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第六百七十五話 死ぬ方法 [日常譚]

 居なくなりたい。死んでしまいたい。そう思うようになったのは、昨日今日

のことではない。

 娘と息子が独り立ちし、残された夫婦の間もいつからか覚めてしまっていた

のが、二人になってしまうと間もなくいっそう溝が深まったようなムードにな

り、話し合いの末離婚を前提に別居することになってからもう三年が過ぎた。

会社でも私の年齢からすると、定年退職まであと三年という段になって、まる

で職場の端っこに追いやられるような待遇になった。昨今の雇用形態というも

のは、年功序列が能力主義というものにとって代わられ、年を取ると役員以外

はまるでお荷物のような存在になり、重要な仕事はより若い世代に移管され

る。私はすでに役職定年という制度によって管理職を外され、一般職と同じ扱

いで仕事をしている。企業によっては五十代で定年退職して関連会社に出向

になるというもっと厳しいところもあるというから、まだましな方かもしれない。

 人というものは、何か目的があってこそ前向きに生きていくことができる。

子供の育成も、会社での目標も、あるいは個人的に楽しんで来た釣りやゴル

フなどの趣味でさえも、ひと通りのことを体験してしまい、もはやこれ以上の

ことをしても先には何もないとわかったとき、私は人生の糧を失い、生きてい

く目標を見失ってしまった。つまり、生存の理由がなくなった。

 積極的に死にたいわけではないが、かといって前向きに生きる気力が失せ

た。こうなると精神はくたびれ、なかば鬱病のような症状が現れる。何度も心

療内科の扉を開き、軽い抗鬱薬を飲んでみたが、一向に昔のような馬力が

湧いて来ない。当然だろう。人生の糧という根本的なものがないのだから。

 私は消滅したいと考えるようになった。存在しなくなってしまえば、この、

ゴミになってしまったような気持ちから解放される。苦しんでいる、というほ

どのものでもないかも知れないが、虚脱感は苦しみさえも感じさせないの

だと思う。何もする気になれない、何をしていても喜びがない、というのは

もはや死んでいるのと同じではないのか。

 仕事をしているときにインターネットで探し物をするように、どうすればい

いのかと検索してみた。「死ぬ方法」を。ところが案外ヒットしないものだ。

何らかの規制が掛かっているのか、あるいはブロガーたちが個人レベルで

自己規制しているのか。昔は自殺サイトなどがあったと聞いていたが。それ

でもいくつかは参考になる記事が見つかった。

 楽に自殺する方法。首吊り。これは紐さえあれば簡単に実施できるもっとも

ポピュラーな方法。窒息死するのかと思いきや、首の骨を折って死ぬそうだ。

死んだ後は首が伸び、すべての筋肉が弛緩されてしまうので、汚物を垂れ流す。

私は別居してから住んでいるワンルームの自室を見渡してみた。最近の家とい

うものには鴨居も梁もなく、ロープをつり下げる所がない。風呂場には洗濯物

を干すバーがついているが、十キロまでの制限と書かれてある。それにウチに

はロープもない。梱包用のビニール紐くらいしかないが、それでは首に食い込

んで痛そうだ。

 リストカット。これもポピュラーな方法だが、たいていは未遂に終わってしまう

そうだ。よほど上手にしないと、案外死ねないのだという。まず、手首を切ると

いうことになかなか踏ん切りがつかない。上手く静脈を切断することが出来た

としても、死ぬ前に血が固まってしまう。だから、手首を切ったら、風呂場でぬ

るま湯につけたままにすべしとある。流血し続けなければならないからだ。血

液を失うにつれ、次第に意識がなくなって死ぬが、その前に発見されてしまう

から、未遂に終わる。私も試しにカッターの刃を手首に当ててみたが、とても

切れそうにない。何しろ痛そうだもの。

 クスリ。うまく入手出来ればこれほど楽な方法はないが、昨今では、睡眠薬

すら手に入らない。薬剤師だとか、どこかの薬剤研究者といった、特殊な立場

にいる人間でなければ、死んでしまうほどの劇薬は手に入らないのだ。そんな

ことあるまいと、家の中にあった誘眠剤や風邪薬をかき集めてみたが、クスリ

そのものが強くないうえに、そんなもの二十錠ほどあっても、とても死ねそう

な気がしなかった。

 その他にも、高いビルの上から飛び降り、線路の中に飛び込み、海に入水、

焼死、凍死、ガス中毒、感電...見ているうちに苦しくなってきた。いずれもそ

の方法と死に至までの経過、予測出来る結果がこと細かく書かれていて、読ん

でいるだけで私には出来そうもないと思えてきた。やはり消極的に死にたいと

いう程度では実現できそうにないということがわかった。

 そんな中で、誰でももっと楽に簡単に死ねるとして書かれている記事が目に

入ったが、それは、何も考えずに生き続ければ、そのうち嫌でも死んでしまう。

どんな人間でも生き続けることは出来ないとして、死ぬまで生きるという方法

が書かれていたのだが、嘗めるな、馬鹿にするなと言いたかった。老衰で死ぬ

まで生きることができそうなくらいなら、こんなに苦労はしないのだ。私はい

ますぐに死んでしまいたいのだ。

 私はいますぐに死ぬことにした。私は酔っぱらわない程度に少し酒を飲み、

ベッドに横たわった。静かに目を閉じて無心になった。この方法がいまの私に

できる最善で確実な方法だと気がついた。羊の数を数えることもなく、にわか

に意識が遠のいて、私は死んだ。

 翌朝、私は目を覚まして、生まれた。

 毎晩眠りにつく度に死に、毎朝目覚める度に生まれ変わる。そう言ったのは、

マハトマ・ガンジーだ。

                      了


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