物は届けられなくなった。やはりそうなのだ。サンタクロースを信じな
くなったら、もう贈り物はもらえなくなるのだと、ようやく残念という言葉の意味を
理解したような気がした。
 四十年前の今日、その年はじめて出会った恋人からプレゼントを受け取った。
私からも特別な気持ちで贈り物を彼に贈った。それまでも両親や仲のいい友人
に、あるいは何かのパーティの席で安上がりなプレゼントを用意して贈り合うこ
とはあったが、それは余興であり、ただの儀式でしかなかった。賑々しい気分を
みんなで楽しむことは出来たが、子供の頃のような気持ちが空中に浮き上がる
ような気分になることは一度もなかったのだが、恋人との間で交わされた贈り物
は架空の人物から受け取るものとはまったく違った喜びに満ちていた。これがし
あわせという言葉の意味なのだと思い、この贈り物は永遠に続く贈り物だと信じ
た。翌年、サンタクロースの代わりを務める人はいなくなった。
 三十年前の今日、深夜になって夫は白い髭をつけ赤い服を着たまま帰ってき
た。
「ああ、疲れた。夢を分け与える仕事だとか言われてやっているが、こんなもの
俺の仕事であるはずがない。こんな屈辱的な労働は二度とゴメンだ」
 そう言って寝床に入った。どうせならその姿で我が子にも喜びをあげたらいい
のにと思ったが、夫の疲弊した様子に口を開くことが出来なかった。作家を目指
していると口先では言っていた夫は、実際はただの失業者でしかなかった。働く
ことを嫌がる夫のためにようやく探し当てた楽な仕事が歩く街頭広告の仕事だっ
たのだが、仮装までして収入を得るということが夫のプライドを傷付けたのだっ
た。自分で信じるほど文才もなく、自意識ばかり高くて努力をすることが嫌いな
夫は、それからしばらくしていなくなった。
 二十年前の今日、深夜までケーキを売り続けた。少しでもパート代を増やした
くて買って出た仕事だ。子供には申し訳ないが、この数年はひとりで夕食を食べ
ることに慣れてしまったようだ。父親不在の貧乏暮らしなのに、よくまぁグレもせ
ずに育ってくれていると感謝していた。だがその自慢の息子も翌年の夏、突然
の事故であっけなくこの世を去ってしまった。
 十年前の今日、私はひとりで公園にいた。遊んでいたわけではない。子供た
ちが昼間トンネル遊びをする遊具の中で寝泊りしていたのだ。数ヶ月前に賃料
を払えなくなった住まいを追い出され、行くところもなく彷徨った末に、その場所
に落ち着いたのだが、どうやらそこも立ち退かなければならない気配だった。公
園の近所の住人が通報したと見えて、警察官が何度も様子を見に来たのだ。
ついに公園は住む場所ではないと通達を受けて、私はまた光が華やかに点滅
する街をさまよい続けた。そのうちに空腹感と疲労感で意識を失ったのだが、
気がつくと診療所のベッドで眠っていた。
 
 あの日からまた十年が過ぎた。私はいま夢の中にいる。長い長い夢を見てい
るらしかった。自分の人生を振り返りながら、夢だとわかっているのに、ふいに
涙が流れ出し、そのことに気づくと今度は嗚咽が続いた。なぜこんな辛い人生
を歩むことになったのだろう。どこで道を誤ったのだろう。息子を亡くしたことか?
あれはどうしようもない事故だった。つまらない夫と結婚したことか? そうかも
しれない。あの恋人を失ったことだろうか。それとも。
 私の不幸は信じなかったことがはじまりだったのではないかと思い当たった。
サンタクロースを信じることをやめたあのとき。そこから幸せが逃げはじめた。
残念だなと言った父の言葉を思い出す。しかし、サンタクロースはそんなことで
制裁を贈るものだろうか。なんだか違うような気もする。はじめてサンタクロース
がやってきたとき。私は彼を認めなかった。ありがとうとも言わなかった。もしか
したら、あのとき、すべてが変化したのではなかっただろうか。
 夢の中でありながら、すべてが明瞭になり、過去から現在までが一本のトン
ネルでつながっているかのように見張らせていた。
 ふいに目が覚めた。夢の中ではないのに、目の周りが涙でぐしょぐしょになっ
て暗い部屋の中がぼやけている。ここはどこ? この部屋は見覚えがある。懐
かしい匂いがする。子供の頃住んでいた部屋のようでもあり、ただ空想しただ
けの場所のようでもあり。まだ夢の中なのか、それとも長い夢を見ていただけ
なのか。涙を拭うとサンタクロースの顔があった。彼は耳元で小さな声で囁い
た。
「メリークリスマス」
 私ははっきりと眼を覚まし、ベッドの中に横たわったままで彼の後ろ姿を見送
りながら、私はいま何歳なのだろうと思い出そうとしていた。
                             了

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