第九十四話 野心と悟り。

　人間を進歩させているのは、野心だ。古村佳代はそう思う。金持ちになりたいとい

う野心。ボスになりたいという野心。幸せな結婚がしたいという野心。野心とは、そ

う欲望という言葉に近いものがある。ただ、欲望には計算がない。ただ本能の赴くま

まにというのが欲望だとすれば、野心は理屈の上に成り立っている。欲望を満たすた

めに、野心が膨らむ。偉くなりたい、お金が欲しい、幸せになりたい、すべては自分

の遺伝子を優位に残すという本能の上に成り立っているが、その欲望を満たすために

は敵を倒し、獲物をゲットし、目的を果たすという戦略が必要なのだ。野心とは、そ

の戦略も含めた計算ずくの行為だ。佳代もかつては野心家だった。女性としての幸せ

をつかみたい、という以上に、自らが人の上に立ち、世のなかを動かして生きたいと

いう夢を描いていた。この夢を語ると人は「男顔負けだな。」という。そうかもしれ

ないが、野心に男も女もない、と佳代は思う。とはいうものの、実力の伴わない、と

いうか努力を好まない佳代は、結局口だけの女だ。野心はあるけれども、実行には至

らない。だから、自分の野心を投影できる男性を探した。夫は、結婚当初は野心家に

見えた。多くの夢を語り、実際にその一つ一つを叶えようとしていた。佳代の野心と

重なるものがたくさんあった。だが、その夫とて普通の人間だった。企業の中である

程度の地位を手にしたとき、時間切れと同時体力切れとなって、リタイアしてしまっ

た。いまや若くして呆けた好々爺だ。

　野心を失った人間は、もはやそこから進歩しない。達成すべき目標を失うわけだか

ら、前に進む必要がないわけだ。野心を持たない人間には２種類あると思う。ひとつ

は、野心を失うのではなく、野心に積極的に見切りをつけるタイプの人間。これを人

は“悟り”という。すべての欲望、つまり煩悩を捨て去り、静かな人生を送る。そこに

は進歩はないが、その代りに安息がある。もう、野心のために戦う必要がないからだ。

もう一方のタイプは、野心を失ってしまったというもの。いわば負け犬だ。野心を達

成することなく、運命から見放される。これはもう呆けるしかない。呆けて好々爺に

なる。快楽のみに生きる。このタイプにも悟りに似た境地があるが、人はそれを“諦

め”という。人生に諦めて、もうどうしようもない、なるようにしかならない人生に

身を委ねて生きていくのだ。

　佳代は思う。世のなかには野心を持って突き進む人間と、悟りを開いて静かに生き

る人間、そして悟りではなく人生に諦めて漫然と生きる負け犬、この３つの種類がい

るのだと。そして残念ながら自分はまだ野心を捨てきれずにいて、その野心を委ねた

夫は負け犬になってしまったと。

　もうひと踏んばり。夫が負けてしまったのなら、再び自分の力で世の中に小石を投

げてみたい。小さな小さな小石でもいいから、私はここに生きている！という証を示

したい！そう思うのだ。佳代はもうすぐ四十代を過ぎてしまう。世間的にはもう十分

に落ち着いてもいい年代。世の夫婦たちは、勝つも負けるも、野心もヘッタクレもな

く、小さな幸せの時を刻んで人生の終焉を待つ。だが佳代はまだまだそんな気持ちに

はなれないでいた。

　三年間考えた佳代の答えは、音楽だった。学生時代にならしたバンド経験を三十年

の時を経て再燃させようというわけだ。佳代は俄かにスクールに通い始めた。流行歌

手になるために。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　了

タグ：野心 諦め 人生

感想 5

始めにお断りと言いますか謝ります。
「大変申し訳なく御免なさい」

全体的にお話がぼけてしまったように感じてしまいました。
　　　　　　　次回を期待します＾＾
by yu-papa (2011-04-29 14:24) 

また来てしまいました＾＾
リスの尻尾はとてもフワフワです。
by yu-papa (2011-04-29 20:59) 

このようなブログ、初めて訪れました。
なかなかおもしろいですね。
by mayasophia (2011-04-29 22:00) 

yu-papaさま。ありがとうございます。貴重なご意見は、大変ありがたいです。たしかに、ショートに語るにはテーマが大きすぎました。書いてる最中に息切れしました（笑）
mayasophiaさま、ありがとうございます。またコメントくださいませね。
by Coo (2011-05-02 02:53) 

年々諦めが増えるお年頃です( 。・_・。)ノ
by (。・_・。)２ｋ (2011-05-03 15:35)